第2304話・名門の者たち
Side:京極高吉
これほど忙しいのは、久方ぶりだな。尾張では誰であれ働き過ぎを戒める故にな。
そもそも京の都から逃亡した先で、上様のおられる場を御所と称することはあれど、まことに御所を造営するなど我らとて初めてのこと。いかにすればいいのか迷うことも多いのだ。
前代未聞のこと故、あまり先例も役に立たぬ。
「おっと!」
少し急いで歩いておると、廊下の曲がり角で奉行衆のひとりとぶつかってしもうたわ。
「きっ京極殿。申し訳ございませぬ」
顔を青くして深々と頭を下げた男に、思わず笑みがこぼれそうになる。隠居し織田家家臣となった、わしのことを軽んじたひとりではないか。
「こちらこそ、申し訳ございませぬ」
立場としてはこちらが下だ。当然、相応の態度で謝罪するが、向こうはわしが怒ったかと恐れる顔をしつつ見上げてくる。小物じゃの。
「急いでおる故、失礼致す」
あいにくと、こやつに構っておる暇などない故、さっさとこの場を離れる。愚か者などと話したところで得るものもない。
にしても、世のなりゆきとは、なんと面白きことか。
六角相手に敗れ、一度は上様に疎まれ隠居したというのに。観音寺城が間近にあるこの地で、わしを見下した者らを見返すことが出来るのだからな。
守護様も大殿も、皆がわしを案じてくれるが、かように面白きことを逃がすなどもったいないわ。
それに、近江の地に御所を構え、北畠から正室を迎える場に同席することを許された。これほどの誉は滅多にないことだ。
正直、愚か者として名を残すことだけはしたくない。武功は無理でも、文官としてならば、それなりの功を挙げた男として名を残せるかもしれぬからな。
今、励まずしていつ励むのだと思う。
Side:伊勢貞孝
いつ以来であろうか。京の都を離れ近江に来るのは。
かつては鄙の地だった東国が、わずか十年ほどで畿内と対峙出来るほどとなった。かようなことが出来ると知っておれば、わしも京の都にこだわらず済んだのかもしれぬな。
いずれ上様がお戻りになる場を残す者がいると思えばこそ、わしは恨まれようとも京の都に残ったというのに。
ただ、他ならぬ内匠頭殿ならば、わしの命運が尽きたとて諦めもつく。後先考えず、わしを恨むような奉行衆ならば許せぬし、最後まで意地を張ったと思うがな。
あの御仁は世のことを考えて動く。まったく縁のない、わしのことですら幾度か罷免を止めてくれたほどだ。
それとだいぶ前になるが、内々に政を一本にしたいと内匠頭殿より書状が届いたことがあった。
あの御仁の恐ろしきことは従えと命じるのではない。互いに納得がいく形を探したいと書状を寄越したことだ。あいにくとその時ではないと思うた故、そのまま返書をしたためて送ったがな。
わしには京の都を離れて政が上手くいくとは思えなんだのだ。すべてはわしの見通しが甘かっただけ。
結果として、差し伸べていただいた手を振りほどいた。故にわしは、近江でいかなる処遇をされようと受け入れるつもりだ。
side:久遠一馬
京の都から一足先に到着したのは、近衛稙家さんだった。上皇陛下が来られる前にいろいろと最終調整が必要だからなぁ。
本来は、そんな身分じゃないんだけどね。臨機応変に調整が出来る公家がいないのだろう。
「ご無事の到着、祝着至極に存じます」
「無事に御所の披露目と大樹の婚礼を挙げられそうじゃの」
稙家さんは本心から喜んでいるように見える。
正直、朝廷としては、必ずしも喜ばしいことではないはずなんだけど。義輝さんが京の都を離れる影響はマイナス面が大きいし。
ただ……、争わず世の中を治めていこうと苦心しているのは同じなんだよね。そういう意味では、理解してくれていると思う。
「殿下、政所の伊勢殿の様子はいかがでございますか?」
「頑固者じゃからの。意地を張るかもしれぬ。されど、真継などと違い、天下を騒がせる男ではないからの。大樹とは合わぬが、そなたならば御せるであろう」
ほんと気心が知れていると言えば失礼になるんだろうけど、近衛さんとはそんなところが増えているんだよなぁ。
ああ、偽の綸旨で少しばかり力押しをしたことを謝罪しないと。
「真継の件は、お騒がせして申し訳ございません」
「気にせずともよい。京の都の者らの目を覚まさせるにはちょうどよかった」
「殿下……」
「意地を張るのも異を唱えるのも構わぬ。されどな、古き形にこだわるなら覚悟と意地くらいは持ってほしい。ところが騒ぐ者にはなにもない。そなたから懐柔すれば、すぐに態度を変えるはずじゃ」
ほんとその通りなんだよね。反織田には、信念がある人、信念を持って動く人が少ない。
公家衆は、受け継いだものを守り、次の世代に伝えるということに関しては超一流なんだけどね。覚悟を以て自ら動くとか、形から外れたことをやるという概念に乏しいんだと思う。
「朝廷は守らねばなりませんからね。正直、これ以上おかしなことになると、誰も得をしません」
「そうじゃの。されど、今のままとはいくまい? 真継の一件がそれを示しておる。あやつは生来の公家ではない故、いささかやりすぎたがの。京の都におる公家は、あやつ以下の者も多い」
近衛さん、相変わらず言葉に遠慮がないというか。建前とか言わなくなったね。オレに合わせてくれているんだろう。おかげで話が早い。
「近江で様子を見ているというのが現状ですね。家柄や官位を理由に、役職や政を己のものとして勝手をされても困ることになるので……」
公家衆は知識層だからなぁ。上手く生きる場と働き場所は用意したいけど。権威と地位を残した今のままだと問題になりそうな懸念もあるんだよね。
「古き世には戻らぬからの。朝廷が日ノ本の頂に居続けるためには、その時々の世に合わせた朝廷であらねばならぬ。畏れ多いと遠ざけてばかりでは、誰も寄り付かぬようになってしまうわ。神宮のようにの」
近衛さんとなら、上手くやれるんだけどなぁ。困ったことに近衛さんであっても朝廷を変えることは至難の業なんだ。
まあ、見方を変えると、近衛さんはオレたちに近すぎるのかもしれない。見ている世界が。
「さて、まずは役目を果たすか。院が御到着される前にの」
「はい、左様でございますね」
いろいろと懸案は山積みだが、近衛さんからは、このお披露目と婚礼を成功させたいという意思が見える。こういうところは身分や立場を超えて尊敬出来る。
引くところは引いて、守るべきものは守る。本物の公卿なんだ。
本当、長生きしてほしいなぁ。申し訳ないけど、晴嗣さんでは不安が大きい。
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