第2265話・ブレーキ
Side:久遠一馬
綸旨に関する議論が織田家中で進んでいる。人の前にまずは自分たちから。皆さん、今後綸旨をどうするべきか。検討をしている。
今日は尾張に滞在している妻たちと、その件で集まって話をしている。長いと十年以上住んでいることもあって、それぞれでいろいろな人と縁が出来ているんだ。そんな人たちと意見交換をしつつこの件をどうするべきか考えている。
「今しばらく時間をかけるべきよ。偽の綸旨を持つ公家が処刑されたとまだ知らない人も多いわ」
「そうネ、積極的に使うことがなくても自分たちの綸旨が偽物かもしれないとなると不安になる人もいるはずよ」
熱田と津島で馴染んでいるシンディとリンメイは、他の課題と同じように議論を加速させつつある織田家中の動きに少し危機感を持っているらしい。
単純に利権を証明するものじゃないからなぁ。綸旨とは家宝であり、自分たちの一族や祖先を証明するものでもある。すべてで真贋を判定していくと世の中が混乱するのは確かだろう。
「織田家中の武士だと生きるのに困らないのよね。ただ、寺社は立場が難しいわ」
アーシャは学校という場で寺社の僧と一番話しているからなぁ。綸旨の件はむしろ寺社への影響が難しいのかもしれない。武士だと義統さんと信秀さんの信頼と、今後も変わらないだろう体制が安定しつつあることで、そこまで不安になっていないんだよね。
「職人、鋳物師は興味ないみたいだね。忙しくてそれどころじゃないって感じだよ」
職人たちと親しいうちのひとり、ギーゼラは真継の一件を知った鋳物師の様子を教えてくれたけど、領内だと職人の立場と生活は織田家で保障しているからなぁ。
諸国の職人が集まり過ぎて、地域によっては職人不足になっているところすらある。寺社は代々お抱えの職人とかいるので困っているとまでは言えないが。
「商人組合では綸旨で捕らえられるのかと案じている人はいるわ」
リースルからは商人組合の報告を受けるが、商人は寺社と組んで綸旨とか使っていた人がいるからなぁ。こういうことは商人のほうが機敏に受け止めるのかもしれない。安心出来るように手を打つ必要があるかな。
過去にさかのぼって処罰とか、誰もする気がないんだけどね。とはいえ綸旨が世の中を乱している原因のひとつであることに変わりはない。
加減が難しいね。
「評定でも言ったけど、これ以上の勝ち過ぎは外交として良くないわ」
今回の件で織田家中に一番警告をしているのはナザニンだろう。今のところは義輝さんの権威と影響力が高まっているくらいだが、もしこの件で織田が朝廷を潰そうとしていると思われると世の中の流れが変わる可能性すらある。
人権もない時代、朝廷は今の世に残るすべての形の根源なんだ。それが失われるとなると激しい抵抗が予想される。
「そうね。みんなでこの件は抑えていくようにしましょう。答えを急ぎ過ぎないように」
最後にエルが意見をまとめると、この件に関する今後の方針が決まる。
正直、抑止となって今後綸旨の偽造が減って乱用されないのが一番だ。
ちなみに、足利政権に綸旨のチェック機関を設けることも検討が進んでいる。尾張と近江でそれぞれに検討して、あとで相談する形になった。
尾張では姉小路さんとか地下家の公家の皆さん、それと北畠晴具さんも加わり検討している。近江では春たちと慶寿院さんと奉行衆、地下家の公家の皆さんでの検討になるらしい。
こういうデリケートなことは慎重に、複数案を持ち寄って検討する形の前例にするのもいいだろう。
いつまでもオレたちが私案を出して、方向性を導き続けるわけにもいかない。争わず合議して決めていく形は少しずつ増やしていきたい。
Side:イザベラ
真継が偽造した綸旨を使って処刑された一件が、信濃にも伝わりつつある。上様を讃えると同時に一抹の不安を感じる者もいるようね。
同じように自分たちが持つ綸旨が偽物であった場合、織田家から処罰されるのではないかという懸念がある。
「過ぎたことで処罰はしないわ。これは清洲の裁定よ」
そもそも織田家が藤原姓を名乗るのも、氏素性を偽造したものなのよね。どうするのかしら? 織田家としては藤原姓にこだわる必要性はないと思うけど、一度は公卿に経歴を改ざんしてもらったのも事実。
今更、違いました。改ざんしていましたと言って近衛公たちのしてくれたことに泥を塗るなんて出来ないわ。
「真継とやらはやりすぎたからな。それに尽きよう」
この日は村上殿が来ている。この人がいると場が締まるのよね。北信濃のまとめ役として上手くやっている。武辺者であることに変わりはないけど、戦ではどうしようもないと悟ったことで苦心しつつ織田の治世に合わせている。
「そうね。欲を出し過ぎては駄目だということだと思うわ」
ヒルザの言葉に皆が安堵した。
ウルザは出産も近いということで完全産休に入っていて、公の場に出ることは滅多にない。たまに食事会をやる時には顔を見せるけどね。
信濃衆も大きくなったお腹を見て、子供が産まれるのを楽しみにしている。
「それを聞いて安堵致しました。綸旨の真贋を見極めるのは難しゅうございます」
そしてこの人、善光寺の使者も今日は同席しているのよね。真継とは無関係で挨拶に来ただけなんだけど。
越後や関東で不作となったこともあり、今後の対応などを相談したいらしいのよね。
こちらに来て偶然真継の一件を知り、偽の綸旨を織田家が摘発するのかと少し案じたみたい。
正直、善光寺とはいい関係を築いているのよね。女性救済とか、この時代で珍しいことをやっていることもあって。
諏訪神社や仁科三社が織田と揉めた中、善光寺は村上殿の差配もあって今のところ対立していない。
エルたちやウルザたちの苦労もあり女性の地位が上がりつつある織田家において、善光寺の女性救済思想は評価されているわ。
女性禁制のところもあるものね。そういう寺社と比べると評価されやすい。
「綸旨の件はいいわ。それより北信濃はどう?」
「飢えぬように差配しております。されど、越後では厳しいようでございまして……」
話を変えると、村上殿と善光寺の使者の顔が少し渋い。織田家として領内は飢えないように差配出来ている。ただし、他国との格差は領境に近づくほど問題となる。
血縁や長年の付き合いがあるところには、少し物資を融通するくらいは必要なのよね。むしろそれで恩を売るくらいでいい。
そういう意味では、清洲からも領国代官が自由に使える裁量枠といえる物資を頂いている。それで対処しましょうか。
「具体的な報告をお願い。必要な分をすべてとは言えないけど、多少でいいならなんとかするわ」
なるべく恨みを残さないように。なんか爆弾の解体作業でもやっている気分ね。
これも政治というものなのかしら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます