第2299話・旅の空の下で

Side:足利義輝


 尾張を離れ近江に向かう。菊丸としては武者修行に行くと言うてな。


 無事を祈ると言うてくれる者たちが、いかにありがたいか痛感する。オレは……あの者たちのために政をしておるのかもしれぬ。


 主上や朝廷よりも天下、日ノ本よりも……な。


 父上が生きていれば、今のわしにいかに言うのであろうか?


 左様なことをつらつらと考えつつ道中の村で休んでおると、村の者と話していた与一郎が戻ってきた。下男のごとく、旅で困らぬようにと必要な品を用立てて周囲の様子を聞いておったのだ。


 その働きが当たり前となってしもうた与一郎の姿に、こやつは本来、かような身分ではないと思い出した。


 思えば、こやつには申し訳ないことをしたのかもしれぬ。菊丸の供として連れ歩くことで華々しい公の席に出ぬことが増えたからな。将軍を捨てたいというのは、オレの身勝手だからな。


「与一郎、そなたはそろそろこの暮らし止めるか?」


 与一郎と共に旅をしている兄弟子らが驚いた顔をした。まあ、唐突であったからな。


「菊丸殿、何故……」


「いや、そなたには戻るところがある。いつまでも付き合わせてよいのかと思うたのだ。内匠頭殿が常々考えておることのひとつに、臣下に自らの生きる道を選ばせるというものがある。思えば、そなたに選ばせてやったことがなかったからな」


 血筋も身分も権威も、すべては夢幻のものに思える。オレは今でも足利義輝ではなく、菊丸として生きたいという思いは変わらぬ。されど、与一郎にとっては、本来、あるべき場所はここではないのだ。


「某が選んでよろしいので?」


「ああ、出来る限りの望みは叶えよう」


 もう冬が近い。それを感じさせるような冷たい風が吹いた。


 オレと共にいると、こやつの立身出世が遅れる。今なら戻る場もあるが、なくならぬとも限らぬ。


「では、今のままでお願いしまする」


「与一郎……」


 まったく悩まぬとは、さすがに驚くわ。


「菊丸殿の悩みは某には分かりませぬ。されど、思うままに生きてよいかと今は思うております。すべてが終わった暁には、尾張で道場でも開けばよいかと」


 今のそなたならば管領代を支え、天下を担う男にもなれるのだぞ。それを要らぬというのか。


「某が野垂れ死にしたとて、家は誰かが継ぐことでしょう。あまり懸念しておりませぬ。菊丸殿の道がいずこにたどり着くのか。見届けたいと思う所存」


 そうか。与一郎。そなたもまた、過ぎ去りし日々に戻ることをあまり望まぬか。それもまた一興というものだな。


「そうか、ならば行くか」


 今しばらくオレは将軍であらねばならぬ。綸旨の件で、それがはっきりした。奉行衆はオレが将軍を退くと、迷い争い、日ノ本を乱世に戻してしまうからな。


 一馬の見ておる世が叶うその日まで。




Side:久遠一馬


 近江御所のお披露目。それと併せて上皇陛下の近江御幸も行う。尾張御幸の経験と先例があるものの、大変なのはあまり変わらない。


 諸国からは諸勢力が集まり、公卿公家も主立った者は御幸の供として近江に行く。


 史実の世界、とりわけ安土桃山時代から考えると、天下統一目前にあったようなイベントに感じる時もある。


 もっとも尾張も近江政権も、誰もそんな楽観した考えなど持っていないと思うが。史実に照らし合わせると、信長の上京前くらいになるのかもしれない。畿内の権威と対峙したばかりだ。今のオレたちは。


 安土桃山時代との比較は、最早、一概に言えないほど様々なものがあるが、一番重要なところだと朝廷の立場や権威は遠く及ばないことだろう。


 史実では信長や秀吉がそれぞれに思惑はあれど、朝廷を盛り立てていたからなぁ。この世界ではそれがない。


 足利政権が復権したことで朝廷も一時よりは権威を戻しているが、義輝さんが京の都に戻らないことで朝廷の権威がまた落ちている。政治と朝廷が離れつつあるからな。それは仕方のないことだ。


 今の朝廷の立ち位置は、古い寺社に似ているのかもしれない。大切だと思う人は多いものの、政治経済の中心と思う人はどんどん減っているだろう。


 すべてはここから始まるのかもしれない。


「エル、なんとかなりそうか?」


「ええ、大きな問題にはならないでしょう」


 朝廷との調整はオレたちも関与している。本当は越権行為もいいところなんだけど、義賢さんの負担は軽くしないといけないし。近衛さんや二条さんと共に裏で動く人がいるんだ。


「不満はあっても誰も戦なんてしたくない。結構なことよ」


 ナザニンの言葉がすべてかもしれない。戦を避けるため。朝廷も寺社も畿内の諸勢力も、今のところそれは一致している。


 織田家も同じだけど。望まぬ相手に戦を仕掛けるほど余裕はない。


「気を緩めないほうがいい。人はこういう時に隙が出来る。若狭管領も呼ぶべきだと私は思うよ」


 ナザニンの警護兼相棒のルフィーナは必要がないと沈黙を貫くが、珍しく意見を口にした。ナザニンは外交担当ということで恨まれ役になったこともあるんだよね。その際に狙われて以降、ルフィーナが付いて守っているんだ。


 危機察知とか空気を感じるのが得意だからなぁ。


「ルフィーナ。言いたいことは分かるけど、あの人を呼ぶと上手くいかなくなることが山ほどある」


 大人しく隠居して出家するならいいが、そんなタイプじゃない。若狭管領なんて呼ばれて朝廷や足利政権への影響力は落ちたが、それでも戻ると混乱を及ぼすくらいの力と家柄はある。


 良くも悪くも自分の仕事以外はしない伊勢貞孝とは違う。


「三好と朝倉には若狭への警戒を怠らぬように内々に頼んでいます。現状ではこれ以上は……」


 そう、エルも若狭の抑えはきちんと考えている。幸いなことに朝倉義景さんとは話が出来ているし、三好とはいろいろと協力している。


 可能性としては低いが、晴元の挙兵の可能性は潰させてもらった。まあ、ルフィーナもそれは知っている。知っているうえで将来への懸念として呼ぶべきだと言ったんだけど。


 伊勢貞孝にしても、綸旨の一件で早々に謝罪したことがなければ、和解をするのは難しかっただろう。義輝さんはオレたちで頼めば理解してくれるが、奉行衆には思った以上に伊勢を憎む者がいる。


 正直、オレたちとしても出来ることと出来ないことがあるんだ。


 そもそも細川京兆家は、当人たちでさえ一枚岩となって上手くやれていないからな。長い間。余所から口を出して晴元と和解しても、次の争いを起こす気がしてならない。


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