第2295話・朝を迎えて

※宣伝失礼致します。

 戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。9巻

 6月20日発売です!

 今までと同様にストーリーをより掘り下げる形で加筆修正してあり、書籍オリジナルの書き下ろしもあります。

 どうぞよろしくお願いいたします!!




Side:慶寿院


 朝の風は冷たい。されど日の光はなんと暖かいことでしょう。


 ついさっきまで、武芸大会の余韻のままに騒ぐ民の声がしていました。それが途絶えたことが少し寂しい。


 尾張の民は、すでに新たな一日を始めているようです。また来年も武芸大会という祭りを見るために、今日という日を生きる。


 未だかつて、かような国があったのでしょうか? いえ、あったとは思えない。僅かな者が豊かに暮らすことはあっても、下々の者まで笑みを浮かべて生きるなど、この世とは思えない。


 幾度か来ているのですけどね。常ならば、多かれ少なかれ至らぬところが見えるはずだというのに。


 城の庭を見ていると、犬と共に歩く子たちが見えました。楽しげですね。あの子らは今が乱世と知っているのでしょうか? 


 武芸大会の最中も、内匠頭殿は暇さえあれば子らの相手をしていました。私もそれなりに世を知り人を知るつもりですが、あの姿には驚かされました。


 当人のいずこまで考えがあったのか存じませんが、あの姿に皆が太平の世を察するのでしょう。争わず奪わず、共に生きて子らを導く。


 超えたかもしれません。朝廷と主上を。


 いかに隆盛し栄える者であっても、いずれは衰えてゆく。されど朝廷と京の都、寺社は不変だ。そう考えて機を待つ者が多いはず。


 それは事実であって事実ではない。尾張とていずれ衰える。それは正しきことでしょう。されど、その前に朝廷や寺社が衰えるのではと私には思えます。もしかすると衰えるだけでは済まぬのかも……。


 神宮の姿こそ、明日の朝廷かもしれません。


 朝廷は、あまりの多くの者を見捨ててきた。その怨霊が朝廷を奈落に引き込もうとしているように思えます。


 大樹はいかにするのでしょうか? いえ、内匠頭殿は、と言うべきでしょうか。すでに天下を動かしているのはあの者なのです。


 三国同盟の要となり、大樹を支えることで仮初であっても乱世を鎮めつつある。


 訴えがあった綸旨の真贋を大樹の下で見極める形を作る。左様なことを成せるのは内匠頭殿だけ。たとえ大樹であっても、後ろ盾なくして同じことをやろうとすると潰されるでしょう。


 この策により、綸旨を偽造し好き勝手なことばかりする諸勢力を抑える力となる。なんと恐ろしく素晴らしき一手でしょう。血を流さずして争いの元のひとつを封じるつもりなのですから。


 ただ、だからこそ尾張と畿内の差は、今後開く一方になるでしょう。誰も内匠頭殿に畿内を重んじろ。日ノ本を統べろとは言えませんから。


 朝廷も寺社も、上は皆が同じ血筋の者。今のところ、己の力で変わろうとすることをしているのは兄上と僅かな者だけ。変わらぬことが当然な身分故、致し方ないところはありますが。


 待っていても、最早、担いでくれるとは思えませんが……。困ったものです。




Side:久遠一馬


 武芸大会の競技が終わると、各地から集まった人たちが津島、蟹江、熱田、井ノ口などに流れて行く。近隣にて武芸大会に関する文化芸術、工芸品、農産物の展示をしているところを見に行くんだ。


 こちらもいろいろと効果がある。


 文化芸術に親しむ機会に触れたことで、各地にそれらが伝わっているんだよね。


 無論、それで暮らしが一気に楽になるわけではない。とはいえ、日常に僅かな彩りを添えることで、争い憎しむ日々から変わるきっかけになることはある。


 工芸品と農産物に関しては、それぞれの村で試すところが増えた。村で生まれ村で生きて村で死ぬ。そんな時代じゃなくなりつつあるからな。使えそうな道具を買ったり、新しい作物を試したりと領民も自分たちで努力している。


 そのきっかけになるのが武芸大会の工芸品や農産物になるんだ。人、品物、情報。これらがようやく上手く流れるようになったと言えるだろう。


「真柄殿、こんなに取り上げられているのか」


 そんなこの日の朝だが、一益さんが那古野の町で売っていたというかわら版を持ってきてくれた。


 ウチが始めたかわら版だが、今ではウチ以外でも作り売っている人がいる。


 今朝のかわら版は武芸大会の結果を伝えるものだったが、真柄さんの扱いが大きい。苦節八年、とうとう頂に……。なんて書かれている。


 敵地とも言える尾張に僅かな供を連れてきて、武芸大会に挑み続けた。その姿勢が尾張で人気の理由だろう。


「あの十郎殿がここまで挑み続けるとは……」


 ふと、資清さんは彼を初めて見た頃を思い出したのか、そんなことを呟いた。


 親父さんとかにも言わないで武芸大会に参加しちゃうんだからね。しかも、町中で慶次に手合わせを求めたことをきっかけにウチに泊まっていたくらいだ。


 なかなかいないタイプの人だ。


 ただ、資清さんの表情は悪くない。慶次もそうだし、家を飛び出した一益さんもそうだが、案外型に嵌らない人が好きなのかもしれない。


 そう思うと面白くもある。




◆◆

 永禄六年、八月。尾張にて第十二回武芸大会が行われた。


 この頃の武芸大会は、尾張ばかりか織田領全域で秋の恒例行事となっていたことが様々な資料に散見している。


 この年には将軍足利義輝の生母である慶寿院が観覧しており、武芸大会を楽しんだ。


 慶寿院の尾張下向は、尾張との友好を深めることと、この年にあった偽の綸旨に対する方針を話し合うためだったようである。


 その結果、義輝は諸勢力に対して、今後訴えがあった綸旨は内容を精査して、勝手に書き加えた部分がある場合や偽の綸旨であった場合には処罰すると通告している。


 綸旨の加筆や偽造など珍しくなかった時代に、これは衝撃を与えることになった。


 武芸大会に関しては飛び地となっていた奥羽からの出場者も多く、領内がひとつとなって競う場として盛り上がっていた。


 さらに足利家警護衆筆頭となった吉岡直光、越前の真柄直隆、伊勢の愛洲宗通など、織田領外から来た常連組の活躍も、大いに盛り上がるきっかけとなったようである。


 特にこの年は、真柄直隆が自身で削り出した大太刀にて挑んで優勝を勝ち取っている。


 東国が着々と尾張を中心に動く世の中に変わる中、彼の生まれ故郷である越前は未だ斯波家との因縁を解消出来ていなかった。直隆の立場も相応に難しいものであったと推測されるが、意外なことに残る資料では、彼が織田家に受け入れられている様子が多く残っている。


 またこれに関して、尾張にて隠居して病気療養中であった朝倉宗滴が、直隆の活躍を喜び、武芸大会最終日の夜に開かれた宴に出席していたという記録も残っている。


 久遠一馬が創設した武芸大会は、尾張のみならず多くの人にとって争いのない世での武士の生き方のひとつとして受け止められ、第十二回はそれが広がっている様子が如実に分かる武芸大会となっていた。

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