第2286話・武芸大会の最中に

Side:滝川一益


 いつの間にか、歳を重ねたなと思う。


 初めて武芸大会を行った時は、皆、年上ばかりであったな。今では年下の者が増えた。


 この十年余りで鉄砲や弓を学ぶ者が増えた。かつては槍こそ戦で武功を挙げるために必要であったが、織田家では槍働きにて武功を挙げることは減った。戦そのものが減っておるのだ。当然であろうな。


 領内にて賊や不逞の輩を討伐することはある故、そちらでは槍働きも求められるが。


 それがある故、槍を学ぶ者が大きく減ったということではなく、むしろ刀や槍と共に鉄砲や弓を学ぶ者が増えたというべきであろう。


「滝川様、今年も楽しみにしておりまするぞ!」


 試合場に向かう最中、皆に声を掛けられる。ありがたいと思いつつも、少し考えさせられる。


 実は、そろそろ武芸大会から身を引くべきかと考えておるのだ。父上から学び、引き継がねばならぬ役目があるからな。


 もともと、父上は武芸も用兵も人並であったはずだ。決して優れておったわけではない。それが御家に仕官して以降激変した。人に仕えることに関しては敵わぬと言う者が多いほど。


 特に、殿とお方様がたの心情を察しつつ御家の行く先を見据え、そのうえで織田家中や他家との間を取り持つのだ。その一点に関して言えば、今でも父上に勝る者はおらぬ。


 父上は、心を砕いて相手の身になって考えれば誰でも出来ると言うがな。わしには出来ぬのだ。故に、武芸も父の跡も半端になるのではと懸念しておる。


「彦右衛門殿、勝てよ!」


 わしの番か。幾度も武芸大会に出ておると、不要な力が入らず試合に挑めるようになる。気負いもない故、気楽だと言えば、武芸大会に心血を注ぐ者らに申し訳ないが。


 勝ちたい。一番になりたいという思いは今も変わらぬ。されど、わしは父上の跡を継がねばならぬという立場がある。


 殿やお方様がたのお考えを察して動くなど、わしにはまだ出来ぬのだ。鉄砲よりそちらを学ばねばと思うてしまう。


 正直、相応しき者が他におるのならば、譲ってもよいのではと思うところもある。御家の家老は家職ではないのだからな。


 ただ、代わる者がおらぬ以上、わしが継がねばならぬ。


 おっと、今は試合のことのみ考えねばな。雑念は仕損じるもとだ。




Side:久遠一馬


 いろいろな種目を同時並行で進めることで、多くの人が武芸大会を楽しむことが出来ている。これは参加人数が増えたおかげだろう。


 オレも見ていて楽しいんだよね。家臣のみんなとか知り合いの応援を兼ねてあちこち回るのが楽しい。


 ただ、今年はすれ違う人に他国から来た、身分がありそうな人が増えた気がする。


 武芸大会の観戦に関しては、ほんと諸国から多くの人が来ていて、中には名の知れた人もいる。清洲城に挨拶に来てくれると織田家で把握するものの、身分や名を隠して見物している人もいるので完全には把握出来ていない。


 今年なんかは比叡山延暦寺からも団体で武芸大会見物に来ているからなぁ。どこで聞きつけたのか、武芸大会の役に立ててほしいとまとまったお金を提供してくれたし。


 奥羽の一件も落ち着いたので比叡山との間に懸案はない。近江御所のお披露目も間近なため今争うのなんて誰も望んでいないことはあるだろうが。


 斯波家や織田家と誼を深めたい思惑はあると思うが、今のところそれ以上の狙いは見えない。報告では普通に尾張見物を楽しんでいるとあるくらいだ。招待しないから自分で来たのだろうと誰かが言っていた。


 織田家としても彼らは丁重に扱っているしね。とりあえずは様子見だ。


 それと、熊野が比叡山と同じく武芸大会を見物に来て寄進してくれた。


 信濃にある仁科三社の一件では、熊野も神宮と同様にウルザたちの面目を潰したんだけどね。堂々と来て見物したいと挨拶に来れば帰れとは言えないからなぁ。上手くやったなと思う。


 無論、オレと妻たちは熊野の関係者とは会っていないし、会う予定もない。もう関わらないとしたのは神宮も熊野も同じだからな。


 ただ、実は熊野は少し神宮のとばっちりを受けた部分もある。神宮と歩調を合わせていたが、交渉は別々に行っていて、先に神宮の使者が一方的な独立撤回に納得して、さっさと帰ってしまったことで戸惑っていた。


 神宮との違いは斯波と織田との関係が浅いことだろう。神宮の使者と違い、それでいいと納得したわけではなく、とりあえず本山に報告するからと熊野の使者も帰ったんだ。


 その後、知識や医療を与えることを止めると示したものの、もともと利益を得ていない熊野とすると、さしたる問題はなかった。


 今まで通り、それぞれでやっていこうという形だったからな。久遠船の定期便とか経済交流は期待していたらしいが、時期尚早と諦めて様子を見ているのが現状になる。


 どうも神宮と尾張との関係破綻を察して、巻き込まれないようにと考えたらしい。


 実際、熊野からは仁科三社の件は神宮が勝手に決めたことで本意ではない。ウルザたちの面目を回復するための話なら応じるという提案があった。交渉を持っている寺社奉行からは、公に過ちを認めてもいいとまで言っていると報告があった。


 神宮とは独立してくださいという段階で話し合いが止まっているが、熊野は独立したままだからね。自力でやっているだけに現状だと神宮より話が出来ているかもしれない。


 そもそも、誰も大寺院を潰したいなんて考えていない。恨まれたくないし。義統さん以下、織田家の総意として大寺院は自分たちでやってくれというのがすべてだ。


 関わりたくない。自分たちが神仏に祈るのは領内にいるお坊さんや神職の皆さんとするから、大寺院の力は借りなくていいという本音があるんだ。


 そんなわけで熊野とはゼロベースでの付き合いになっている。


 寺領、残しても破綻するだけなんだけどね。もうそれでいいのではという意見が評定衆には多い。配慮に配慮を重ねた神宮が、結局、お金だけもらって体裁は維持するようになったからさ。


 自助努力。ある意味、この時代の基本に立ち返って、自分たちで変わりゆく世の中で寺社と寺領を運営して駄目なら……、なるようになればいいのではという冷めた意見が増えている。


 織田家の皆さん、領地に左右されず、自分で寄進する寺社を選べるようになったことを喜んでいるんだよね。いまさら旧来の権威をもとに配慮をして寄進をしたくないと言う人すらいる。


 熊野はどうなるんだろうか?


 まあ、とりあえず武芸大会を楽しんで帰るだけで今はいいと思うが。




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