第2274話・子供たちとの宴

Side:六角義賢


 あれから近江の様子は変わりつつある。わしと蒲生下野守が要らぬと突き放したことが、それだけ驚きであったらしい。


 守護としての務め以上に助ける気がない。いくつかの寺社にそう示しただけで、態度を一変させた者らも少なくない。国人や土豪は分かる。あやつらは世の流れすら理解しておらぬからな。だが、寺社もまた同じであったことには失望するしかない。


 無論、織田が散々寺社と揉めたことを思えば今更なことだが。あれでは奴らの語る神仏など信じるに値せぬと、わしですら思うのだ。


 此度のことが知れ渡るに従い、六角家中や近江において同じように寺社に疑念を抱き失望する者が増えておる。


 まあ、本音を言えば、寺社に疑念を抱くことは昔からあったのであろう。それを言えぬだけの力が寺社にはあった。今は、その力に陰りが見え始めただけなのかもしれぬ。


 東より日が昇ることによってな。


 それと、偽りの綸旨の件もあったな。あれもまた近江と諸国に驚きを与えた。偽りの綸旨を用いた真継があっさりと処刑されたことで、諸国の者らは朝廷と上様のいずれが上か。理解したようなのだ。


 無論、正しくは上様とて朝廷の臣でしかないのだが。ただ、公卿公家が真継の面目すら守らなんだことには驚いた者が多い。


 誰かが謀ったわけではない。言い出したのは地下家の者らだ。されど、八風街道と千種街道の一件があった直後にこの件があったことで、近江の様子は一変したのだ。


 もとより争うほどの気概がある勢力はおらぬが、口先だけで利を得ていた者らに、それは当たり前でないと示した影響は大きい。


 決してわしの力で得た権威ではないのだがな。皆が恐れるようにすり寄る様を見ておると勘違いしそうになるわ。


「御屋形様、少し休まれませ」


 考え事をしつつ役目をこなしておると、近習に言われて手を止める。


 此度、上様は菊丸として武芸大会を楽しまれるが、慶寿院様は曙殿たちと共に武芸大会見物に行かれた。尾張との誼を深めて、今後、諸勢力から訴えなどがあった際に綸旨を確と吟味する形を決めねばならぬからな。


 他国ならば違うが、尾張ならば慶寿院様おひとりでも懸念にはなるまい。


「武芸大会か、わしも見たかったのだがな……」


 上様も慶寿院様もおらず曙殿らも帰国した。さすがにわしが近江を離れるわけにはいかぬ。


「今年は見物に行った者が大勢おります。出るとなると敗れた際に面目が立たぬと気にする者も、見物ならば気負うことがございませぬ故。それに御屋形様が断固たる決意を示したことで、尾張に学ぼうという者も増えたようにございます」


「ああ、それでよい。己が所領で威張っておる者に先などない」


 わしのところにも、尾張に武芸大会見物に行ってよいかと内々に問うてきた者が幾人かいたな。勝手に所領を離れて他国の祭り見物に行って不興を買いたくないのであろう。


 留守を気にせず行ってこいと送り出したが。


 少しでも尾張に習い、己が所領を変えたいと申し出る者が増えてほしいものだ。




Side:久遠一馬


 今夜は歓迎の宴だ。義統さんと信秀さん以下、評定衆が妻子同伴で出席している。


 子供たちの修学旅行なんだけどね。みんなで歓迎したいという意向があるそうだ。


 形式としては日ノ本の形になる席次を決めてお膳での宴だ。これに関しては日ノ本の流儀を経験させてやりたいからと、こちらからお願いした。


「よう参ったの。堅苦しい挨拶など無用じゃ。さあ、宴としよう」


 最年長の子が挨拶をすると義統さんは笑顔で受けて、すぐに料理が運ばれてくる。


 子供の様子は少し緊張しているみたいだ。礼儀作法とか学んだことはあっても日常で使ったことはないだろうしなぁ。


 ただ、お膳が運ばれてくると表情が緩む。


「カレーだ!」


 子供たちが大好きな料理のひとつであるカレーがあることで、一気に緊張が解けていく。


 ただ、これって……。


 思わず驚いて隣にいるエルを見るも、エルもまた驚いている。


 メインとなるお膳には平皿にご飯が盛り付けてある。そこに小ぶりな黄金焼きことハンバーグと鶏の唐揚げとエビフライが同じ皿に盛り付けてあって、別皿にカレーと少量のウスターソースがある。


 自分で掛けて好きなように食べればいいみたい。


 さらに別の皿には、見事な焼き加減の卵焼きとポテトサラダが添えてある。汁物がきのこのすまし汁だ。デザートとしてプリンもある。


 全体のボリュームも、多くもなく少なくもなく。小さい子でも食べきれる量だ。


 驚いたのは盛り付けと見た目だろう。なんというか……、お子様ランチに見えるのはオレだけか? 日の丸の旗を立てると、もうお子様ランチにしか見えないだろう。


 ウチや学校でたまに食べる。ワンプレートランチを参考にしたんだろうなぁ。洗い物を減らせていいからと割と好評らしい。


「うわ! すごい!」


「おいしそう!!」


 緊張なんて忘れたかのように嬉しそうに騒ぐ小さい子たちに場の空気が和む。


「いただきます!」


 最近、すっかり尾張でも定着した食前の挨拶をすると、冷めないうちに頂く。


「料理番、さすがだね」


「ええ、お見事です」


 ご飯にカレーを掛けて分かった。辛さよりもマイルドさが際立つ子供向けのカレーだ。孤児院のカレーに近いが、孤児院より出汁が利いていて美味しい。


「こういう趣向もよいの」


「ああ、カレーと共に食うと美味い」


 歓迎してくれている織田家の皆さん。ご飯に黄金焼きと唐揚げとエビフライが乗っている姿に驚いていたが、食べてみると好評らしい。


「ひとつの皿に料理を盛り付けることは、学校ではたまにあります」


「なんと、そなたら、わしらより美味いものを食うておるな」


「贅を尽くした料理ではございませんが、工夫することで美味しいものを出して頂いておりますから」


「わしも役目を辞して学校に通いたいわ!」


 親子、近くの人同士など、いろいろなところで楽しげな話が聞こえる。


 島の子供たちもまた、そんな人たちを見て親近感を覚えているように見える。少なくとも一緒に宴をすることで、日ノ本の偉い武士という存在から身近に感じてくれている気がする。


 義統さんか信秀さんが狙ったんだろうなぁ。織田家の皆さん、今までにもその場に合わせて宴に参加してきた武士なんだ。


 評定衆ほどになると、戦より接待や宴の場での振る舞いのほうが上達したかもしれない。


 ふと、近くにいた子供たちがオレに笑顔を見せてくれた。


「りょうしゅさま、たのしいね」


「領主様が日ノ本で困っておられなくて安堵しました」


 何気ない子供たちの言葉に、近くにいた織田家の皆さんが安堵したのが分かる。


「尾張と島のみんなの双方のために、共に生きて助けてくれている方たちなんだよ」


 大丈夫だと思いつつも心配していた子が、それなりにいるみたいだね。


 滞在期間中に少しでも尾張のいいところを理解してほしいなぁ。




◆◆

 お子様ランチの歴史は古い。


 かつては子供御膳と呼ばれていた。


 永禄五年の秋、久遠諸島にある学校の生徒たちが尾張訪問をした時に織田家の料理人が作ったのが元祖と言われている。


 先に久遠諸島を訪れた織田学校の子供たちを久遠家では島を上げて歓迎したことで、織田家でもまた同じように尾張を上げて歓迎した時の料理になる。


 それまでと違い、子供たちの味覚に合わせた好物を用意し、量を多く食べられない子のために、ひとつの皿にカレーと、肉料理と揚げ物を一緒に盛り付けた。これは当時、武家の作法にはないものだった。


 宴に出したのは久遠家に料理を学んでいた料理人のアイデアだったと織田家の資料に残っている。発想のもとは久遠家とされ、ひとつの皿に異なる料理を盛り付けて食べる習慣があったものを子供向けに考えたとある。


 これが子供たちのことを第一に考えた料理と盛り付けの始まりであり、それが武士たちに伝わって子供たちの晴れの日などに用いられ広まった。


 なお、現代のお子様ランチでよく見る日の丸と久遠の家紋の旗だが、正確な記録こそ残っていないものの、一般に広まったのは近代以降になる。

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