第2269話・日々進歩
Side:久遠一馬
今日は工業村に来ている。
「いろいろと面白そうなものもあるなぁ」
戦国時代から乖離しつつある尾張でも、一際変わっているのはここだろう。思いつきや要望から試作をしていることがいくつもある。
中には私費を投じて試作している人もいるんだよね。研究開発に関わる費用は申請すると織田家とかウチで出しているんだけど、最初の思い付きを形にする時は自分でお金を出している職人が結構いる。
あちこち眺めつつ歩いていると、ガラガラと大八車が走るような音がした。
「もっとだ! もっと速く走れ!!」
屈強な男たちが、大八車らしきものを前後から引っ張って走っている。耐久テストでもしているのか?
「あれは……また形が変ったなぁ」
原型は大八車だったものだろう。ただしより小型化して、人ひとりを乗せるのに特化した形になりつつある。大八車と人力車の中間くらいの見た目だろうか?
座っているのも職人の男らしい。
「久遠様!」
オレの姿を見た職人たちが笑顔で駆け寄ってくる。見てほしくてウズウズしている様子だ。
「いかがでございましょう!」
「ひとり乗りに特化したのか。よく考えるなぁ」
よく見ると座席も進化している。人乗大八車は木製の椅子だったが、こっちにはクッションがある。
ちなみにこの時代も座布団はある。ただし、クッション類は、ウチが持ち込んだものなんだよね。馬車はクッション性のある椅子になっているし。座布団にもなる柔らかいクッションは清洲城でも人気だ。
改良人乗大八車の椅子に使っているクッションは
綿や絹綿はそれなりに高価だからなぁ。
ひとり乗りにしたのも要望が理由らしい。人乗大八車の需要は、下級武士から富裕層の商人などだ。お供の人は徒歩で主が乗るように人が快適に乗れるようにと要望が結構あるみたいだ。
「あまり銭を掛けず座り心地をよくしたいと頼まれまして……」
「いいと思うよ。ねえ?」
「はい、面白いです。上手くいかなかったことを含めて報告がほしいですね」
エルと顔を見合わせて笑みをこぼした。
大八車もフレームとか部分的に金属製なんだよね。もう少し技術が成熟したら人力車にまでいくかなぁ。
「存じております。見通しが立ち次第、まとめて報告致します」
改良型人乗大八車、竹のフレームに傘で使う耐水処理をした和紙で幌のようにすることも試作しているらしい。
「馬が牽く馬車より、人が牽く人乗大八車のほうが使い勝手はいいんだろうね」
尾張では日ノ本産の馬が牽ける小型の馬車が相応に出回っているが、下級武士とか僧侶や町人が使うには馬より人が牽くほうが使いやすいんだろう。
馬は乗る時、荷馬以外は外で特に使い道がないしね。人なら他の仕事もさせられるし馬の維持費より人を召し抱える人件費のほうが安いんだ。
また、馬や駕籠に乗るには相応に身分がないと駄目な時代だ。尾張はその辺りの価値観も変わりつつあるが、役目で馬に乗る武士は増えているものの、駕籠は相変わらず身分がないと乗れないので需要が少ない。
下級武士や僧侶、町民が豊かになりつつあることで身分が低くても乗れる人乗大八車の需要は高まるばかりだ。
江戸時代に普及した簡素な駕籠ならいいのでは思うんだけどね。それが普及する前に尾張は大八車が普及してしまった。
京の都や畿内では、真継のことで騒ぎになっているのになぁ。職人衆は興味もないというのを実感する。鋳物師も尾張には多いんだけどね。
まあ、頼もしい限りだし悪いことじゃない。どう発展していくのか楽しみだね。
Side:ミョル
技術指導担当である私の仕事は、重臣たちへの説明や現場単位での指導まで多岐に渡る。
「私はいいと思うよ。利を得ている以上は責任もある。きちんとまとめるべきだよ」
今日は重臣たちと話し合いをしている。議題は北畠領内で職人組合を作れないかということ。
現状で北畠領内の職人の大半は寺社のひも付きになる。この時代では当然なんだけど。北畠領の場合は、織田領への出稼ぎに出ている者と、尾張からの下請けとなる仕事で暮らしている職人が大半なのよね。
職人が使う材料も、北畠家が尾張から友好価格で得ているものになるわ。当然、職人への影響力も高まっているわ。
寺社を完全に従えていないことで反対するところもあるだろうけど、神宮が孤立していて、近江で六角も断固たる処置をした今なら大きな反発はないと思う。
そもそも……。
「我らも領内の皆で一致結束していかねば」
「左様でございますな。寺社もそう思うておろう」
北畠家の皆さん、寺社も含めてみんなで国を作るつもりでいる。朝廷の祖を祀る神宮だけは別格だから畏れ多いと頭数に入れていないけど。
実は寺社のほうもそれを求めている。寺領の整理統合、これがあることを理解しても北畠と一緒に新しい治世で生き残ろうとしているのよね。
尾張の寺社、既得権益は失ったけど、飢えて貧しくなっているところなんてないはず。一部だと未だにかつての威張れる暮らしが良かったと嘆いているところはあるけど。言い換えると不満はその程度しかない。
寺社は知識層なので、大半は意地を張るよりも優れた道を選ぶはずなのよね。
「うかうかしておると領内から職人がいなくなってしまう」
「この十年で、尾張に働きに出て、そのまま戻らぬようになった者も多いと聞く」
北畠の権威や権勢は高まるばかりだけど、実情はそこまで楽観視出来ないことを重臣の皆さんはよく理解している。
理解しても変わる決断をするのに年月が要したと言うべきだろう。それが人なんだと思う。
職人に関しても、代々世話になっている寺社の仕事があると戻ってくるけど、仕事が終わるとまた尾張に行ってしまう。それでは領内が発展しないのよね。
子が産まれると滞在期間の長い尾張で育てることになる。そもそも暮らしていくうえで便利なのは尾張だから当然だと思う。そんな尾張で育った子は、代々の故郷より、生まれ育った尾張に思い入れが強くなるわ。
そういう意味では、北畠の改革の必要性は六角よりも切羽詰まっていると言える。
「尾張と相談して、こっちで職人が憂いなく暮らしていけるようにするべきだと思う」
こっちの産業をもっと育てないと駄目かなぁ。すでに出来る範囲でやっているけど、経済格差は広がるばかりになる。
不満が高まる前になんとかしないと。
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