公家衆もうかうかしていられなくなりましたね(^_^;)
連続更新ありがとうございます。
石橋氏か…
足利家の御一家でしたね。
今生き残っているのはかつての武衛様のように大内義綱に傀儡として幽閉されている、塩松の石橋久義(尚義)くらいですかね?
この様子だと1568年に追放されるまで救出が出来そうですけどね。
この婚礼を持って南北朝の因縁が終わるといいんですが。
一馬が来るまで、小物だけど血筋が良くて決して無能ではない(ある意味最悪な味方)小物管領細川晴元と偉大な管領代六角定頼公のおかげで辛うじて維持できていて足利幕府は崩壊寸前でしたからね。
奥羽に行った時の楠木さん大活躍でしたね。
そういえば南朝忠臣である井伊家は出席しているんでしょうかね?
遠江衆の一人として末席にいるのかな?
ただ、本家の女地頭の直虎か分家の直親か、それとも両方か…
直親だったら居心地悪いでしょうね、分家だし。
その上許嫁がいたのに奥山ひよを娶ってるし、遠江衆からしたら直虎の直親の許嫁なのは暗黙の了解なわけで、白い目で直親を見るでしょうから出席は見送っているんでしょうかね?
閑話休題。
与一郎は文武両道で史実で古今伝授受けている文化人でもありますが、暴走する牛を投げ飛ばしてしまった逸話がありますからね。
これが本当なら見た目プロレスラーや武道家が侘び寂の心を持っていることになりますねw
与一郎さんは独学で鱧を鰻のように食べられるようにするため骨切りを編み出したので当然料理番をしてもらいたいですね。
鱧の押し寿司の創業400年の伊豫又は要予約で高いから社長が土産で振る舞って(奢って)くれました。
宴会の時一人二切れだけど、美味しかったです。
鰻の代用品にするときは鰻重ならぬ鱧重ではなく押し寿司=鱧寿司がいいとは思うんですよね。
鱧の骨切りと湯引きは院や主上の料理番に伝授した方がいいですね。
骨切りは与一郎さんが自ら考案したものですし料理の練習を積んでいたらかなりの者になっているのかも。
与一郎さんではなく義輝公から上皇陛下に献上という形を取りますが、それは致し方が無いでしょうね。
身分が違いますから。
院も主上も干物以外で数少ない海の魚を食べられますし。
棒鱈に海老芋で煮込んだ芋棒はこの先出てくるのかな?って思いますね。
もう一つの京の海の魚というと鯖ですけど関東管領上杉憲政が里見に粗悪品売るように小物管領も若狭の鯖にもとんでもない暴利を吹っかけているんでしょうしね。
(若狭ー山城は近江を通るんだから、奴だったら考えそうなことです)
近江だから鮒ずしが出ると思ったんですが匂いがきついから院や主上にお出しできませんよね。
確か匂いのきつい物とかぬるぬるしたものはNGだとか。
昭和帝が納豆を食べてみたいといって水洗いされた納豆が出たのは有名な話ですよね。
鱧の骨切りと湯引きの梅肉添えは史実では京都名物ですからね。
紅白料理と言われたりして。
来月(7月)から川床の夕涼みや祇園祭、大文字焼きとイベント盛りだくさんですからね。
たのしみです。
今回も楽しめました。
いよいよ南北朝の因縁が終わるんですね。
感慨深いものがあります。
次回も楽しみにしています。
では!
史実では細川藤孝は1574年に古今伝授を受けていますが、はたして本作では古今伝授を受けるのでしょうか?
鱧の骨切りとか忠興の骨切りとかである種のことわざになりそうなエピソードですよね、あらためると。
更新ありがとうございます。
誤字報告?
遠慮している場合じゃないから、妻たちも表立って動いているからな。
↓
遠慮している場合じゃないし、妻たちも表立って動いているからな。
作者からの返信
誤字報告ありがとうございます。
修正しました。
実はハモは骨きりをせずに骨を抜くって技法もあるそうな。でも味気なくなるので骨きりがほとんどになるとか・・・
藤孝さんは歴史上でも古今伝授の伝承者として『当代随一の教養人』と言われていた人ですからね。史実でも料理に造詣が深かったとか。こちらでも彼の評価は鰻登りになりそうです。鱧だけどw
しかし、石橋さんは居心地悪そうですよね。現代でも娘や息子が有名人と結婚することになって式場の親族席で身の置き場がない雰囲気を味わうことがありますが、まさにそんな心境でしょう。
更新ありがとうございます。
石橋さん、早く終わってくれとか、声掛けないでくれとか思っていそうですねw
南北朝の因縁、昭和や平成まで影響していましたからね
第二次世界大戦で徴兵された兵士が、栃木県足利市出身と言っただけで「逆賊の土地出身か」と殴られたそうです
明治28年に始まった京都の時代祭りも、南朝が正統で逆賊とされる足利尊氏が開いた室町幕府は行列から除外されていました
室町幕府の行列が無いのはおかしいとの声で、やっと参加できるようになったのは平成19年(2007年)からのことで17年前です
与一郎さんは、史実でも文武両道と伝えられてる人ですしね。
料理も修練を積んでいたら、かなりの腕前になっていたのは判ります。
本人としては今回思ってもみない形で名を挙げましたが、今後も義輝さんについていこうとするなら、与一郎さん自身にもなにかしらの功績は必要だと思うので良かったなと。
番外編で与一郎さんをメインにした物語を期待しています。
細川藤孝さんも、伊勢家に似てて京都を支配している勢力に協力するというスタンスですよね。自分で保護、擁立したのに追放後の義昭公は見捨ててますし。
京都の武士や公家が存続するには、そういう生き方するか、下向するかしかないのかもしれませんが。