第2256話・偽の綸旨

Side:近江にいる公家


 皆で顔を合わせて安堵した。


「これでよい。信を失うことこそ恐れねばならぬこと。尾張は決して吾らを見捨てぬはずじゃ」


 皮肉かもしれぬの。主上や公卿よりも、武衛殿と仏の弾正忠のほうが信じられる。領国に生きるすべての者を従えてしまう尾張にだけは、見限られることなどはあってはならぬのじゃ。


 あそこは朝廷と対峙出来る国じゃからの。神宮の一件でそれを痛感した。


 尾張が真継の所業を許すとは思えぬ。仮に吾らが訴えねば今は動かなんだかもしれぬが、いずれ口実が整った時に動いたことであろう。朝廷を見捨てぬ限りは……。


 無論、真継がいかになろうと吾らに関わりのないこと。そこに興味などない。されど、真継の所業を隠したと思われ信を失うと吾らは居場所を失う。


「争いも貧しき日々も、もうたくさんじゃ」


「左様じゃの。吾らは大樹に従い生きる」


 奪わず争わず、東国は新たな道を歩み始めておる。すべては久遠内匠頭が導きし道。面白うないと拒んでいかになるというのだ?


 大樹ですら、その道を進まれておるというのに。


 吾ら如きでは、なにも残らぬまま朽ち果てるのみ。口には出せぬが摂家とて己がことで精いっぱいじゃ、誰ひとり吾らのことなど顧みてくれぬ。


 近江にて仕えて、吾らはようやく平穏な日々を手に入れた。武士の風下に立つこととなったが、それもまた致し方ないこと。


 尾張を知ると、武士が優れておる故に栄えるのだと認めねばならぬ。


「にしても聞きしに勝るとは、このことじゃの。内匠頭殿の奥方衆が大樹を支えておるわ」


「管領代殿も一廉の男なれど、あれは武士。寺社や商人が相手ではいささか分が悪いからの。そこを助けておられる。これでは隙がない」


 五山の僧すら恐れる女か。世は変わったと思う。その場で決めてしまうとはの。


 寺社を超える久遠がおる限り、大樹と三国同盟は安泰じゃ。吾らの明日もまた安泰であろう。




Side:秋


 管領代殿がため息を隠さなかった。


 公家の家と家職を乗っ取り、綸旨の偽造をした。大問題なのよね。この時代だと。


「あちこちに利を回して相応に上手くやっていたようね。奉行衆や政所の伊勢殿は黙認していたようね」


 春がこちらで調べてあった事情を知らせると、さらに表情が曇る。


「よりにもよって院の綸旨を騙ったとはな。見過ごせぬ。尾張には?」


 そう、彼が使っている偽の綸旨は、院が帝だった頃に出したと称しているもの。もう検証の必要もないのよね。本人が健在なんだから。


「すでに知らせを出したわ。自らの身と家の立場がありつつ、真相を明かした公家衆の功は潰せないわ。上様がお戻り次第、動くべきでしょうね」


「公家もやっていることは武士と変わりないな」


「綸旨は争いの元なのよね。いずれきちんと正す必要があるわ。手始めに、この機を利用して偽の綸旨を潰していきましょう。保内商人の持つ後白河院の綸旨も偽物でしょう?」


 管領代殿は公家の実情に嫌気が差しているみたいだけど、春はこの機会に綸旨のチェック体制を構築するつもりでいる。朝廷に圧力を掛ければ、真偽の鑑定はある程度出来るはずなのよね。


 無論、主導権はこちらで握る必要があると思うけど。


「今ならば、やつらの後ろ盾である叡山を黙らせることが出来るか」


「管領代殿にお願いしたいわ。無論、尾張も力添えはするけど。この機に公平公正に動くと示して頂くと今後、楽になるはずよ」


「であるな。それに朝廷を見捨てるわけにいかぬ。外堀から埋めて正してやらねば。わしがその役目を担おう」


 偽の綸旨。持つ者の力を考えると朝廷であっても手を出せないものになっているのよね。それを上様と管領代殿が正す。


 恨みも買うでしょうが、長い目で見るとそれが信頼となり力となる。


 飛んで火にいる夏の虫というところかしらね。司令とエルも綸旨の件は随分前から懸念を持っていた。


 尾張にはちょっかいを出していなかったけど、欲を出したのかしらねぇ。




Side:久遠一馬


 近江から早馬にて連絡があった。まさか近江にいる公家衆が同じ公家を告発したとは……。


 オレとエルは、さっそく義統さんと信秀さんたちと相談している。


 真継久直。彼は要注意人物として織田家で警戒していた人物になる。今川と今川が世話をしていた公家から情報を得ていたんだ。


 ただ、今までは特に接点がなかった。尾張とウチに手を出してこなかったしなぁ。


 尾張の鋳物師のとりまとめをしていた水野太郎左衛門家は早くから織田に従っていたし、それ以外の鋳物師も時世を理解して織田の管理下に収まっていた。


 ウチで高炉を建設したり技術指導をしたりして、職人の収入や暮らしの安定をしていたからね。


 さらに朝廷に献上品を贈り、上皇陛下や帝が尾張に注目していることもあったんだろう。手を出すタイミングがなかったと思われる。


 それ故に、こちらとしては動かなかったんだが……。


「とうとう手を出してきたか」


「奉行衆には相応に根回しをしておった様子。こちらに手を出さねば黙認すると思われたのでしょう」


 義統さんと信秀さんはなんとも言えない顔をしている。真継の動きは信秀さんの推測の通りだと思う。こちらに手を出さないだけの分別はあった。


 多分、公家衆が告発して春たちが動くと思わなかったんだろうな。


 真相を知ると、上皇陛下と帝は、怒るだろうなぁ。上皇陛下は特にこの手の話が嫌いなお方に思える。自身の側近であった蔵人を尾張で解任するくらいに。


 さらに義輝さんが造っている町に手を出したことで、義輝さんの面目も関わる。半端な処分で収まらないだろうな。


「真継とやらは、やりすぎではあるまいか? 公家とはかように恐ろしきことをするのか。武士と変わらぬぞ。武田を卑怯者と笑えぬことをするとは……」


 義信君はドン引きしていた。


 まあ、こういうことあるから、朝廷と公家の信頼がないんだよね。尾張で。


「かず、この件、こちらが動く必要があるのか?」


「ありませんね。処罰は朝廷と上様に任せていいかと。ただ、春はこれを機に綸旨の真偽を確かめる形を上様の下に作りたいようです」


 真継の処分は信長さんのいう通り、オレたちが口を出す問題じゃない。


 今川とか大内とか騙された人なら口を出してもいいのかもしれないが、大内家は義隆さんの後釜が決まらぬまま途絶えた形になっているので、口を出せないだろう。今川も口は出さないと思う。公家の因縁に首を突っ込むメリットがないからだ。


 斯波と織田は直接関係ないし、北畠家と共に六角をサポートして朝廷に睨みを利かせるだけだ。


「それはやらねばなるまいな。偽の綸旨など残しておいていいことはあるまい」


 義統さんの許可も下りたことだし、とりあえずこちらは綸旨の検証する形と方法を少し検討するか。


 ただ、これ公家の協力がないと難しいだろうなぁ。朝廷も記録とか改ざんするし。


 公家の事情が知りたい。学校の公家に相談するか。



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