第2263話・穏やかな終焉

Side:久遠一馬


 夏が終わったなぁ。領内では武芸大会の予選と準備が始まっている。


 費用も相応にかかるし、準備も大変なんだけどね。武芸大会が領国や地域間の対立を減らしてくれる。


 収穫の秋。ただ、今年は東国全体で不作の傾向であり、領内では甲斐の不作が際立つ。無論、無策で今年を迎えたわけではない。


 粟や稗や蕎麦などを筆頭に救荒作物の生産を増やしている。さらに農業改革で生産量を増やした各種穀物はこの十年余りで備蓄は出来る限り増やした。


 まあ、単年での不作は正直、珍しくはない。史実で歴史に残る飢饉となった理由は来年も飢饉になるからなんだよね。飢饉との戦いは始まったばかりだ。




「外務方としては悪くないわ。あまり勝ちすぎてもよくないもの」


 清洲城での定例評定の場でナザニンの説明に続いた言葉に、評定衆が安堵したのが分かる。


 真継の死罪が決まり、関連する公家や奉行衆は謝罪と軽い罰が与えられることになった。謝罪と罰は形式的なものになるが、面目を重んじるこの時代では形に残る失態としたことは一歩前進と言っていいだろう。


「政所の伊勢殿がすぐに謝罪したのが利いたな」


 評定衆のみならず近江の奉行衆が一番驚いたのは、この件だろう。管領細川晴元は若狭から出られず、丹波守護細川氏綱さんも義輝さんに従う中、政所の伊勢貞孝だけが相変わらず勝手な行動をしている。


 そんな伊勢貞孝が、即座に義輝さんに使者を出して一連の経緯の説明と謝罪をした。まあ、これは六角義賢さんが管領代として、伊勢貞孝に使者を出して謝罪と説明をするように促したからだが。


 貞孝は一切の文句も言わず従ったんだよね。彼の行動が、この一件の早期終結を後押しした。


「あの御仁は自身で世を動かす気がないもの。あと朝廷と東国の大乱の原因になるのなんて望んでいないわ」


 ナザニンの言う通りなんだろう。実は貞孝への使者、ナザニンの提案で義賢さんが出したものだ。過去に新見家が訴訟に訴えた際に、足利政権として真継の鋳物師年預職を認めてしまっていたからな。それをどうするのか。


 春たちからの手紙では、奉行衆の中には、これを理由に貞孝解任を考えていた人もいたらしいが。それはこちらで止めた。


 結果として貞孝は騙された形となり、義輝さんを謀る気も謀叛を起こす気もないとして謝罪した。


 鋳物師年預職の乗っ取りと偽の綸旨、これも関係する公卿公家が総じて形式的な処分をされることになるが、それぞれに騙されたとか知らなかったという理由を述べて認められるはずだ。


「真継、少し哀れになるな」


「若殿……」


 一応、一件落着となることに安堵するが、信長さんはそんな空気を察してか、意外な言葉を口にした。


「春たちが近江におらねば、そのままだったのではあるまいか? 真継の末路は、明日の織田と久遠かもしれぬ」


 しんと静まり返った。日ノ本の政に少なからず関与を求められているのが今の斯波家と織田家だ。ただ、信長さんはトカゲのしっぽ切りのように扱われた真継の末路に、織田家のあり得るかもしれない未来を見たのかもしれない。


「よいではないか。そうなれば戦をすればよい。わしは差配など出来ぬが、将となりそなたらの神輿となろう」


「守護様……」


「朝廷は盛り立てていかねばならぬ。されど、譲れぬところはある。それだけのことよ」


 信長さんを安心させるように語る義統さん。ただ、戦という言葉には少し驚いたかもしれない。信秀さんが口にすることはあるが、義統さんが戦について自ら言及することは珍しいんだ。


 悲しいかな。力なき者では交渉すら出来ない。これは古今東西、変わらない。武力を持ち、戦もすると示すからこそ交渉になる。


「真継とやらは己が力を過信した。集まる銭と諸国の守護が折れたことで、己が力で世を動かすことが出来ると思うたのであろう。使える小物程度にしか周りが見ておらなんだというのにな。それを哀れと見るは、そなたの慈悲であろうな」


 義統さんは相変わらず京の都には厳しいね。期待もしていないから怒ることもないが、言い換えると、必要となったら本気で兵を挙げて討つ覚悟があるんだろう。


 その覚悟が必要なのが今の世なんだ。今回は、大事にしないで済んだけど。


 次も同じように済ませることが出来るかは、オレにも分からない。


 そんな時代なんだ。




◆◆


 永禄五年、八月。真継久直が京の都は三条河原にて斬首された。


 罪名は、将軍足利義輝への謀叛である。


 原因は、義輝が近江に造営中だった町に対して、鋳物師年預職として鋳物師公事役徴収を認めるようにと働きかけていたことであった。


 戦乱が続く当時、鋳物師は武器や鉄砲の生産を手中に収めようとした諸勢力により取り込まれ、鋳物師組織を奪う形となったため朝廷に税が入らなくなっていた。


 建武の新政失敗以来続く、朝廷の権威失墜も相まって、鋳物師に限らず、あらゆる権益や領地が朝廷より失われていた頃である。


 真継は偽の綸旨を偽造することにより鋳物師を統制し、西国の大内や駿河の今川など諸国の守護と交渉をして税を得ていた。


 ただ、そんな真継も久遠家により改革を進められていた織田領だけは手を出すことが出来なかった。当時の織田領の鋳物師は、尾張公儀の下、職人組合として久遠家に統制されていたからである。


 とはいえ、真継と久遠が対立していたかという記録はない。一部資料では同じく銭を集め世を動かすという手法が似ていることから、真継は久遠を自分と似ていると語ったという記録も残っており、共存を狙っていたと思われる。


 実際、久遠家の管理する尾張工業村産の鉄などは畿内の鋳物師にとって欠かせぬものとなっており、真継もまたそれを利用する形で鋳物師の統制を進めていた。


 織田家に残る『真継事件』の記録によると、足利政権の奉行衆は真継の根回しにより、近江御所の新しい町にて真継が鋳物師を統制するのを認める方向だったとある。


 それが一気に覆ったのは、近江に出仕していた地下家の進言が発端になる。


 後奈良上皇や正親町天皇の信も厚い久遠一馬に対して、偽の綸旨であることを知りつつ隠して騙すことになるのを恐れた一部の地下家の者が、真継のことを夕暮れの方こと久遠秋に知らせたことで事態が動いた。


 織田家としては、今川家からの報告で真継の綸旨が偽物である可能性が高いのは把握していたが、真継が尾張に手を出さなかったことで静観していたことになる。


 地下家から非公式ながら報告を受けた久遠秋は、曙の方こと久遠春たちと相談し、義輝に報告することで事態が一気に動いた。


 『足利将軍録・義輝記』によると、三国同盟間での調整があったのち、最終的には義輝、慶寿院、六角義賢、久遠春、久遠夏、久遠秋、久遠冬の七名で相談のうえで扱いを決めている。


 その結果、義輝から偽の綸旨と思われるもので税を集めているとの報告を正式に受けた朝廷だが、後奈良上皇と正親町天皇は、久遠一馬の存在もあり義輝と三国同盟を公卿よりも信頼しており義輝に一連の問題解決を一任した。


 正親町天皇と不仲とされる関白近衛晴嗣は、事の重大さから非公式に済ませることも考えていたとされるが叶わず、真継を義輝に引き渡し、朝廷としても関連する人物の処分をしている。


 現代では『真継事件』として有名なこの一件だが、当時としても影響は大きく、尊氏や義満に並ぶと称されるまでになっていた義輝の力を世に示したことで、畿内ばかりか西国、四国、九州にも義輝の権勢の大きさが伝わった。


 また偽の綸旨で私腹を肥やしていた真継を誰もが黙認する中、堂々と断罪して処罰したのが義輝という影響も決して小さくはなかった。


 寺社ですら信を失いつつあった世の中で、義輝が公家であっても悪行は許さないと示したことは、京の都の町衆や畿内の庶民に驚きと共に喜びを与えることになった。


 東国重視の姿勢で畿内では不満がくすぶってはいたが、この一件で義輝の影響力が未だ畿内で衰えていないと示す結果となり、義輝への信頼が高まるきっかけとなった。


 なお、義輝が時代劇などで悪人を成敗するイメージが強いのは、この一件も理由のひとつに上げられる。




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