第2258話・偽の綸旨・その三

Side:久遠一馬


 季節は夏から秋になりつつある。


 真継の一件は評定衆にも伝えて今後の対応策を練っているが、よくあることだという反応が一般的か。見渡せば、家の乗っ取りも偽の綸旨も珍しくない。


 さらに尾張では京の都の公家の評価が低いことで、そんなものだろうという冷めた反応が多かった。期待をしていない分だけ、失望もない。


 この日、偽の綸旨に関する議論が清洲城で行われている。義信君をトップに意見を出してもらってみんなで考えるんだ。


「真継とやらは、何故、上様の都まで手を出したのじゃ?」


 議論がいろいろとある中、すすっとお茶を飲んだ義信君の素朴な疑問に、なんとも言えない空気が広がる。この場には学校の公家も同席しているが、さすがに答えられないらしい。


 義信君も責めているわけではないが、誰も迂闊なことを言えないんだろう。


「図に乗ったのだと思うわ。朝廷も奉行衆もほぼ根回しは済んでいたのでしょう」


 問題が問題なだけに外務方のナザニンとルフィーナも同席しているが、答えたのはナザニンだった。


 ナザニン、義信君に外交のイロハを叩き込んでいるからなぁ。ほんと綺麗事で済まないことを教えている。遠慮なく話せる関係を構築しているから答えやすいんだろうね。


「鋳物師の原料である鉄や銅、東国の流通は尾張で押さえています。畿内にも相応に売っているんですよ。真継はその利を上手く得ていました。こちらの邪魔をしない限りは潰されないと思ったのでしょうね」


 もう少し言うと、今の尾張は畿内や西国の流通にもその気になれば影響は与えられる。日本海航路や西国との取り引きは多いからな。石見の銀とかも多くが尾張に集まるくらいだ。


 ただ、あまり深く関わるメリットがないことから、西国や畿内には影響を与えることを避けつつ、鉄塊や銅塊などの供給はある程度続けていた。


 偽の綸旨で多くの鋳物師を支配下に置く真継は、それにより鋳物師の活動が活発になったのを己の利益にしていたんだよね。


 向こうは勝手に持ちつ持たれつと思って、こちらに手を出さないことも貸しだと考えていてもおかしくない。なんとも身勝手な意見だが、頭のネジが抜けていて図々しいくらいじゃないと、あんな恨みを買うような家の乗っ取りなんてしない。


 乗っ取った新見家の本来の後継者は餓死したという有様だ。無頼の輩に襲われたとかいろいろ噂があるが、相当ひどいことをしていたのは確かだ。


 京の都でそんなことをやれば、末代まで陰口叩かれてもおかしくないのに。


「恐ろしきことよ。これで朝廷のなにを信じろというのだ? 我らとて明日は我が身ではないか。我らの子孫が同じように家の乗っ取りをされても、誰も助けてくれぬのであろう?」


 義信君の言葉に、同席する皆さんがなんとも言えない顔をした。頷くことも難しいのが朝廷という存在だ。義信君ならいいが、あとで誰かがそれを京の都の公家にでももらすと、どんな嫌がらせをされるか分からない。


 それにしても、家の乗っ取りか。これ武士もよくやるが、この時代だと助ける人はいないんだよね。正直、オレたちもお家騒動に首を突っ込むほど暇じゃないから関わらないし。


 信濃の諏訪家も武田に家を乗っ取られた。ただ、その件について織田として特に動いていない。過去を遡って処罰なんてしていたらキリがないしね。


「若武衛様、朝廷のことはいいです。私たちには関わりがないことなので。ひとまず、上様の下で偽の綸旨を使われないように致しましょう」


 申し訳ないが、公家の権威と立場まで面倒を見ていられない。オレたちはやることがいろいろとあるんだ。


「そうじゃの」


 偽の綸旨、この問題は根深い。斯波家にもあるだろうし織田家や領内にもあるだろう。北畠や六角も当然もっているはずだ。


 実は味方の持つ偽の綸旨は、国外に……ウチの本領で預かることで調整を始めた。六角にはまだ話していないが、義統さんと信秀さん、北畠晴具さんには私案として提案していいんじゃないかという意見をもらった。


 こちらはもう綸旨で所領や地位を求める必要もないし、正直、使う人もいなかったんだけどね。ただ、代々の家宝とかになっていると、偽の綸旨だと思っても処分は難しい。


 朝廷の支配が及ばないウチの島にもっていってしまえば、こちらの偽の綸旨を叩く者が出てもすでに処分したという言い分が使える。


 真継の処分よりも、ほんと味方の偽の綸旨の処分と足利家として綸旨の確認をする体制を考えないと。




Side:近衛稙家


 大樹に仕えていた弟が上洛し、火急の用件があるというので何事かと思えば……。


 真継が大樹にまで手を出すとは。愚かな。所詮は下賤の血筋か。あの男は本来の公家ではないからの。それも致し方ないが。


「奉行衆には根回しをしておりました。されど……」


「四季殿のうち、誰かの耳に入ったか」


「はっ、そのようでございます。もとより偽の綸旨と知っておった様子なれば」


 春、夏、秋、冬と、四季の名を持つ奥方衆。誰かが枕草子から用いた言の葉にて、春殿を曙、夏殿を夜月、秋殿を夕暮れ、冬殿を早朝と呼んだことで、四名合わせて京の都では四季の方と呼ばれる。


 わずか四名で天下の政を支え、目付役ともなっておる。内匠頭と大智が西の押さえとして出しておるに相応しき者ら。


 根回しするならば四季の方を押さえねば意味などない。大樹と四季の方で覆してしまうからの。左様なことも理解しておらぬとは。


「尾張には駿河に下向しておった公家がおる。知っておって当然じゃ。大樹の町に手を出して素直に従うと思うたのか?」


「己ならば潰されぬと思うたのでは? 尾張は銭で黙らせることもございます故に」


 愚か者の考えそうなことじゃの。内匠頭の慈悲は誰にでもあるわけではない。真継のような者は内匠頭が好むはずはない。


「して、大樹はいかがしろと?」


「内々に済ませるのは認めぬ、公にして綸旨の真偽を確かめろと」


 内々の謝罪は受けぬ、主上と院のお耳に入れて、天下に示す形で堂々と裁くべしということか。それもまた当然じゃの。今の朝廷は主上と公卿で上手くいっておらぬ。大樹とすると、己は公卿とは違うと主上と院に示すだけでよいのじゃ。


 さらにそれを京の都と畿内に示すと、大樹の名は上がる。


 真継は偽の綸旨で大樹を謀ったからの。甘い処罰では済まされぬ。処罰は大樹と話して決めねばならぬか。にしても……。


「ふふふ、大樹はよき武士となったの」


「兄上、笑い事ではございませぬ」


「そのくらいでよい。半端な将軍など世が荒れるだけぞ」


 あやつを旅に出す時、いかになるかと案じたがな。今思えば旅に出して良かった。塚原殿には礼を言わねばなるまい。


 内匠頭の見る世には大樹の力がいる。これでよいのじゃ。これでの。


「二条公と山科卿には先に伝えておくか」


 真継が奪った職は、山科卿と縁ある新見の家職であったはず。今後のこともある。先に話しておかねばならぬな。


 主上には関白から奏上そうじょうさせるか。主上の勘勅を賜るかもしれぬこと故、嫌がるのは目に見えておるが、あやつにはもっと世の恐ろしさを教えねばならぬからの。


 ちょうどよい。愚か者を厳罰に処することで、公家らに己らも安泰ではないと示すほうがよかろう。


 いささか公家の面目が傷つくが、捨て置いても地に落ちるだけじゃからの。今更なことよ。




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