第2300話・近江へ

Side:近江の奉行衆


 日も暮れ、馴染みの奉行衆らに酒でも飲もうと声を掛け屋敷に招いた。


 そろそろ寒うなったな。金色酒もいいが、寒い日は濁り酒を熱燗で飲むのも悪うない。


 熱い酒が喉を通り体の芯から暖まる心地を楽しんでおると、ひとりの者がいかんとも言えぬため息を漏らした。


「内匠頭殿と奥方衆が動くと世が動くな」


 その件か。偽の綸旨の折には誰もが驚くことを軽々と成したかと思えば、此度は政所の伊勢を近江に召し出させた。


 若狭管領と違い、むやみに上様に歯向かう男ではないが、今の今でさえ従わず己の家職のみを頑なに守り通す男。あの頑固者がようやく動くということに誰もが驚いた。


「上様はあやつを許すと言うのか?」


「内匠頭殿次第であろう」


 内匠頭殿からは、そろそろ伊勢と直に会うて話をしたい故、理解してほしいと書状が我らのところに届いておった。今の歪な政を変えたいそうだ。


 あの御仁に頼まれると誰も嫌とは言えぬ。


 上様ですら、伊勢が今の世に必要だと内匠頭殿が申し上げれば過ぎたることを水に流して許すだろう。もっとも、今も形としては上様と伊勢は争うているわけではないので、許すという言葉は少し言い過ぎかもしれぬが。


 というか、すでに許すことをお認めになったと見るべきだな。


「上様と我らを見捨てた男だと言うのに……」


「過ぎたることを言うても仕方あるまい。同じように我らを見捨てた者らであっても、すでに許された者もおる。根切りにするわけにもいかぬからな」


 面白うないのは同じだが、畿内と対峙するには内匠頭殿の力がいる。朝廷も公卿も寺社も、大人しいのは三国同盟を恐れるからだからな。


「流浪の身に戻りたくはあるまい?」


「……確かにな」


 朝廷も公卿も寺社も心から信じることなど出来ぬ。武士が愚かな争いをしておると笑うて見捨てるのだ。


「許すのはいいが、伊勢はいかがなるのであろうな?」


「さて、そこまでは聞いておらぬからな」


 内匠頭殿のことだ。そのまま京の都に戻すかもしれぬな。伊勢は憎いが、厄介な京の都を任せる男が他にいるかというと……。


 かつてあった六波羅探題のように、京の都を治める役目とするのが落としどころか。もともと内匠頭殿は京の都に深入りすることを好まぬ。以前にも政の体制を見直すことについて話し合った際に、似たような形に変える話があったのだ。


「伊勢とて、勝手を出来なくなるか」


「左様な才覚があれば、京の都で兵でも挙げておろう。現状があやつの限界だ」


 神宮でさえ内匠頭殿を怒らせたことで尾張から絶縁された。伊勢如きに出来ることなどない。黙って厄介な京の都を抑える役目ならばやらせてもよかろう。


 正直なところ、代わりに京の都の役目を与えると言われても困るからな。


 体裁としてはいずれ京の都に戻るという形を残しておるが、上様にその気はまったくないのだ。立身出世どころか閑職となろう。


 望む者がおらぬのだ。京の都の留守居役などはな。




Side:久遠一馬


 義統さん以下、主立った皆さんと近江へ行く。


 足利一門と元守護家や元守護代家、それと姉小路家など公家や北信濃の村上さんなど有力な者たちもいる。メンバーは仙洞御所完成のお祝いの時を基本としている。


 前回と違うのは、オレの妻たちが多いことか。エル、ジュリア、ケティ、メルティ、シンディ、ナザニン、ルフィーナ、お清ちゃんと千代女さん、奥羽代官筆頭である季代子、信濃代官代理のイザベラが同行している。


 あとは途中で北畠勢と合流するのだが、南伊勢担当となっているシンシアも北畠勢と同行していて一緒に近江にいくことになった。そこに一足先に近江に行っている春たちが加わる。


 季代子とイザベラは領国代官として同行する。織田領となった各領国の代官が揃って近江に出向くことにしたんだ。


 妻たちが多いのは、それだけ情勢が難しいからでもある。安易に戦になる状況ではないが、それ故に外交という意味では難しくなる。


 あとは名前が知られている妻たちが同行することで三国同盟が堅固であると示して、六角と北畠と交流を深めるためでもある。


「東海道は見違えたね」


 船で伊勢に渡り東海道を西に進む。なんというか、危険すぎて旅慣れた商人たちですら避けると言われた東海道が、女性や子供でも旅が出来るようになった様子は見ていて感慨深いものがある。


 道を譲るように沿道にいる旅人たちの様子を見ると分かるんだ。


 さすがに山越えなんかは賊を警戒して複数で移動することもあるそうだが、あとはそこまで危険はないらしい。


 無論、女性なんかは襲われることもあるので常識的な警戒は必要だが。


「我らが立ち寄るということで、甲賀でも支度は万全とのことでございます」


 今回は益氏さんが同行しているが、頼もしい言葉だ。


 甲賀はなぁ。六角家の直轄領として上手くいっている。ただ、未だにウチの影響が強い地域でもある。オレたちが生きている間は影響力が変わらないかもしれない。


 近江や伊勢を含めた三国同盟の領国では、もう誰が見ても治安のレベルが違い過ぎて、それが三国同盟の豊かさと強さを実感させることになっている。


 内部では四苦八苦している六角家と北畠家も、端から見ると天下を動かすような権勢を誇るように見える。他から羨ましいと妬まれているくらいだ。


 経済や知識や技術など、畿内と西国九州などの優位性は今も変わらない。少し頑張れば尾張に対抗出来るくらいの潜在力はある。


 その少しが難しいんだが。なにかを変えると恨まれる。利権の扱いを変えるだけでも一苦労で、そこに古い時代の権威が根底に蔓延っている。


 世の中のために恨まれ役になる人がいない。オレたちも含めてやりたくないのが本音だ。


 朝廷もね。今の上皇陛下と帝はご理解いただいているが、いつか、オレたちが変えたことを恨む帝が出てくるかもしれない。そんなことは武士の皆さんも理解していることだ。


「楽しみだね」


 そうそう、今回はオレたちだけになるが、帰路にて少し寄り道をする予定だ。滝川家と望月家の旧領に行く。お清ちゃんと千代女さんの里帰りと菩提寺参拝を予定に組み込んだ。


 甲賀での影響力が強すぎて、あまり目立つことはしたくないが、これだけはやっておきたくて義賢さんにお願いした。


 留守を任せた滝川家の一益さんと望月家の太郎左衛門さん以外の両家の主な人も同行しているので、滝川家と望月家にとって久しぶりの里帰りとなるだろう。


 資清さんと望月さんも里帰りなんてしていないからな。織田家やオレに気を使っているところもある。ちょうどいいから視察を兼ねて行ってみることにした。


 オレ自身、結構楽しみにしているんだよね。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る