第2259話・偽の綸旨と……

Side:二条晴良


 院の蔵人が勝手な振る舞いをした一件以来、主上は公卿というだけでは信じぬようになられた。無論、それを表に出されることは稀だが、言い換えるとお心を許す相手を選ぶようになられた。


 関白はその任にありながら、主上の覚えはめでたくはない。当人もそれを察しておることが、余計に主上と関白の仲を遠ざけておる。


 もっとも、関白に大きな落ち度があるわけではない。関白の父御である近衛公の権威が強すぎると言うべきか。関白となったというのに己の家のことすら思うままにならぬ苛立ちはあろう。


 されど、今の世で大樹と尾張と実のある話が出来るのは近衛公しかおらぬ。近衛公がおらねば、朝廷とて尾張に見限られておったのかもしれぬ。特に内匠頭と腹を割って話せるのは今のところは近衛公しかおらぬ故にな。


 それを吾が継げと近衛公から託されておることも、関白としては面白うないことのひとつであろう。とはいえ、今の関白に尾張との橋渡しは任せられぬのは吾も同意する。


 生まれた世が悪かった。端から見ておるとそう見える。


 吾の目の前では、関白から主上に一連のことを奏上そうじょうしておるが、主上は顔色一つ変えず無言のまま、かつてのようにお怒りすら見せぬのが余計に恐ろしい。もう公家を見放しておるのではあるまいか?


「院に一任する」


 主上のお言葉は僅か一言か。


 それでも関白は少し安堵した様子を見せた。主上は気に入らぬなら好きにしろ。そう言いたげであられたな。これでは関白とてなにも出来まい。


「良かったではないか。この件はそなたの責ではない。家の乗っ取りも偽の綸旨も随分と昔のこと。愚か者など大樹にくれてやればいい。さすれば院も主上も喜ばれよう」


 あまり追い詰めたくない故、関白にこちらから声を掛けた。


「柳原卿も無罪とはいかぬか?」


 関白もさすがに、この件で大樹を敵に回す気はないか。安堵した。もっとも、真継のことを褒め称える者など京の都におらぬ。銭を集めるのが上手い故、見逃しておった者はおるがな。


 貧しき身故に、背に腹は代えられぬ者も多い。


「院も大樹もそこまで求めまい。柳原卿が謀ったわけではない。とはいえ、けじめは必要であろう。そなたが口添えして助けてやればよい」


 大樹の背後におる三国同盟もそこまで望むまい。京の都に関わりとうないと、こちらを捨て置くくらいだ。


 無論、吾からも内匠頭に頼む文を出しておくが。こちらの内情を噓偽りなく伝えると否と言うまい。大樹の面目と立場を立てるのが前提となるが。


 近衛公と関白は実の親子故に、少し難しいところがあろう。吾が少し仲介してやらねば。近衛が割れて争うなど誰も望んでおらぬ。




Side:近衛稙家


 仙洞御所に参内した。吾とて気が重い。出来ることならば、かようなことを奏上したくないのじゃがの。


 とはいえ、そうもいかぬ。


「大樹は求めた勅を返したことがあったな。今思えば、あれも尾張の献策であろう」


 お心を乱すことなく受け止められた院は、数年前の伊勢無量寿院の一件を思い出しておられる。


「御意、内匠頭は綸旨の現状に心を痛めておりました故に」


 内匠頭はこうなることを見抜いておったのであろうな。故に、速やかに勅が記された綸旨を返還した。自ら後の世の憂いとならぬように。かような配慮があの男を皆が信じる理由であろう。


「此度の件も承知ということか?」


「確かめておりませぬが、大樹の知ることで近江におる四季の方が知らぬはずもございませぬ」


「四季の方が知ることは内匠頭も知るか」


 院は変わられた。自ら世を見聞きされ、正道を求めつつも吾らの現状に僅かばかりのご理解を示すくらいには。


「主上と大樹に任せる。朕は政には口を出さぬ」


「ははっ、畏まりましてございまする」


 あれほど世のために祈られておったというのに、臣下である公家が院の名で世を乱していた。その事実にいかほどお心を痛めておられるか。


 されど、今の院は世を嘆き祈るばかりではない。御自ら、次の世の院の模範となるべく生きておられる。


 内匠頭が朝廷と皇家の居場所を整えるのを察して、それに相応しきものを残すために。


 吾には分かる。院は今もなお信じておられるのだ。内匠頭を。


 光明は未だ消えずか。




Side:久遠一馬


 東国を中心に、今年の不作が明らかとなりつつある。


 織田領でも万年飢饉になるような甲斐は不作だ。ただ、作物転換がだいぶ進んでいることもあり、飢えて人がバタバタ死ぬほどではないけど。


 細々とした不祥事や問題行動はあったが、武田家は甲斐代官として少し強引ながらも成果を上げたことが功を奏したと言える。


 領内はいい。北条も史実と違い、だいぶ頑張って備蓄に励んだ成果が今年と来年で見られるだろう。


 問題はその他だ。東国の諸勢力は不作となっても米を領外に出さないといけない。あれこれと領外から求める支払いの対価が、大半は米なんだ。


 流れている経済を止めるだけの覚悟と力量がある勢力は少ないだろう。多くの諸勢力は領内が飢えると知りつつ税を取り立てて、予定している支払いに充てるなどしないと面目が潰れる。


 一声かけてくれると支援なり支払いの保留なりしてもいいが、そういう信頼関係がないんだよね。多くの諸勢力とは。


 また、こちらから声を掛けるのはよくない。相手が困っていると知っていると見せるだけで威圧したと思われる可能性があるし、面目を潰す気かと怒るところもあるだろう。


 些細な配慮が新たな因縁となるなんてご免だ。


 所詮は民の命より、己の体裁と面目が第一で、自ら質素倹約をして民に施すような為政者は僅かしかいない。


 それに民は被害者でもあるが、加害者でもある。戦国乱世の混乱と戦の原因には民も相応に責任があるんだ。細々とした争いと因縁を拡大させるのは武士や寺社と同じだしね。


 なにをどうするべきか。答えなんて存在しない。ただ……。


「領内における米と雑穀の配分はこんなものでよかろう」


 少し考え事をしている間に評定が進んでいた。信長さんが陣頭指揮を執り、来春までの食料配分を決めたんだ。


 不作になるが、領内は食わせることが出来る。常に一定数集まる流民を含めて。


 独立採算制といえる旧来の領地制じゃない利点が織田家では生きている。


「しかし、これほどの不作となるというのに領内に入る米は増えるとはな……」


「銭を得ねば、なにも買えぬからな。売る品がないところは米を売るしかない」


「思い出しますなぁ。内匠頭殿があれこれと領内で売れる品を増やしておられた頃を。あの頃は我らには理解出来なんだことだが、今になると分かる」


 古参となった重臣の皆さんは、昔を懐かしむように語る。


 最初は訝しげにしていた皆さんが徐々に協力してくれたおかげで、今では畿内に頼らぬ国になった。十年ちょっとでここまでなるとは、正直、思わなかったほどだ。


「東国を見捨てるわけにはいかぬからな」


「ああ、今から支度をしておかねば」


 織田家では今、関東など東国が臣従した場合を想定して準備を始めている。拒絶すると東国の場合、荒れてしまうだけだ。また斯波家と織田家の立場として、頭を下げて請われると拒否が難しいことも承知のうえだしね。


 真継の一件も騒ぎになったが、尾張だと京の都の問題だとドライな反応なんだよなぁ。対立するくらいなら、このくらいでちょうどいいのかもしれないが。


 人は変われる。オレもまたこの十年でそれを教えられた。


 頼もしい、仲間たちだ。



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