第2306話・すれ違う者の行く末
Side:久遠一馬
伊勢貞孝さんとの話し合いは思った以上に落ち着いたものだった。結果は及第点だろう。ただし、危うさも見えた気がした。
「きっかけさえあれば崩壊するだろうな」
思わず呟いた一言を、エルも資清さんも否定しなかった。
伊勢さんは大人の対応をしたのだと思う。ただ、奉行衆や足利政権内の不和が解決したわけではない。
今は御所造営とかあって足利政権が上手くいっているから表面化していないが、どこかで歯車が狂うと雪崩を打つように崩壊する気がしてならない。
無論、彼の働きは評価するし、それはおそらく奉行衆も同じだろう。一方で彼の独断による行動で義輝さんと奉行衆が苦労をしたのもまた事実だ。
将軍の意向も考えも無視して、誰かが力で朝廷と京の都を押さえると伊勢が協力するので下剋上が成立してしまう下地を作ったのは、明らかに将軍の権威を失墜させて足利政権を終わらせるきっかけになってしまう。
もっとも、死に体だった足利政権を延命していたのが伊勢だと見るのならば、遅かれ早かれ足利政権は終わっただけだと考えるのも筋が通るが。
「上様も伊勢殿も、己ひとりでは何事もままならぬお立場。難しゅうございますな……」
エルは無言だが、資清さんは答えがない答えを絞り出すように言葉を紡いでくれた。
そう、資清さんの言葉がすべてなのかもしれない。みんな、己自身で最適だと思う道を選んだが、ある者は評価され、ある者は愚か者と言われる。
ただし、代々積み重ねたものがあまりに大きすぎて、ひとりだとどうしようもない。
「私たちも同じですから……。出来ることと出来ないことがあります」
まあ、そうだよね。歴史という膨大な資料とオーバーテクノロジーがあっても出来ないことが多すぎる。人ひとりのやったことで、いいとか悪いとかいうのは傲慢なのかもしれない。
出来ることをひとつずつしよう。まずは義輝さんに報告だな。
「そうか。伊勢が従うと言うたか」
義輝さんの反応もまた静かなものだった。同席する近習と奉行衆が固唾を飲むように見守る中、怒ることもないことが逆に静けさとなり恐ろしく感じる気がする。
「誰ぞ、伊勢の代わりに都を治める者はおるか?」
それは唐突な言葉だった。奉行衆は驚き周囲にいる者やオレの顔色を窺うが、しばらく待っても声を上げる者はいない。いろいろとあるが、今の京の都に行くと志願する者はいないだろう。
「では、伊勢に任せることとするか。余は都に戻る気はない」
ほんと人の使い方が上手くなったなぁ。これで公に邪魔をすることが出来なくなった。伊勢さんには表向きとして相応の地位を用意するつもりだが、政所よりは権限が制限されるのは変えようがない。そのうえ、しくじると大乱となるんだ。
まあ、ここで願い出るくらい野心があれば面白いと思うが、それを表に出せないくらいに義輝さんの権威は絶対的なものになりつつある。
「安堵致しました。足利家と北畠家の婚礼の前に収まるところに収まりました故。日ノ本の武士が新たな節目を迎える時でございますれば」
誰も言葉を発しない。いや、発せないことで義賢さんが皆さんの意見をまとめるように口を開いた。
すべて奪う気はない。謝罪して従うなら落としどころだ。奉行衆が納得出来るギリギリのラインだろう。
この場で誰も名を口に出来ない晴元のことを思えば、特にそう思う。
「一馬、引き続き頼む」
「畏まりましてございます」
少し前から義輝さんは、公の席でもオレを官職ではなく名前で呼ぶようになった。これ個人的にはどっちでもいいけど、深読みすると、朝廷の官職でオレを呼ぶことを止めたというひとつのメッセージが込められていると思っている。
一国の王とするのはオレが嫌がるからしないが、朝廷の臣ではないと暗に示している気がしてならない。
気のせいかもしれないが。
Side:とある奉行衆
上様が席を立たれると、どっと疲れたような。そんなため息を漏らしてしもうたかもしれぬ。
若き頃の上様ならば不満を隠さず、伊勢を斬ると言うたのではあるまいか?
続けて管領代殿と内匠頭殿らが下がると、他の者もようやく気を抜ける。そんな顔をした。
「これでひとまず京の都の備えは出来たか」
「ああ、勝手ばかりする男だが、今の上様と内匠頭殿を相手に噓偽りを言うてまで己の立場を守る男ではない」
好むか好まぬかと言われれば好まぬ。死ねとすら思うが、それを表に出すほど愚かなつもりはない。不承不承ながらな。
「日沈む都になど行きとうないわ」
「おい! それはあまりに不敬ぞ」
「ああ、済まぬ」
ひとりの男が吐き捨てるように漏らした言葉が我らの本音であろうな。とはいえ、あまりに不敬故、止めた者もおる。この場には五山の僧もおるからな。今の言葉が漏れると、あとでなにを言われるのやら。
都人は我らのことなど助けてくれぬ。にもかかわらず、常に我らの上に立つ者としてあろうとする。奴らにとって我らは下人と同じ。
織田の者も北畠の者も、あれこれと求めるばかりの朝廷や畿内にうんざりしておるからな。京の都という地を欲せぬ以上は、離れてしまえば銭の無心ばかりする厄介な輩にしか見えぬのだ。
「もう伊勢のことはよいではないか。さすがに若狭管領殿と同じとするのは哀れだ」
「それはな」
朝廷と京の都、それと若狭管領だな。我らの悩みの種は。さっさと隠居して高野山にでも行けばいいものを。未だに再起の芽があると思うておるのか?
慈悲深い内匠頭殿ですら手を付けぬことで、誰も助ける者がおらぬ。あの御仁と奥方衆は、憎しみ諍いばかりしておる我らの仲介をしてくれておるからな。
内匠頭殿が動くならば若狭管領とて許されると思うのだが。
「そういえば、里見の使者はいかがした?」
誰かが思い出したように問うも、誰もいかにしておるか知らぬらしい。皆で首を傾げた。
御所の落成を祝う使者が参ったのは知っておるが、上様に目通りが叶う身分でもない。里見は守護ではないことだしな。
多忙を理由に皆が関わるのを嫌がったために、前古河様が挨拶を受けたあとを誰も知らなんだ。
「前古河様は仲介されなんだからな」
「するわけがなかろう。なんの利がある。頭を下げることもせぬ里見など誰が助けるか」
上様と因縁があるわけではないので挨拶は受けたが、内匠頭殿と因縁があるからな。誰も関わろうとせぬ。
里見と親しいなどと知れたら、内匠頭殿に疎まれ薬師殿の診察すら受けられなくなるやもしれぬ。神宮の神職が薬師殿の診察を受けられぬことで苦しんでおるという噂は近江にまで広まっておるのだ。
誰も関わりとうない。
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