第2309話・宴の前に
Side:久遠一馬
上皇陛下をお迎えしての歓迎の宴やらなにやらで、慌ただしい数日が過ぎた。
無論、迎える相手は朝廷だけではない。日ノ本の各地から使者が来ており、この機会に取り入ろうとする者や、贈り物などで既得権や地位を認めてもらおうとする者がいる。
ただこれは、一概に悪いこととは言えない。それがひとつの政治手法であることは確かで、特にこの時代では当たり前だし違法ではないことなんだ。
贈り物をする人としない人。どちらに好意を持つかは言うまでもないだろう。逆の見方をするならば、贈り物をしないと、足利政権になにをされるか分からないというのが諸勢力の本音だ。
現状では、真継による綸旨偽造の一件があったことで奉行衆はこの手の陳情に慎重になっている。彼らが認めた真継のことが鶴の一声で覆ったことが大きい。
下手に認めたり仲介したりすると、問題があった際に処分される可能性があるからだ。
まあ、よほど酷いことにならなければ問題視しないと察してはいるだろうが、この手の報告が上がってくる切っ掛けとなった。おかげで忙しいんだけど。
正直、地方の問題に対して、安易な正義を振りかざして一方的に問題にすることはしない。そんなことをして上手くいくはずがないことは誰もが理解している。
ただ、報連相という、報告、連絡、相談が出来る体制になりつつあるのは大きな収穫だろう。
そうそう、伊勢貞孝さん。彼に関しては、すでに義賢さんやオレたちと一緒に仕事をしている。オレもこの世界にきて、いろいろと学んだんだ。さっさと働かせたほうが、彼のためでもあり奉行衆のためでもある。
ちゃんと義輝さんに従って働く。その姿を示すことが一番だし、なにより彼個人の能力と受け継いできた政所としての技量は確かなんだ。
「伊勢殿、この件はご存じですか?」
「ああ、その件は……」
一番の理由は忙しすぎて人手が足りないことだけどね。細かい情報なんかはオレたちだって知らないことはある。
時間をかけて情報を集めて精査し決断するなんて出来ないし。伊勢さんが知る情報や過去の慣例などを参考に決めたほうがいいことも多い。
「皆様、少し手を止めて休まれませ」
もうお昼か。シンディと冬がお茶とお菓子を持ってきてくれた。
「わずか数年で近江にて政が上手くいくとはな……」
シンディたちが持ってきたお茶を飲んだ伊勢さんは、小声で唐突にそんなことを口にした。
近江で自分を抜きにして政治なんて出来るわけがないと思っていたんだろうな。実際、史実では彼を追放したあと上手くいっていなかった。
「代々の政所が役目に励み過ぎたことが、今までの体制の利であり損でもありますからね。それで助かったこともあれば、困ったこともある」
独り言なんだろうが、なるべくコミュニケーションを取っていきたいので返事をすると驚いた顔をしている。
「此度もそうでしょう。伊勢殿が京の都を離れなんだおかげで上様は戻る場所が残った。ただし、本気で上様と戦をしようとしたら大きな争いになっていた。それを選ぶのが上様ではなく、政所の役職を担う方だというのが懸念となるのですよ。周囲の諸勢力がそれに気づき始めていました」
「某が、管領殿やかつて鎌倉にあった執権家である北条のようになったと?」
やはりこの人は頭がいい。オレが義賢さんたちのいる前で話そうとしている意図を察したらしい。この調子で義輝さんの本意も察していたなら、もう少し上手く動けた気もするけど。頑固なんだろうな。
「そんな方ならば、近衛殿下にお願いしてまで和解を望みませんよ」
まあ、現実問題として伊勢家には将軍を傀儡とする力はない。ただ、細川京兆家がここに加わるとそういう流れが出来てもおかしくなかった。
細川京兆の権勢は三好の台頭とオレたちが来て落としたから、今は大人しいだけだし。
オレの言葉に奉行衆の数人が驚いた顔をした。
実はこの会話にはもうひとつの意図がある。あまり好きな方法じゃないが、伊勢さんを守るべくもう少し後押しが必要だと判断したんだ。
義輝さんが認めたこと、オレと近衛さんが仲介したこと。このふたつが揃うと、よほどの大馬鹿者以外は伊勢さんと政争をしようとしないだろう。
「お言葉、確と心に刻み込んでおきまする」
伊勢さんは、オレのもうひとつの意図にも気付いたらしい。そんな顔をした。
政所の危うさは彼が一番察していたんだろうな。それ故に律していた。その気になればもっと血縁を増やして領地を広げることも出来ていたはずだ。
「そろそろ宴に参る刻限です」
おっと、もうそんな時間か。エルの言葉に皆さん、ハッとした様子で支度をするためにそれぞれの部屋に戻っていった。
オレたちも支度に戻らないと。
Side:足利義輝
父上の仏前に手を合わせる。
親不孝をしておるのではあるまいか? 今でもそう思う時がある。オレは父上がなにを望み、いかなる願いを託して身罷ったのかすら知らぬ。
不仲というわけではないが、生まれた時から父上は将軍であり、オレは世継ぎとして育てられた。甘えたことなどないし、物心付いた時には身分から外れた振る舞いなど許されなんだからな。
今になって悔いる。何故、もっと父上と向き合い、腹を割って話さなんだのかとな。オレは父上の意思を受け継いでおらぬことが気になる時があるのだ。
しばし仏前に問うておると、母上が姿を見せた。
「大樹、ここにいましたか」
「母上……」
「珍しいですね。左様な顔をするなど」
困った子だと言いたげな顔をされた。尾張で腹を割って話して以降、母上はオレに胸の内を明かしてくれるようになった。
将軍ではなく自らの子として接してくれるというべきか。以前は左様なことすら出来なんだのだ。
「某は父上のことをなにも知りませぬ。故に……」
「私も……本当のところは分かりません。正室としてお支えしていたと自負しておりますが、それとていかに思うておられたのか」
母上……。
「内匠頭殿は察しろというのを好まれぬとか。必要なことは書面で書き記し、ごくごく親しい者たちであっても向き合って話す。あの姿勢は見事としか思えません。乱世を鎮定しているのは、内匠頭殿のそんなひとつひとつの配慮と振る舞いなのですよ。だから、皆が力を貸している。私もまた……」
そうだ。一馬は察しろということを嫌う。それ故に思うのだ。オレが察することが出来なんだ、父上の本意はいずこにあったのかとな。
母上はそこまで言うと、どこか遠いところを眺めるような顔をされた。
「思うままにやってみなさい。叱責されるのか褒められるのか。いずれにしても悔いが残らぬようにやったうえのことならば、最後はご理解いただけるはずです」
母上は気付いておるのかもしれぬな。オレが足利の天下を終わらせようとしていることに。
今の体制では、いずれまた世は乱れる。それだけは確かであろう。故に……。
「さあ、皆が待っていますよ」
そろそろ刻限か。将軍としてありのままに振る舞おう。
新しき世は、もうすぐそこまで来ておるのだ。オレが日ノ本の武士を新しき世に導いてやらねばならぬ。
足利家最後の征夷大将軍としてな。
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