第2264話・事件の裏で
Side:久遠一馬
真継の一件でいろいろとあったが、それ以外のことも進んでいる。
まず八風街道と千種街道について、利用者が思った以上に多い。距離的に近いこともあってか、旅慣れた人はそちらを通る人が増えた。
近江尾張間の人の移動が、右肩上がりで増えているということもあると思うけど。
蒲生さんと六角義賢さんを怒らせた近江側の寺社と村だが、こちらはやはり怒らせた寺社の上位の寺社が仲介を模索していると報告がある。
見捨てるわけにもいかないが、一緒に睨まれたくもない。寺社も大変だ。
「こっちもなぁ」
もうひとつ、信濃からの報告に苦笑いが出てしまった。
「お方様とお子になにかあれば、殿に潰されると思うて当然でございまする」
信濃の懸案、仁科三社の現状だ。望月さんの報告では、仁科三社はウルザとお腹の子の安産と無事出産を必死に祈っているとのこと。
なんか、オレが怒っていると勘違いしているっぽい。怒るほど期待してないんだけどね。
仁科三社に関しては、仁科家と和睦を済ましていて因縁は解決した。ただし、仁科家は改名を検討している。もう信濃にも仁科の地にも戻らないという決意を表したいとのことだ。
仁科さん、本音では今も恨んでいるらしい。
信濃の旧領代官から尾張勤務に変えたことで小笠原家とウチのことは感謝してくれているみたいだけど、謝るから許せという仁科三社の態度にはあまり納得していないみたいなんだ。
仁科三社としては引き続き仁科家の庇護が欲しかったらしいが、仁科家はもう仁科の地とは縁が切れたからと断った。
完全に見捨てられて仁科家に対して出来ることがなくなった現在、仁科三社は織田家中に贈り物をしつつ、商人たちが自主的に仁科三社だけを避ける状態をなんとかしてほしいと嘆願を繰り返している。
商人たちもオレが怒っていると思っているから忖度しているだけだしね。織田家として仁科三社と商いをするように命じてほしいみたいなんだ。
織田家中では意見が二分している。ひとつは仁科三社も今後は織田家に従うと言っているし、俸禄を大幅に削減とかして許してはという意見だ。もうひとつは二度と関わらなくていいという意見になる。
本当、お金を求めないなら好きにしていいというところは概ね一致しているが、なにかにつけてお金お金と求めるのにうんざりしている。
さらに仁科三社の一件は、伊勢の神宮と熊野が仲介した問題が未だに影響している。
神宮の使者が、義統さんに任命された織田家の正式な代官であるウルザとヒルザの面目を潰したこと。そっちのほうが問題として大きいんだ。斯波家の代将だからね。ふたりは。
もう少し下世話な話をすると、織田家に従って生きると明言している仁科三社は許してもいいと思う人でさえ、織田家に従う気がない神宮と熊野は面倒を見たくないという人が家中に増えつつある。
熊野三社、こっちは神宮のとばっちりなんだけどね。権威がある寺社だから従うはずがないと避けられつつある。
みんな神仏を信じているし、寺社も大切にしている。真面目に勤めて働いている人は、みんなで支えようと思っている。ただ、その分だけ血筋とか権威で威張るだけの寺社を避けたいという本音が透けて見える。
権威と神仏は本当に関係あるのか? そんな疑問が増えたんだ。権威があるだけに騒ぐと面倒だから誰も口にしないけどね。畏れ多いと言いつつ避ける。
南伊勢の人たちでさえ、神宮は朝廷の神社だから畏れ多いと避けるからなぁ。その分、慶光院は今までにないくらい人が集まっているけど。
公家である真継の件が広まると、神宮はますます避けられるようになるだろうね。
「朝廷といい寺社といい、負担が大きいんだよね」
どちらも、お金という現実的な問題から考えると財政に対する負担が大きい。中世だと仕方ないことなんだけど。
尾張と近隣の領国だと、立派な寺社にお金使うより賦役をしたほうが豊かになるんじゃないかと気づいている人、結構多いんだよね。庶民でさえも。
そういう意味では、真継の一件は織田領とその他では違う反応があるだろう。
どうなるかなぁ。
Side:近衛稙家
関白である己の面目を潰したと、倅が大樹への不満を周囲にこぼしておるとか。困ったものよの。大樹のために動いたことがない倅の面目など重んじるはずがなかろう。
不満をこぼす暇があるならば、大樹のために動いて貸しを作るくらいすればいいものを。己を過信する者に先などないぞ。摂家であっても食うに困り下向する世だというのに。
かようなことも分からぬ故、いつまでも主上の信を得られぬのだ。あやつは近衛の家を潰す気か?
世を知らぬままに将軍の権威で世を正そうとしておった、かつての大樹はもうおらぬ。
此度の一件とて、終始、落としどころを見据えて動いておった。下賤な真継を潰して己が力と意思を示しつつ、新見を召し出すことで慈悲も示した。
知恵を出しておるのは四季殿であろうが、四季殿を信じて任せることで己が度量を示したとも言える。
それにより大樹が得たものは多い。院と主上は、やはり大樹でなくばならぬと改めて思われたはずじゃ。さらに諸勢力に対し、京の都におらずとも懸念はないと示した。
さらに此度ばかりは政所の伊勢も即座に謝罪をしたことで、大樹の力を改めて示した。
偽の綸旨を許さぬと示したことで、諸勢力が勝手に偽造し使う綸旨すら控えるようになろう。
大樹はなにかを失うたのであろうかの?
ほんの十年ほど前は倅と大樹に大きな差はなかったはずじゃ。共に世を知らず未熟者じゃったからの。それが、一気に差が出来てしもうた。
なんとかしたいが、吾が教え諭しても意固地になるだけであろうな。
また、世を知ったからというて広橋公のようになっても困る。尾張の力を理解し内匠頭を認めたものの、朝廷を今以上に支えぬことに不満を抱くなど愚かとしか言えぬ。
吾は……、もっと子を育てることを重んじるべきであったのかもしれぬな。慣例のままに生きるだけならば、倅でもよかったのであろうが。
変わり始めた世にて、あやつは上手く生きていけるのであろうか?
家督を譲る前に気付いておれば……。
内匠頭と吾の大きく違うところのひとつは、子のことであろう。吾は実の子であっても内匠頭ほど情があるわけではない。内匠頭は孤児の子でさえ、実の親以上に慈しむ。何故、あそこまで出来るのか理解に苦しむ。己の手で育てておらぬからであろうか?
むしろ近衛の家のため、あやつを……。
いかんな。左様なことをして上手くいくとは思えぬ。それに代わる子もおらぬ。子は幾人かおるが、いずれの子も大差ない。
なにより内匠頭の見ておる世と真逆のことじゃ。吾は内匠頭に見限られることだけはしとうない。
結局、様子を見るしかないか。二条公が倅を気に掛けてくれておるしの。
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