第2275話・慶寿院の旅

Side:慶寿院


 四季殿たちと共に伊勢に入りしばらくした頃、輿に身を委ねていると曙殿が参りました。


「慶寿院様、次の村にて休息に致しとうございますがよろしゅうございましょうか?」


「構いませんが、いかがしたのですか?」


「雨が降るかもしれません。念のためでございます」


 そういえば少し空が曇っていますね。急ぐ旅でもないのです。曙殿に一切を任せましょう。抜かりなく差配する様子は口を出す必要もないほどですから。


 それにしても、久遠の知恵とは思うた以上に奥深い。


 私の周囲には長年従う者たちがいますが、同じく輿の側にいるのは織田の女警備兵です。常ならば四季殿の周囲にいる者たちで、当然ながら侍女らも主を守る心得はありますが、女警備兵はそれ以上に守ることに長けた者たちなのです。


 なんと頼もしき者たちでしょう。さらに女の身である者が恥じることなどないようにと心配りも出来る。男が守ることが悪いとは言いませんが、時には離れねばならぬこともありますから。


 女も外に出る久遠ならではの知恵と慣わしと言えばそうでしょうが、権威や形にこだわらずあくまでも実の利を求める。古き形のまま変えることを望まぬ公卿が勝てる相手ではない。




「降りましたね」


 村に到着し寺に入ると、ほどなくして雨がこぼれてきました。


 天を動かすことは出来ない。ただ、天の動きを読むことは出来るのかもしれない。人の知恵で。


 古きを重んじつつ新しきことをする。世は広い。京の都も畿内も狭く感じるほどに。尾張を知るとそれを教えられます。


 今ならば分かる。院は京の都を離れたいのでしょうね。もしかすると主上も……。


 主上と関白の不仲は私の耳にまで届くほど。今は兄がいるのでいいのでしょうが、あの甥では公卿は道を誤るかもしれません。


 主上や院は公卿のためにあらせられるのではない、日ノ本のためにあらせられるのです。


 武士が公卿以上に主上や院の御内意を察して支える時が来たら、公卿家はいかがなるのでしょうか?


 鎌倉を築いた源頼朝公の直系が三代で途絶え、数々の武士が落ちぶれたように、公卿もまた……。


 それも定めなのかもしれない。そう思えてなりません。




Side:久遠一馬


 今年は伊勢と近江からの来訪者が多いなぁ。北畠と六角領の者たちが武芸大会見物と尾張を見分するために来ているみたいなんだ。


 黙っていると誰も教えてくれないからね。寺社は経済と流通の主導権を奪われ力を落としているし、武士もまた国人や土豪などではどうしようもない時代に差し掛かりつつある。


 信秀さんは優しいのだろうね。尾張や美濃、三河など縁があるところでは諸勢力を尊重しつつ変えてやっていた。


 北畠や六角、織田の領国である信濃、甲斐、駿河、遠江などでは、そこまで面倒見る人はいないんだ。


 まあ、織田家中が配慮疲れになったこととかもあるが。


 今日、島の子たちは学校を訪問しているはずだ。尾張と久遠諸島では同じ学校でも教育していることが違う。久遠諸島では日ノ本のことを他国のこととして学ぶことはあるが、それ以上ではない。


 代々の武士とかいないし、宗教家もいない。なので日ノ本よりもさらに自由な教育をしている。


 その辺りは島にいる妻たちに任せたが、必要以上に卑屈になるべきじゃないし、自分たちの形を作るべきだという方針にはオレも賛成した。


 中長期的に見ても島の統治権を明け渡すことは無理だなと気付いていたしね。それもあって、学校間の交流は互いにいい刺激になるだろう。




 オレは、東国における不作に関する評定に出席している。


「出さずともよいと思うがな」


「そういうわけにはいくまい。縁があるところを見捨てられぬのは我らと同じ」


 あちこちから米や雑穀を売ってほしいという書状が届いている。そこまで困っているわけではないものの、領内の不作に対処しようとしている人たちもいるんだ。


 ただ、織田家ではこの件に関して、賛成と反対が入り混じるんだよね。


 もう評定衆だと寺社というだけで無条件に信じる人はほぼいないし、武士はもっと信じないからな。


 これ以上、権威あるところや独立した武士の面倒を見たくないという本音が割と多い。


 あと厄介なことになっているのは、過去に織田家とウチを軽んじた武士や寺社だ。


 商品を寄越せと上から命じるなんていいほうで、脅迫まがいのことをしたりしたところもあった。今川や武田に戦略物資などを売らないでとお願いしたのに無視したところとかもあったからな。


 数年で立場が激変したため運が悪いとも言えるが、過去の行動を謝罪するタイミングを逃し、未だに謝罪していないところは相手にしていない。


 中には、そんなことなかったかのように書状を寄越しているところもあるけど。


 いわゆるブラックリストにあるところには、謝罪して責任を取らないと商いはしないと言ってあるんだけどね。


 面目を気にして非公式の謝罪で許せ、銭なら多少出すというくらいでは、もう話は進まないんだ。


 まあ、領国代官で判断して売ることもあるけどね。中には領内の寺社や血縁者が仲介する形で商いをしたり謝罪させたりしているところがある。


 ちなみにこの手の話になると、必ず売買の値段で揉める。


 自分たちは特別扱いされるべきだと思う人ほど、織田領内の安い値段で米や雑穀を売ってほしいと言い出すんだ。こっちは織田領以外の流通価格、不作で値上がりした価格で売るのが最低ラインの条件なんだけど。


 さらに、こちらに米を売る時なんかは織田領内の買い取り価格ではなく、それ以上の高い価格で買えと言ってくることが普通にある。


 ある意味、商いとしては当然なんだけどね。自分の品は高く買え、そっちの品は安く寄越せ。ただ、力関係を無視して権威やら縁でそれを言い出すから、間に挟まれる人や商人が困るのが普通にある。


 もう権威や血筋で騒ぐ人を厄介としか見ていないので、突き放す人が増えているわけだ。


 ウチの島の子供たちには、びっくりするくらい優しくしてくれたんだけどね。歓迎の宴の際にも子供たちを喜ばせようと、舞いを踊ったり歌ったりしてくれた人がいるんだ。今では諸国に名が知れた歴戦の武士なんだけどね。


 領国の外は外国だ。ある意味、戦国時代の価値観になる。


 オレもこの手の話にはあんまり口を挟まないしね。皆さんで決めてほしい。オレが譲歩すると、織田家の皆さんが不満を貯め込むからなぁ。


 なかなか難しいね。


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