第2292話・第十二回武芸大会・その十一

Side:真柄直隆


 ふと先日、菊丸殿に言われた言葉を思い出した。越前の光明ってやつだ。


 ありがたい言葉だと思うと同時に、オレにとって越前と朝倉はそこまでしてやる義理があるのかという疑問も浮かぶ。


 朝倉の殿と宗滴様には多少なりとも恩はあるし、宗滴様が望むならというところはあるが、一方で他の朝倉一族と、国人、土豪、寺社は助けてやりたいとはあんまり思わねえ。


 当然なんだよな。愚か者や勝手をする者を助けている織田がおかしいんだ。仏の弾正忠と言われる所以はそこにある。


 まあ、そんなこと朝倉の殿だって承知の上だと思うがな。実のところ、朝倉の殿や宗滴様から朝倉家や越前のためになにかしろと言われたことはない。宗滴様からは一時の騒ぎで動くなとさえ言われた。


 たとえ尾張と越前が戦をしても、オレは尾張から離れるなということだ。


 正直なところ、オレには越前への望郷の念なんてのはあまりない。妻子も尾張にいて、最初こそ越前との暮らしや言葉の違いに戸惑うていたが、尾張者があれこれと助けてくれたおかげで今では楽しげな日々だ。


 親父や越前の所領が気にならぬと言えば噓になるが、いずれ織田が越前を治める時にでも助けとなればよいかと思う程度になるか。


 考えてしまうんだ。国とは領地とは誰のもので、誰が治めるべきなんだとな。尾張にいると当たり前だと思うことを考え直すことが多い。


 去年あたり騒ぎになった神宮とか見ていると、神仏を祀る寺社ですら、人の業しかないように思える。帝や朝廷のためにオレたちは苦しみながら生きるのか? それとも……。


「十郎左衛門、また余計なことを考えているね」


 ハッとした、出場者控えの間で目を閉じておると、いつの間にか今巴殿が来ていたのだ。


「豪快な武芸とは違い繊細だからね。あんたは。それはいいところだよ。人が気付かないところに気付くし。ただ、それがあんたの剣を鈍らせているんだ」


 返す言葉もない。そうかもしれぬ。されど、皆同じではないのか?


「考えるのを止めるといい。体の動くまま暴れておいで。あんたにはそのくらいでちょうどいい。技なんて体が覚えているものさ」


 その時、オレと柳生殿の名を呼ばれた。もう言葉は要らんだろう。深々と頭を下げて試合場に向かう。


 そうだな。越前も朝倉も忘れよう。今この場でしか出来ぬことがある。オレが本気で暴れても敵わぬかもしれぬ男がいるからな。


 勝つか大恥を晒すか。ふたつにひとつ。




Side:柳生宗厳


 暴れてこいとは、面白い助言をされる。確かに、そのくらいがいいのかもしれぬ。奥平殿のように、試合にすべてを懸けて動けることは意外に難しい。


 己の武功と名を挙げることのみを考えるような男ならば、もしかするともっと早く一番になっていたかもしれぬ。


 試合開始の合図とともに木刀を構える。


 得物の長さは向こうが上だ。しかも並みの力量ではない。


 くる……!


 初手から全力で突いてきた。それをかわすと返すように薙ぎ払ってくる。少し危ういが、こちらの得物の間合いに入らねば相手の思うままにされる。


「ほう……」


 一歩踏み込み、こちらも打ち込もうとしたその時、真柄殿は引いた。ここで引くとは思わなんだ。いつもならば受けておったはず。


「考えるのは止めたのか?」


「ああ、助言は素直に聞くことにしているからな」


 心を無になどと言われても、とっさに出来るものではない。むしろ、なにも考えず暴れてこいというほうがよかろうな。ジュリア様はこの男を熟知しておられる。


 拙者が構えると、真柄殿は再び木刀を振るってくる。動きに無駄が増えたが、剣筋の鋭さは増している。なんと厄介な。


 ふと、我が殿を思い出した。気遣いの人であり、ひとつのことにすべてを懸けるなど致さぬお方だ。出来ぬと言ったほうがいいかもしれぬ。それ故、武芸にはあまり向かぬお方だ。


 真柄殿もまた、大柄な体と豪快な武芸に反して気遣いの人だからな。もしかすると文官などもやらせてみたほうがいいのかもしれぬ。


「はぁぁ!」


 まことになにも考えておらぬな。体に叩き込んだ剣術をそのまま振るうだけ。それ故に厄介だ。


「はあ……はあ……」


 双方共に決め手がないまま、しばし時が過ぎた。互いに乱れた呼吸を整える。


 この動きは数年前、塚原殿の助言で槍の部門に出た時に似ておるな。


 真柄殿も拙者も、剣術のみならず槍術など武芸は一通り使える。ただ、武芸大会となると己が得意なものに専念したほうが勝てるのだ。それに反して塚原殿が出場を促した時に得たものが、真柄殿の体に染みついておったのかもしれぬ。


 さて、いかがするか。


 負けぬ試合に徹して隙を待つほうが勝ち目はある。さらに、考えることなく動く。その長所を短所に変えることも出来なくはない。惑わし迷わせることも学んである。


 されど……、それでは面白うないな。


 せっかくこの心優しき大男が本気で暴れておるのだ。それを潰すなどもったいない。


「そろそろ決めるか」


 全力で動けるうちに決着を付けたい。


 無用なものをすべて廃するように一点に集中する。会場の賑わいが消え失せるように途絶えると、真柄殿の姿しか見えなくなる。


 こちらから内に入り攻める。


 ああ、真柄殿は、先ほどよりも体の動きに無駄がなくなりつつある。まことに助言を心から聞いておるのだな。


 かような男故、今までギリギリのところで敗れてしまったのだろう。なんと、もったいないことをしたものだ。


 いつか、御家の敵となるか? 


 まあ、その時はその時だ。ジュリア様がせっかく整えてくださった場を楽しまぬほうがお叱りを受ける。


 一か八か。さらに懐に入る。久遠流を懸念して動きを変えるか?


「うおおおお!」


 真柄殿は無防備な懐を晒したまま、より強く木刀を握りしめると渾身の一撃を繰り出してきた。


 そうか、剣による勝敗を望むのか。ならばこちらも……。




「勝者! 真柄十郎左衛門!!」


 脇腹のあたりに激しい強打を受けて、僅かに鈍痛が走ったその時、見届け人の言葉が聞こえた。


「おい! 無事か!」


「ああ、防具があるからな。なければ死んでおったわ」


 少し慌てた真柄殿に笑うてしまう。


「なにがおかしいのだ?」


「おかしいのではない。面白き試合だったのだ」


 紙一重だ。紙一重で相打ちか拙者の勝ちであった。その紙一重は、今まで真柄殿が越えられなんだもの。


 ようやくひと山を越えたな。


「真柄殿、先は長いぞ」


「ああ、存じているさ」


 超えた者にしか見えぬものがある。真柄殿はその先に足を踏み入れた。


 数年前とは違う。此度はまことに踏み入れたのだ。


 いずこまで進めるのであろうな。真柄殿は。


 願わくは、無益な戦のない世で見届けたいものだ。




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