第2301話・近江での支度
Side:冬
料理番が緊張しているのが分かる。料理を前にしたセルフィーユは厳しいからね~。
御所のお披露目には、上皇陛下を筆頭に日ノ本全土からお祝いの使者が来る。正直、その料理に対する助言は私には無理なんだよね。エルとかセルフィーユと同じレベルを求められても困る。
そんなわけで、セルフィーユが武芸大会の前から近江に来て、上様と六角家の料理番と一緒に指導とメニューを考えるなどしている。
「こんなものかしらね。今日の夕餉にお出ししてみましょう」
セルフィーユの言葉に大勢の料理番が安堵した。ただ、祝いの宴だけじゃない。滞在中の食事に関しても難しいのよね。
料理の内容ばかりじゃない。宴の形式や作法をどうするかも決めないといけなかった。古くからある形式を重んじるのか、尾張流と呼ばれている形にするのか。奉行衆で話し合ってもらったけど、結局は上様の御裁断を仰ぐことになった。
正直、私は昔からある形でいいと思うんだけどね。奉行衆の意見は分かれた。こちらは好みというより朝廷や公卿その他諸勢力にどう見えるか。彼らとどう向き合うか。そういう観点から悩んでいた。
とりあえず宴の料理の献立が決まった時、ちょうど京極殿が姿を見せた。
「食師殿、こちらにおられたか。料理はいかがか?」
六角家と因縁がある彼が近江に来たことに、六角家中と奉行衆が戸惑ったのを覚えているわ。セルフィーユと一緒に近江に来たんだけど、当初はナザニンたちが来る予定だったのよね。
さすがに六角家と争い隠居させられた京極殿に、観音寺城下で働けとは誰も言う気はなかった。上洛する際などに立ち寄ることはあったけど。
織田家では重用されている人でも、表向きとしての立場は昔より下がった。その事実はとても重いから。
そんな彼がセルフィーユと共に来たのは、自ら願い出たからだと聞いている。近江での調整に関してはナザニンより自分の役目だと守護様と大殿に申し上げたそうよ。
「こんな感じになりそうだけど、いかがかしら?」
セルフィーユが献立案を見せると、京極殿は難しい顔をして見ている。ほんと、この人の経験は織田家とウチにとって大きいのよね。
「良いかと思いまする。ただ、もう少し久遠料理が欲しゅうございますな」
「そう、分かった。もう少し考えてみるわ」
ナザニンと仕事をしているからか、私たちにも遠慮なく意見を言ってくれる。これ意外に難しいのよね。奉行衆あたりだと恐れて言わない人もいるし。
セルフィーユの仕事をある程度見届けた私は、他の仕事もあるから京極殿と共に料理番の人たちがいる調理場から移動する。
ちょうど、この人に聞いてみたいことがあったのよね。
「京極殿、ここでの役目は辛くない?」
私の問い掛けに京極殿は少し驚いた顔をした。
「案じていただいておること感謝する。
その言葉に驚いた。過去、どんな人だったか私は知らないけど、織田家で働きだしたあとは私情をあまり出さずに黙々と働く人だったから。
「わしを落ちぶれたと笑うておった者らに、頼むという形で有無を言わさず命じる。なんと楽しきことか」
驚き思わず笑ってしまったかもしれない。ナザニンと気が合いそうだなと思ったからだ。
「あいにくとすべてを水に流すというほどの徳は積んでおらぬ故にな。そう思うて役目に励んでおる」
「ふふふ、その様子なら案じずともいいわね」
「立場が難しいのは存じておる。なにかあれば言うてくれ。早朝殿や曙殿が動くより、わしが動くほうがいいこともある」
そのまま京極殿と別れて人の可能性について考える。
残念ながら領地制を基本とした武断政治では、あまり名を挙げられない人なんだと思う。正直、尾張に来る前はシルバーンの中央司令室でしていた評価もあまり高くはなかった。
八郎殿もそうだけど、環境で大きく変わる人って多いのよね。私たちも六角家の方々に対して同じように出来たらいいんだけど。
Side:久遠一馬
北畠家の皆さんと合流して山を越えて甲賀に入った。
すでに田んぼは稲を刈り終えている。そんな稲のない田んぼや人々の様子から、この地の暮らしが分かる。
甲賀なんかは米作りに不向きという事実もあるが、それでも暮らしが安定しているのが分かる。その事実にホッとするね。
それにしても、近江は要所なのだと改めて思う。無論、単純に尾張・美濃・伊勢以東を守るだけならば、むしろ近江がないほうがいいだろう。
ただ、日ノ本を統一するには近江の地がカギを握ることになることを実感する。
道中、休憩として村に立ち寄る。ある程度の人数がいる場合、休憩や宿泊する場所は当然ながら毎回同じような場所になってしまう。安全が保てて、人数を受け入れるだけの場所が必要だからね。
「なかなか賑わっているね」
村では昼食にとおにぎりと味噌汁などを準備していた。無論、こちらで頼んだものだ。特に他国を旅する際は、先に人を遣わして準備をしてもらうんだ。まあ、毒とか盛るなどないようにと警戒する役目でもあるが。
オレたちも、村の人たちが用意してくれたおにぎりと味噌汁を頂く。
自前で支度するくらいの準備もしてあるが、こうして頼むことで現地に礼金を払いお金を使うことも必要だ。もっといえば出されたものを頂いて、甲賀の地を信頼していると示す意味もあるけどね。
「うん、美味しい。なかなかいい米と塩だ」
尾張だと南蛮米と呼ばれるオレたちが持ち込んだ米が主流になったが、甲賀ではまだ昔ながらの品種だ。厳密には味が劣るが、これはこれで美味しく頂けるんだよね。
オレたちに出す米と塩だ。上物を選んでくれたんだと思うが、そこからも甲賀の暮らしを垣間見ることは出来る。
「この地も変わったのでございますな」
一緒におにぎりを食べていた資清さんが、感慨深げな顔をした。
経済状況は激変しただろう。米以外の産物を増やして織田領に売ることで大きな利を得られている。昔、資清さんが取り寄せたお茶とかも増産して尾張で売られているんだよね。
誰が言い始めたのかオレたちも知らないが、八郎茶なんて名称で売っている人がいる。資清さんが尾張で売れるようにと、あちこちに配った影響だと思うけど。
ありがたいことに尾張だと甲賀産の品物が本当によく売れるんだよね。滝川家や望月家の故郷だということで、領国と同じように身近に感じてくれている人が多いから。
甲賀を通して誼が深まることが、織田と六角の関係としても重要になっている。史実だとそんなに注目をされた土地じゃないんだけどね。
この世界だと尾張と近江の間ということと、領地制がいち早く終わったことで注目を集めている土地なんだ。
オレも、この先どうなるのか楽しみにしている。
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