第2261話・世を動かす者

Side:近江の公家


 内匠頭殿から書状が届いた。此度の件に対する礼と、今後とも曙殿たちを頼むという丁寧な文だ。困ったらいつでも力になるというありがたい言葉がある。


「これは家宝にするべきじゃの」


 共に真継のことを進言した者は書状を持つ手が震えておるように見える。


 これは、綸旨と同等の価値があるのではあるまいか? そう思うのであろう。内匠頭殿は形として織田に臣従しておるが、誰もあの御仁を一介の武士とは見ておらぬ。


 日ノ本で唯一無二なのじゃ。己の国を持つ王ともいえる男。


「見事な白磁の茶器だ……」


 共に届いたのは、紅茶を嗜む白磁の茶器になる。こちらは久遠家の旗印である船が描かれておる。確か、管領代殿が同じようなものを持っておったのを見たことがある。


 近頃は近江や京の都では白磁の品を見かけることが増えたが、それでも久遠家の旗印が描かれた白磁の茶器は極々親しい者にしか贈っておらぬはず。価値は計り知れぬ。


 さらに堂上家からは、吾らのもとに近江でなにがあったのだと問う文が届いておる。


「京の都では大騒ぎとか」


「それはの……」


 今まで誰もが見て見ぬふりをしていた真継が一夜にして罪人となったのだ。曙殿たちの耳に入ったであろうと察してはおるが、誰がなにを漏らしたのか。それが分からぬことで恐れておる様子。


 真継はやり手であったが、それでも大樹の怒りを買うと主上も院も堂上家も助けぬことがあり得ると示した。


 貧しき今の世で一切の穢れもなく生きる公家などおるまい。次は誰が怒りを買うのだと恐れるのは当然のこと。


「やはり信じられるのは久遠だけか」


 誰かがため息交じり呟いたその言葉が、すべてなのかもしれぬ。


 堂上家から吾らに真継の件を漏らしたのかと叱責がないということは、吾らが漏らしたことは伝わっておらぬのであろう。


 夕暮れ殿は、まことに吾らを守ってくれた。


 吾らの進言で真継が見放され、朝廷が右往左往した。その事実が恐ろしくもあり頼もしくもある。


 これが本来の公家の立場というものなのであろうな。野山を駆けるのではなく、世を動かし時には乱してしまう。


 吾らも努々ゆめゆめ、気を付けねばな。




side:春


 尾張から知らせが届いた。真継を上様が裁き、柳原など他は朝廷に任せてはどうかという進言よ。そのことに関して、上様は不満げな様子だけど、私たちしかいない場なのでそれを隠さない。


 その様子に管領代殿が僅かに困った顔をしている。


 ただ、これは問題ないのよね。司令やジュリアが教えたのよ。内々の場では言いたいことを言って議論することを。上様にとって本音を吐き出して議論する相手は私たちになるんだから。当然、不満も口にするわ。


 今までにもあったことだから管領代殿も理解しているはずだけど。それでも恐れはあるのでしょうね。


「柳原は守られて真継は捨てられたか。朝廷は、これの意味することを理解しておらぬのか? 己らのことしか考えぬと世に示す気か?」


「今は好きにやらせておくといいわ。そのほうが上様の御意思を示せるもの。帝と院に傷を負わせないならなんでもいいわ。此度の一件で帝と院を守りやすくなる」


 上様はまだ朝廷に期待している。自ら変わってほしいと。意識してか無意識か分からないけど。だけど、現状では無理ね。


 今のところの流れは悪くない。もともとこの一件は、地下家を中心に揺れていたことが根底にある。堂上家よりも上様と私たちを裏切りたくないと思った地下家が動いたことが発端だもの。この影響と流れは決して無視出来ないものがあるわ。


 さらに朝廷も公卿も寺社も、京の都の諸勢力が誰ひとり問題視しなかった真継の悪行を上様が暴き裁く。この事実が、畿内と京の都への影響力が乏しい足利政権の大きな力になる。


「左様なものか?」


「関白殿下からすると真継は下賤な成り上がり者だもの。上様に功を譲るのにはちょうどいいのでしょうね。それでも公家であることに変わりはないわ。その真継を見捨てたこと。いずれ後悔するわよ」


 近衛太閤殿下が関白だったら、多分、違う動きをしたでしょうね。自ら裁いたかもしれない。


 ほんと近衛の微妙な親子関係が朝廷の憂慮となりつつある。そういう意味では、二条公の見立ては間違っていないし、火中の栗を拾うと承知で仲介するというならやってもらいたいのよね。


「上様、懸念はこの件に曙殿らが絡むと知れてしまったこともございましょう。某の力の限り守るつもりでございますが……」


「春、尾張に戻るか?」


 朝廷への苛立ちをひとまず収めた上様は、管領代殿の指摘に私たちを案じる様子を見せた。進言した者を庇ったこともあり、奉行衆を中心に私たちの怒りに触れたという話が広まりつつあるのよね。


「私たちが戻っても誰か代わりが来るわ。申し訳ないけど、奉行衆だけだと畿内と対峙していけないから」


 今、近江を不安定にするわけにはいかない。私たちが矢面に立つことになっても。今回の一件でそれが明らかとなった。


 奉行衆は真継の根回しを受け入れていた。自ら戦う力も権威もないのは事実だけど、こういう積み重ねが世を乱していたと知りつつ彼らだけでは正すことが出来ない。


「ならば、某が命に代えても守りましょう」


 管領代殿の顔が武士の顔となった。近江政権は管領代殿と私たちがいないと続かない。それを良く理解しているわね。


 あとは真継の詮議と処罰ね。




Side:久遠一馬


 今日はウチの子と孤児院の子たちを連れてキャンプに来ている。寒くなる前に、もう一度キャンプに連れてきたくてね。


 真継の件は、院の蔵人解任に続く公家が起こした事件だという認識をされている。帝や上皇陛下の意思を穢しているのは公家なのだ。無論、武士も寺社も穢れているが。そういう認識が尾張では広がりつつある。


 朝廷は真継を本来の公家ではないと思っているのだろうが、諸国から見ると帝の綸旨を持ち朝廷を代表して鋳物師の税を取った男なんだ。それが偽物の綸旨を使った犯罪者でしたとなる。この事実は重い。


 東国では、京の都が穢れていることで諸国にて天災が増えているのではという見方が増えるかもしれない。尾張でも一部の信心深い人がそう見ているんだ。


 柳原を守り真継を切り捨てた。この判断を今後に生かせるのか。お手並み拝見といったところか。


「マーマ、できた!」


「赤子だいじょうぶ?」


 今日は秋に出産を控えているエミールとテレサも来ていることで、子供たちがふたりの世話をしたりしていて特に賑やかだ。


「ええ、大丈夫なワケ」


「赤子も喜んでいるわ」


 妊婦が穢れとかいう価値観、オレの周りだとないし尾張だと聞かなくなりつつある。妊婦はみんなで助けるものだという価値観が広がっているんだ。


 これ、実は信長さんのおかげでもある。かつて、伊勢の神宮に行く途中で妊婦さんを助けた話、有名なんだよね。


 その時の子が今は吉法師君の近習として立派に育っていることで、一種の恩返しのような話に変化している。


 出産法も、古い形は廃れつつある。村なんかだと村のみんなで妊婦さんを助けていると聞くと嬉しくなるね。


 飢饉とか迫っているが、こういう変化を見ていると勇気づけられる。


 きっとみんなで力を合わせると乗り越えられるとね。




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