第2298話・見えざる力
Side:久遠一馬
東国は不作だが、相変わらず織田領には米や雑穀などが集まる。
飢えている人がいるのになと思うが、領民が飢えるなんて当たり前すぎて気にしていないのがこの時代の為政者たちだ。それは武士も寺社の者も同じ。
織田領以外では統治も経済も旧来のままであり、流通と経済は寺社が握っている。織田領と他国の商いも割符などを一部で使う者がいて、その割符の代金回収などしているのは寺社と彼らに従う専門の人たちになる。
流れは複雑だが、最終的に流通と経済を担う寺社は他国から売れる品を集めて織田領に売ることで良銭を手に入れ、割符を求める者にその良銭を提供することで織田領での商いが出来る。
なにが言いたいかと言うと、飢饉になっても主に米の流通は止められないということだ。もう少し言うと、領民が飢えようが止める人もいないとも言うが。
面目第一だからね。この時代の人は。領内が困るので米を出せないとは言えない。
無論、不作だからと米を求める者はいるが、米や雑穀などは各領国の代官による許可制となっている。もちろん他国に売る金額は基本的に織田領内向けの価格ではなく、それ以外、主に購入者の地域で高騰している価格になる。
これ怒る人が未だにいるが、それをやらないと転売して自分だけ儲ける人が出るんだよね。
まあ、信頼関係や友好関係がある勢力とは、それなりに値引きすることはあるけど。
そんなこの日だが、清洲城にて武芸大会にて各勢力から頂いた寄進、いわゆる協賛金の確認をしている。もちろん金額じゃない。銭の質とかそっちの確認だ。
義信君と信長さんの表情がなんとも言えないのは、悪銭鐚銭が多いからだろう。
「三好の者に問うたが、畿内ではまだいいほうの悪銭だとか」
去年の武芸大会のあと、三好にも悪銭での寄進を内々に打診してあるので、今年の花火大会と武芸大会では悪銭で寄進をしてくれた。
とはいえ、信長さんも言っているように、まだ使えるレベルの悪銭を寄進したらしい。
銅銭、基本的に穴に紐を通してまとめて管理するから、欠けたり擦り減ったくらいならいいが、半分だけだったりボロボロだったりすると織田領以外でも価値が半減するからなぁ。
正直、本当に駄目な銭でよかったんだけど。三好家で銭を用意した人が気を使ったということだろう。普通に考えてゴミのようなものを貴重品と偽って送るなんて、あとでなにかあったらそこを突かれてた大変なことになるしね。
長慶さんには、次からはもっと駄目な銭でいいと書状を送るか。
先ほどの話に戻るが、織田領で商いする時にあえて悪銭鐚銭を持ち込む人、もうほぼいないからね。行商人とか領外で手に入れた悪銭鐚銭を使う人はいるが。
そういう意味では、織田領には銭ですら良銭が集まるのが現状だ。それを思うと、三好は確かに悪銭鐚銭を寄越したんだろう。
「流通する銭の質だけなら東国のほうがいいですね。関東であっても織田とあからさまに敵対しているのは安房の里見だけですから」
畿内における銭の質が深刻なことは、近江の秋から前に報告もあった。義輝さんのところに集まるお金の質と流通経路を奉行衆が調べた結果だ。
いくら先進地で経済も技術もあるとはいえ、貨幣の質がここまで落ちてくると問題になる。
史実みたいに全国規模で同じレベルならいいが、近江六角以東と明らかに差があることが見えているからなぁ。
関東、いろいろ面倒だけど、ほんと敵対しているのは里見だけだからなぁ。
関東管領の上杉憲政、彼にしてもこちらの面目を潰すようなことはしていないし。里見が可哀そうになるくらい暴利を得ていて、一部はこちらにも流れている。
「四郎殿を見ていて思うが、これ以上、恐れられ妬まれても良いことなどないのではあるまいか?」
呆れていいのか困っていいのか悩むが、そんな中、義信君の言葉にオレとエルは苦笑いを浮かべた。
ほんと、尾張は強くなり過ぎた。経済においても。今はそれ故に争わずに済んでいるが、何事も過ぎると害になる。
義信君の言うことはもっともだと思う。
「おっしゃる通りでございます。ただ、こちらが今以上に手を貸してもよく思われませんので……」
この件に関しては、現状だと注視するしかない。エルも言っているが、加減が難しいんだ。
石山本願寺、比叡山延暦寺、大和興福寺、熊野三山など。こちらの動きから学んで、内部では尾張に対抗するために自分たちも変わろうとしているところはある。
とはいえだ。こちらが手取り足取り指南している北畠と六角でさえ、あれだけ苦労をしているのが現状であり、いくら寺社とはいえ、そう簡単に真似出来ない。
貨幣に関しては、ほんと良銭が手に入らないとどうしようもないしね。
比叡山が近江御所に積極的に協力しているのは、経済的に強い三国同盟と争う気がないという証であり、彼らからすると畿内の有象無象のためにこちらと争ってやる気なんて更々ない。
まあ、おかげで近江御所は大きな問題もなく完成したし、新しい町の造営と新設する水軍に関しても黙認している。
「誰かが尾張と対峙してほしいと皆が思っても矢面に立つ者はおらぬ。現状では、こちらの利になるか。銭の鋳造を増やしたいところだが……」
それも難しい。工業村では銭を鋳造しているが、あくまで極秘でのことだ。これ以上やると、表沙汰になりかねない。この十年で露見しなかったのは、ウチがあまりにも異質なため、なにをどれだけ運んでいるのか誰も理解出来なかったからだろう。
実は名目上工芸品として作った金貨と銀貨、あと織田手形。これらは大きな寺社には相応に価値があるものとして流れている。尾張と商いをする際などに使えるからなぁ。
織田手形に関しては、今も領外への流通は基本認めていない。織田家で換金に応じる商人は、今も領内と大湊など許可を受けた友好地域の商人たちだけだし。
ただ、織田家とウチが価値を保証する品はどこの勢力も欲しいんだ。悪銭鐚銭を貯め込んでも価値がおちるだけだからなぁ。
偽造すると堺のように徹底的に潰すが、流通して手に入れて彼らが保持することまで禁止出来ないし、禁止していないのを理解している。
比叡山あたりも、これらの価値を下げるとか、面目を潰すようなことをしないと黙認すると見抜いているんだよね。
「近江と御所一帯の貨幣価値はこちらで維持します。兵を挙げるよりは楽ですよ」
今回、慶寿院さんとはいろいろと腹を割って話せた。あの人とは意思疎通が足りなかったし。足利政権の権威と権勢は当面、維持していかないといけない。
三国同盟だけじゃないんだ。日ノ本すべてとしても足利政権の復権を歓迎している。
乱世にうんざりしているのは、みんな同じみたいなんだ。
「そういえば、政所の伊勢が近江に出向くそうだな?」
銭の確認を終えた信長さんが口にしたのは伊勢貞孝のことだった。
「ええ、近衛殿下にお願い申し上げましたから。もう十分でしょう。上様のお許しも得ています。伊勢殿には、そろそろこちらに合わせていただきます」
ほんとあの人、誰かが仲介しないと戦になるまであのまま意地を張る気がした。
潰すのは少し惜しい人だ。滅茶苦茶な状況で曲がりなりにも都を維持した力量は他の人にはないものだ。
近衛さんも困っていたしね。彼が意地を張ることで、京の都の公家衆や諸勢力が尾張と争うのかもしれないと希望を抱く原因になっていると。
義輝さんとも話して、近江御所のお披露目に来てもらって話をすることにした。近衛さんを使ったみたいで申し訳ないけど、こちらが使者を出すわけにもいかないし。奉行衆は伊勢を憎む人が多い。さらにオレは表向きの立場が低いからな。
近衛さん、完全な味方と言いきれないんだけどなぁ。あの人なら大丈夫だという安心感がある人だ。立場的にも経験的にも他に頼める人がいなかったともいうが。
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