第2255話・厄介事と帰還
Side:秋
山狩りの後始末で近江は少し騒がしい。蒲生殿と管領代殿の怒りが思った以上だったことで、近江の諸勢力は驚いているというところだと思う。
戦をすることもあまりなく、隠居して軟禁状態だった北近江の浅井殿を許し役職を与えたことなどもあり、管領代殿は穏やかな人だと言われていたからでしょうね。
そんなこの日、奉行衆のひとりから内密の話がしたいと頼まれたので席を設けた。
やって来たのは奉行衆と地下家の公家が数人ね。なんの話かしら? 政治的な話は春にしてほしいんだけど。
「人払いを頼みたいのだが……」
厄介事みたいね。警護の者と侍女を下げて、少し暑いというのに障子戸を閉める。
「真継久直という男をご存じか?」
こちらを伺うような奉行衆の男と公家たち。話はその件か。確かに人払いをする話だわ。
「鋳物師の公事に関する綸旨と称するものを持って、諸国で税を集めている人よね。確か上様の新しい街でも税を払えと使者が先日来たかと」
私の言葉に公家衆が少し恐れるような顔をした。
「察しておる通り綸旨は偽物じゃ。あれは
まさか、その話が公家衆からあるなんてね。この時代、綸旨の偽造は珍しくない。真継家は史実では徳川時代に偽の綸旨を認められてそれなりに残ったのよね。あとから偽造だと露見する程度に偽の証拠があったのでしょうけど。
「京の都では知れておることじゃ。新見家は山科家と縁がある。必ずや内匠頭殿の耳に入ろう。吾らはこのことを隠して上様と内匠頭殿を謀りたくない」
公家の間では割と有名な話なんでしょうね。こういう情報が上がってくるだけ、彼らを近江に呼んだ価値があるのよね。
「実はその御仁、今川家からもその綸旨で税を得ているのよね。偽物だという疑いはすでにあったわ」
「やはり、ご存じであったか」
今川は健在だから統治に関する引継ぎはしてある。金の流れやこの手の中央との繋がりまで把握しこちらでも調べた。
実は今川からの引継ぎでも怪しいという話はあったのよね。今川は銭を払って穏便に済ませたけど。
「いかがされる?」
「上様と管領代殿と話してからになるけど、偽の綸旨となる以上、見過ごせないわ。他にも偽の綸旨を使っている疑いがあるところ多いのよね。許していると世のためにならないわ。ただ、皆様方はいかがしたいのかしら? 功にする? 名を伏せておく? 功にすると名は上がる分、目立つけど」
まあ、訴えがなければ拒絶して放置したかもしれないのよね。地下家の因縁に関わりたくないし。ただ、訴えがあった以上、動かないと駄目でしょうしねぇ。
「名は伏せてくれると助かる」
「そう分かった。なら、その方向で。なにかあったら当家を頼ってちょうだい。我が殿は決して正しき者を見捨てないわ。相手が誰であっても」
隠したと思われて京の都に帰されても困るが、同じ公家を売ったと思われたくないか。地下家も大変ね。
正直、私、こんなキャラじゃないんだけど。ただ、強い言葉がいるのよね。内部告発者を守るだけの。
司令の元の世界では内部告発者が後に後悔するようなことも少なくなかった。そんな世の中にしては駄目なのよね。
「誓紙が欲しいなら、あとで我が殿のものを届けるわ」
「いや、それには及ばぬ。内匠頭殿を疑うなどありえぬ。我らとて理解しておる。尾張も難儀なことが多いと。少しでも役に立てればと思うてな」
「こういう報告は助かるわ。こっちでも証言がないとなかなか動けないから。褒美は内々にあると思うから、そっちも期待して」
とりあえず内密のこととして、以後は奉行衆も手を出さないことにした。あとは私たちが管領代殿と相談して上様と話すことになる。
完全に政治的な案件ね。実務担当者からの報告だから私のところに来たけど。すぐに春に報告して対処しないと。
Side:久遠一馬
尾張に戻った。楽しかった。そう言ってくれる子供たちの笑顔が一番だ。船旅は楽じゃないんだけどね。この時代の人はたくましい。
那古野に戻り一日休みをもらって、オレとエルたちは留守中の報告を受ける。喫緊で動くことはないが、気になっていたのは八風街道と千草街道の賊討伐だ。
織田家では戦の演習を兼ねて動いていて、六角もそれに近い形だったか。ただ、話が拗れているところがある。
街道の周辺の寺社と村だ。義賢さんが厳しい処遇を言い渡したことで騒ぎになっている。
「当家にも助けを求める使者が参りました」
六角から事実上の縁切りを言い渡された寺社は、慌てて関係するところに謝罪と嘆願をしているらしい。
「それでどうしたの?」
「当家が関与することではないと諭して帰しました」
さすが資清さんだ。守護として下した六角家の決定に、斯波家と織田家が口を挟むことは出来ない。まあ、これはどこも同じだと思うが。
とはいえ、こちらにも損害を与えたからな。当然、許すかどうか検討しなくては駄目だ。六角家が許さないならこちらも許さないだけになると思うが。
「それでいいよ。ご苦労様」
今回、留守中のことは資清さんにお任せにした。資清さんが判断に迷ったら尾張にいる妻たちに相談したらいいし。特に問題はなかったらしい。
「六角家からの使者が言うておりましたが、動くのが遅すぎたのかと」
だろうね。山狩りをする前に動いていれば配慮もあっただろう。
「その件はこっちが動くことじゃないね。ところで八風街道と千草街道は? 使えそう?」
「はっ、険しき道なれど十分使えるかと。土務方にて賦役を始めております」
よかった。あそこがほんとアキレス腱になりかねなかったからなぁ。近江と伊勢、美濃の移動ルートはなんとしても整えないといけない。
近江と尾張間の人の移動は戦国時代と思えないほど活発だからなぁ。
「御本領はいかがでございましたか?」
報告が一段落すると、資清さんからそんなことを問われた。
「うん、楽しかったよ。生まれも育ち身分も違う子供たちが仲良く遊んでいたんだ。帰る時には悲しむくらいにね。それが嬉しかった」
資清さんの直系の孫にあたる久助君も一緒に行って楽しんでいたんだよね。ほんと、尾張とウチの島の垣根は、いい意味でどんどん低くなっている。
「それはようございました」
「八郎殿のおかげだよ」
嬉しそうな資清さん、もう若くないんだけどね。ただ、見た目は同年代の人と比較すると若く見える。生活習慣の影響だろう。それもあって、まだまだバリバリ働くつもりでいてくれている。
「某は当然のことをしたまででございます」
「みんな、当然のことと思って動く。でも結果が違うんだよね」
尾張と久遠諸島の橋渡し、資清さんが始めたんだよね。何事も最初が肝心というのは同じだ。そういう意味では現在の織田家と久遠家の関係を含めて資清さんの功績が大きい。
「お役に立てたならば本望でございます」
「ありがたい限りだよ。ただ、ウチだと、これ以上立身出世させる立場がないのが申し訳ないね。新しい役職でも作るか?」
「駄目ですよ。後が困ります」
ふとオレとエルが冗談を言いつつ笑ってしまうと、資清さんも笑った。
資清さんはもう立身出世とか望んでいないんだ。今の立場でずっと働きたいと思ってくれている。
今までに、そういう話を何度かしたことがある。
実は織田家の奉行職の候補に挙がったこともあるんだ。一益さんも育ってきていたしね。もし資清さんが望めばという話があった。
結局、辞退したけどね。
今の立場と働きが楽しゅうございます。そう言ってくれたんだ。
その時、楽しいと言ってくれたことが資清さんの凄いところだ。
オレたちの価値観を理解し、どんな意見を求めているか瞬時に把握するからね。こういうあまり表に出ない力量が凄い。
まあ、織田家だと知らない人がいないほど資清さんの力量は有名なんだけど。ウチの家臣が織田家直臣待遇になったのも、もとはと言えば資清さん功績のひとつだ。
そもそも直臣待遇。別に評定で決めたことじゃないし。いつのまにか、みんながそうしているだけだ。
織田家も結局のところ、織田家の中にウチという司令塔がいるから、調整がなにより大切なんだ。それを担っているのが資清さんになる。
そのあまりの働きに、陪臣扱いは駄目だろうと誰かが考えたらしいね。
本人は今でも織田家陪臣という立場を崩さないが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます