第2270話・娯楽の今

Side:久遠一馬


 稲刈りの季節だ。米はやはり全体的に不作で、甲斐とかは特に収量が少ない。ただ、救荒作物の収量は悪くない。


 東の関東でも不作だ。とはいっても、この時代不作は珍しくない。今回の飢饉が歴史に残ったのは、二年連続での不作が深刻だったからだろう。


 関東がどうなるかは、これからだ。


 領内は落ち着いている。今のところ食料が足りないところはないし高騰してもいない。流通ルートは様々あるが、織田は他では生産出来ない品々を中心に付加価値がある商品を売り、対価を得ている。


 最終的には米などの現物が尾張に運ばれることが一般的だ。さらにこの十年余りで増やした備蓄もあるので領内で飢饉となることはないだろう。


 他国に関しては今のところ出来ることがない。この時代は元の世界とは違う。領国が違えばまったく違う国と言っていい。そもそも自己責任が常識になる。それを求め良しとしているのはこの時代の人だからね。


「凄い賑わいだなぁ」


 清洲運動公園は武芸大会の準備と予選会で賑わっている。


 参加希望者は年々増えていて、予選を運営するのも大変だ。領国単位での予選会を行っているものの、どうしても清洲の予選会が一番混雑する。


 ちなみに地方予選から勝ち抜いた者は、本選参加に必要な旅費を織田家で出している。そうしないと庶民は本選に出られないからね。ほかに織田家では、余所者の出場者からは費用を取るべきではという議論が数年前からある。


 ただ、武芸大会に参加するために集まる武芸者たち、基本お金をあまり持っていない人が多い。初期の頃に参加していた三河の奥平さんみたいにさ。


 それもあって、出場者には無料の宿泊所を用意しているくらいだ。費用を取っても払えない人が増えるだけになるから、今のところは議論に留めている。


「新しい紙芝居があるのでござる!」


「人形劇もあるのですよ!!」


 今日のお供はすずとチェリーだ。実はふたりとも妊娠しているんだけど。ほぼ同じ日に妊娠したと思われる。夜を共にする日が同じだからなぁ。ふたりとは。


 仕事を減らして産休に備えている以外は、日常生活は特に変わっていない。多少、行動に気を付けているようだけど。


 ふたりに限らず、妻たちは人として生きても本質はあまり変わらない。まあ、人格形成が終わるくらい生きた生命体はそんなものなのかもしれないが。


 好奇心旺盛なところは長所だろう。今になるとそう思う。紙芝居と人形劇を広めるのに貢献したのは、すずとチェリーだ。


 ふたりが紡ぎ出した物語が、今では多様化しつつある。


 権威や地位を高めるために使うことは基本的にない。寺社が人集めのために紙芝居や人形劇をやることはあるけどね。


 能のように特定の人の家職として独占する気もないし、みんなで楽しめる庶民の娯楽だ。


「ときだ!」


「わるいとのさまだ!!」


 子供たちに今でも人気の演目のひとつは土岐頼芸を題材にしたものだ。一応、仮名にしたんだけど、みんな知っている話なだけに元ネタを知らない人は子供にもいない。


 頼芸の物語、今ではすずとチェリーが作った以上の内容になっている。誰が調べたのか、過去の争いを基にしたお話が追加されているんだ。


 兄や甥と争い、子を廃嫡にして自滅した。こういうお話の元ネタに事欠かないからだろう。


 土岐一族、美濃に多いんだけどね。今ではそれを名乗る者はほとんどいない。追放した子供たちは健在だけど、嫡男は仏門に入ったままだ。史実ではそのあとを継いだ土岐頼次はそろそろ元服する頃だが、六角の庇護の下、京の都で今でも暮らしているとか。


 多分、土岐を名乗ることはないだろうと聞いている。


 あれから年月が過ぎ、オレも信秀さんも義統さんも怒ってなどいない。時折、土岐一族のためにも名誉回復する機会はあっていいのではという話もあるが、今のところ実現に至っていない。


 頼芸の名誉回復はもう無理だろう。あの時代としては当然のことをしていただけだが、彼はやり過ぎた。史実でさえ美濃衆から見放されたことから考えてもね。


 誰か土岐の名を継いで功績を挙げればいいんだけど。まあ、今のところ名を継ぎたいと言う人はいないんだ。


「久遠様だ!」


「刀様! 忍様!」


 オレたちの姿を見つけると、紙芝居や人形劇を見ていた子供たちが駆け寄ってくる。紙芝居と人形劇をやっている人も中断して控えた。


「みんな、いい子にしているでござるか?」


「いい子にしていたら、今度また新しいお話を見せてあげるのですよ!」


 すずとチェリーが子供たちと一緒になって楽しむ姿は今も変わらない。ただ、少しだけ大人の顔をするようになった気がする。


 かつてすずとチェリーが一緒に遊んでいた子供たちの中には、大人となり子供が産まれた子たちもいる。ふたりはそんな子供たちが、元服や結婚や子供が産まれた時など、人生の節目を迎えた時には贈り物をして祝ってあげている。


 広域警備兵の役目もあり、あちこちを駆け回っていることもあって、意外な人脈があったりするんだよね。


「あっちにね、新しいお芝居があるんだよ!」


「ほほう、それは見に行かねば!」


「そうなのです! 私たちも行くのです!!」


 子供たちから仕入れた情報を基に歩き出すふたりにオレも付いていく。


 お芝居といえば歌舞伎。これの元祖になりそうなものが尾張にある。派手な着物を着るなどして踊りやお芝居を見せている人たちがいるんだ。


 傾くという言葉は以前からあるが、ウチのみんなが慶次を傾奇者とか呼んでいるせいで、傾奇者という言葉も、尾張だと派手な服を着て傾く者という意味で通用するほどになっている。


 そのうち誰かが歌舞伎と繋げるのかなと思いつつ見守っているところだ。


 ちなみに内容に制限とか規制をほぼ設けていないので、元の世界だとあり得ないような内容もある。


 世が乱れるのではと懸念の声もあるが、庶民の娯楽を規制するのはあまり好きじゃない。


 実際、喧嘩で刀を抜く人も見なくなったし、迷子の子とかがいたら保護して警備兵に預けることをみんなしてくれるしね、昔に比べると治安は確実に良くなっている。


 人様の迷惑にならないようにやりなさいということは指導していて、それは守ってくれている。あと手洗いうがいとか、病に罹らないようにするための指導もしてくれていたりするんだよね。


 お芝居の内容はともかく、彼らも織田の治世を理解して協力してくれている仲間になる。




◆◆

 歌舞伎の起源は諸説あるが、永禄の頃に尾張で流行っていた『お芝居』という庶民が演じていたものが元になっているという説が有力である。


 大元は久遠家が始めた紙芝居と人形劇であるとされ、それ以前にあった絵説きを大人から子供まで楽しめる娯楽として定着させたものを、尾張の人々が独自に演じたのが始まりと伝わる。


 初期の頃の紙芝居は絵師の方こと久遠メルティ作が多いが、徐々に尾張の人々や諸国から集まった絵師たちが作るようになり、物語も増えている。


 人形劇に関しては、刀の方こと久遠すずと忍の方こと久遠チェリーが尾張で披露したのが始まりである。特にふたりは古くからある日本の物語や伝承を分かりやすくしたものや、独自に創作した物語を生み出した。


 広域警備兵の役目を担っていたふたりは賊狩りと恐れられたが、尾張では新しい物語の創作者としても名が知られていた。


 現代では歌舞伎の生みの親とも言われ、ふたりが創作した物語は今も紙芝居や人形劇と共に歌舞伎にて受け継がれている。



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