第2277話・慶寿院との会談
Side:久遠一馬
慶寿院さんと春たちが到着した。
今回は義輝さんがいないものの、当然ながら将軍様の生母なので相応の歓迎をする。事前に過剰な歓迎は控えるようにと書状が届いているけど、必要な歓迎はする。
足利政権と尾張の関係は、最早、切っても切れないものになる。とにかく意思疎通と相互理解を深めていく必要があるんだよね。慶寿院さんも尾張を知ったことで随分とこちらを理解してくれたし。
大会予選も進んでいる。吉岡さんは警護衆になったが今年も予選突破したそうだ。義輝さんが自ら出場を促しただけに予選突破の結果は本人が一番安堵しているかもしれない。
義輝さんが武芸大会を好きなことが広まったのだろう。警護衆からは他にも予選に参加している人がいるが、残念ながら本選出場は吉岡さんのみだ。ジュリアが言うには武芸大会に向けた鍛練をして何年か出場を繰り返せば勝ち上がれる人材だとか。
負けた人は警護衆になれたのに予選で敗れてしまい面目が立たないと困っていたらしいが、義輝さんはむしろ褒めると思う。実際、菊丸として試合を見守ったらしく、よく頑張ったと喜んでいたんだよね。
塚原さんと話をして、彼らのフォローをしようかと考えているところだ。
あと今年は奥羽予選も開催していて、奥羽からの出場者が季代子たちと共に尾張に来ている。参加することに意義がある。そこに気付いている人は奥羽にもいるそうだ。なかなか侮れないなぁ。
さてこの日だが、オレとエルと信長さんは、数人の家老衆と共に慶寿院さんと綸旨の真贋を確かめることについて意見交換をしている。
尾張にいる公家衆と事前に話をして、一応、意見交換は出来るレベルのことは教えてもらったうえでの話し合いだ。ちなみに彼らは同席していない。望まなかったんだ。目立ちすぎて近江や京の都の公家と対立することを恐れている。
綸旨のチェック体制は、慶寿院さんが六角義賢さんと春たちとまとめたものがあり、それをベースにしている。
「朝廷は綸旨の始末を出来ませんでした。それが真継のような者を生んでしまいました。これは公卿も足利も寺社も同罪なことです」
どうしようもないことだから誰もが触れなかったんだよね。それはオレたちも同じだ。ただ、慶寿院さんはその事実を逃げることなく受け止めている。
以前お会いした時から感じていたが、義輝さんの留守を預かっていたのが慶寿院さんなんだよね。将軍である義輝さんに内々では苦言を呈しつつもその意思を疎かにしない。
なんというか、変わらぬままあることを望む公卿家出身らしいと言えるし、出過ぎたことをしないところなんかは苦労をしたのだろうなと思わせる。
一言で言うと政治家として一流だということだ。
「過ぎたることをあまり掘り返す気はございません。誰も得をしませんし。内々で話して解決出来るならそれでも構いませんよ。今のことと、これからのことを考えたいと思っております」
これはすでに評定衆で合意したことだ。保内商人の綸旨を確かめて偽物と断定することで影響力は落としたいと六角が動いているが、それだって潰すわけじゃない。
偽の綸旨を用いた者や勢力を処罰して、得ていた利を返還させるなどするのが正しいのかもしれないが、あまりに長い間、偽の綸旨が横行していた。
やり過ぎると朝廷の権威が失われるだけだ。ただでさえ、尾張の隆盛で揺らいでいるというのに。
まあ、長い目で見ると、ここで膿を出したほうがいいというのも確かなんだが。例によって恨まれてまで膿を出して朝廷や寺社、武士たちを正してやる人がいない。
朝廷がやればいいんだが、そんな力はもうないしね。足利政権にも織田家にもそんな余裕はない。
慶寿院さんとは、抑止力になる綸旨の改め役を設けることで合意した。人選は任せるつもりだ。京の都の稙家さんが上手い落としどころを見つけてくれるだろう。
あとは留守がちの義輝さんの代わりに慶寿院さんが目を光らせてくれたら、当面の問題はない。
Side:慶寿院
綸旨にまつわることで話がまとまりました。もう少し拗れるかと案じたのですが、それもなく。
争いを好まぬ内匠頭殿らしいと言えますが、同時にやはり内匠頭殿は綸旨の対処が出来ない朝廷や寺社を変えてやることもしてくれませんね。
政をする者としては正しい。内匠頭殿が手を出す道理などないのですから。されど、変わりゆく尾張の外に手を出さないということは、変わることが出来ない者を見捨てるというのに等しい。
朝廷も寺社も武家も、皆がそれぞれに勝手に生きている時代。内匠頭殿はそれに従っているのみ。なにひとつ悪くない。
この件は答えなど出ないのかもしれません。そもそも、内匠頭殿には今ほど足利を支える道理などない。義理以上に支えてくれているのは理解しております。分かってはいるのです。されど……。
「朝廷は厄介なものを残しましたね」
「それは思いますね。綸旨を出すなとは言いませんが、譲位の際にでも確かめて再度同じ綸旨を出すか見定めるとかするべきだったと思います。それが無理だったのは承知しておりますが」
「内匠頭殿の懸念は寺社ですか?」
私なりに尾張を学び、この者を知ろうと努めました。私が知る中で、もっとも天下を治めるに相応しい者です。それ故、この問いが頭に浮かびました。
無論、私に本心を明かしてくれるとは思えませんが。
「ええ、そうですよ。特に仏の権威で時には帝の上に立とうとする寺社には憂慮しております」
驚いてしまったかもしれません。ここまではっきりと言うとは。誰しもが思っても言えないことを言える。いえ、私に言うべきだと即座に判断した。
大樹を導き変えたのは、やはり内匠頭殿と奥方衆だと改めて実感します。
「存じているのでしょうが……。それは足利だけではなく、朝廷も代々の公卿も成し得なかったことですよ」
寺社は世を支えると同時に、己が力と権威を高めることで世を乱すこともしてきた。最早、朝廷でさえ抑えられぬほどに。
朝廷にも公卿にも足利にも責はあるでしょう。されど、足利よりも遥かに古くから権威ある寺社は、いかんともしようがなかった。
「私如きが口を出すことではございません。ただ、憂慮はしております」
答えは尾張にありということですか。寺社を正道に戻す。尾張ではすでに始まっていることです。
寺社もまた腐敗と変わることを繰り返している。古き権威ある寺が腐敗すると、新しき者たちが新たな宗派をつくることによって。終わることのない寺社の増長と争いを断ち切ることが出来るのでしょうか?
もう少し話したいところですが、今日はここまでにしておきましょう。
内匠頭殿にも立場があるのですから。
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