第2285話・第十二回武芸大会・その七
Side:内藤正成
あれから一年か。
何故か分からぬが、わしには武芸大会に懸けるほどの強い思いが未だにない。
ただ、一年前に出場して変わったところもある。羨ましいとは思うたのだ。武芸大会に己のすべてを懸けて挑める者らがな。
一族や同じ松平家中の者は、今年も当然のように出場しろと騒いでおったが、驚くべきことに織田家中すべてに清洲の大殿から下命があった。
武芸大会について、出るも出ないも当人の意思のみで決めるようにとの命だ。望まぬ者に出ろと騒ぐなということらしい。
わしのことがお耳に入ったのか。それとも同じく望まぬのに出ろと騒がれて困っておる者がおったのか定かではないがな。とはいえ、皆で盛り立てておる武芸大会に、望まぬ者は出ずともよいと言うてくだされたことは感謝しかない。
ひとりひとりの心情を大切にしてくださる。まさに仏の弾正忠様と言えような。
「内藤殿! 今年は勝ちまするぞ!!」
ふと考え事をしておると、若い者に声を掛けられた。同じく弓の本選に勝ち上がった者だ。
「うむ、楽しみにしておるぞ」
「はい!」
清洲の大殿の下命以降、騒ぐ者が随分減って、殿からも無理に出ずともよいとお言葉をいただいたが、思うところがありわしは出場しておる。
昨年、わしは一番になってしもうたからの。ここで引いて臆したと思われても困る。それに……、わしに勝とうと鍛練に励む者が多くおったことから出ることにした。
大島殿のように楽しめる場ではない。されど、楽しみ鍛練に励む者らに水を差すことだけはしとうなかった。
出場を取りやめるのは敗れてからがよかろう。そう思うたまで。
わしとて、かつての騙し騙される世を望むわけではないのだ。ただ、衆目の前で武芸をする気が起きぬというだけだ。
皆が憂いなく暮らせる国は決して嫌いではない。
願わくは、戦場にてお役に立ちたいがな。これも定めであろう。
Side:菊丸
武芸大会の試合では、勝敗を決める見届け人が三人おる。当初はひとりであったと聞くが、技量が拮抗するとひとりで勝敗を定めるには難しい試合が増えたからだ。
オレはその見届け人のひとりとして朝から役目を担っている。
いずれの者も一廉の武芸者として名を馳せるだけの力量がある。織田以外の地で生きれば武功を挙げることも難しゅうあるまい。
「菊丸殿、飯にしよう」
「ああ、済まぬな」
同じく見届け人として勤めておる者らと昼餉にする。母上が見物しておる席で出すような珍しき料理ではない。されど、こうして働き、皆と共に食う飯が一番美味いと思えるかもしれぬ。
「美味いな」
握り飯を頬張った男が少し驚いたように笑うた。
「ははは、今年は上物の焼き塩だそうだ。わしは、これと白飯だけでいい」
まことに、皆、よき顔で笑うな。将軍としておる時に、かような顔で笑みを見せてくれるのは、師と兄弟子ら、それと一馬たちくらいだ。
古き習わしに異を唱える気はない。されど、共に笑うくらいは出来ぬものかと常々思う。難しいな。
「今年で十二回目か。思えば長くやっておるなぁ。一度は自ら一番になりたいと思いつつ、こうして役目をこなす日々だ」
「確かに、だがそれも悪うない。戦はなくなるかもしれぬが、武芸大会は子や孫たちに残したい」
戦がなくなる。この国では、それがあり得ることと誰もが考え始めた。初めは一馬らが考えて皆を導いておったというのにな。今では多くの者が共に考えておるのだ。
それは尾張や織田領の者ばかりではない。
武芸大会と花火は織田と久遠の銭で始めた。誰もが知っておることだ。それもあって、今では諸国から武芸大会への寄進が集まる。
オレも義輝として銭を出しているし、今年は、北畠、六角、北条、朝倉、三好、本願寺、延暦寺、興福寺、熊野大社など多くの諸勢力が多かれ少なかれ銭を出しておるのだ。
ああ、前古河もまた、多くはないが銭を寄進しておったな。あの男もなかなか油断ならぬわ。
寺社は武芸大会にはあまり関わりがないのだが、矢銭も求めぬ尾張と誼を深める数少ない機会だからな。なにより一馬が始めたことに己らも加わるという意味を理解し始めた。
争いのない国で居場所がほしいのは延暦寺や興福寺とて同じなのだ。
恐ろしい男だな。一馬は。ただの人でありながら、誰もが手を焼いた寺社を従えつつある。あの傲慢な者らが頭を垂れる日も遠くないのかもしれぬ。
Side:リンメイ
津島が担当している書画の展示は、年々展示する数が増えて見物する者たちも増えているネ。
狩野派の者たちの書画も今年は加わった。近江の奉行衆の伝手で良かったら展示してほしいと参加してくれた者たちがいるのよ。
御所造営では彼らが襖絵などを担当しているものの、上様の意向で一部はメルティたちが担当したところもある。そんなところから交流がある。
今までにも名を出さぬだけで見物には来ていたということだけどネ。多くの絵師の書画が一度に見られる。そのことに喜んでいるのは諸国の絵師も同じなのよ。
貴人や寺社が秘匿するような書画を誰でも見られる。この時代の人からすると画期的なことだからネ。
「清洲に行くかと思ったけど、こっちで露店を出している絵師も多いわね」
津島神社で書画の展示の手伝いをしていると、町の様子を確認しにいったマリアが戻ってきた。
「うふふ、芸術の町というのもいいネ」
他者の絵を見て学ぼうという絵師たちが津島には集まっている。ついでに露店を出して名を売りつつ銭を稼ぐ。そこから交流が生まれて芸術関連の発展が期待される。
市井の民を相手に絵を売って生きていけるのは、尾張をはじめとしてごくわずかな裕福な地域しかない。そこに安定した物価と貨幣価値が加わると尾張は日ノ本で唯一、憂いなく芸術活動が出来る国になりつつある。
「町は平和そのものだったわ」
「血の気の多い者は清洲に行くからネ」
清洲や那古野、あと工芸品の展示をしている蟹江は賑やかだと思うネ。ただ、津島と熱田は比較的落ち着いた武芸大会になっている。
諸国にある寺社の学僧なども、書画や和歌の展示を見たいと尾張に来ていると報告もある。文化面が諸国との交流を下支えして、利権や経済的な争いと別の観点から相互理解出来たらさらにいい。
無論、そこまですべてが上手くいくのかは分からないけどネ。
司令が考えた武芸大会は、確実に日ノ本に定着して変えつつある。皆で共に競い共演する。京の都の者たちは、その場が尾張であることに不満を抱いているかもしれないけどネ。
武芸大会はみんなで育てたお祭りだから。
これは司令の意思ではない。人々の意思からなるお祭りになるネ。
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