第2254話・子供たちの久遠諸島訪問・その六

Side:エル


 船に乗ると、子供たちは別れを惜しんで泣いている子もいます。二度と会えない。二度と来ることは出来ない。子供ながらにそう思うのでしょう。


 出会いと別れ。それは必然ですが、別れの辛さを学んだようです。


 また来ることが出来ると言ってあげるべきでしょうか? 願わくはまた来られるように頑張ろうと考え、自分たちで前を向いてほしい。


「泣いてはなりません。また会えるように励むのです。父上や一馬殿が、皆で共に歩むべく励んだからこそ、今があるのです。私たちもそれに続かねばなりません」


 ……市姫様。思わず驚いた顔をしてしまったかもしれません。あの幼かった姫様が、私が言いたいことをそのまま皆に言って諭してしまいました。


「はい!」


「また会いにこよう!」


「うん! また!」


 誰よりも司令と私たちと共に過ごしました。司令も子供には甘いのであちこち連れていきましたしね。あの日々は決して無駄ではなかった。


 共に過ごした時は決して変わることはない。市姫様も学校の子たちも……。


 私たちと市姫様が過ごした時は、今、ひとつの実りを迎えたように。この子たちが大人になった時、この夏の僅かな期間の交流が新しい実りとなるのかもしれませんね。


 その時が楽しみで仕方ありません。


 日ノ本の統一は、まだ道半ばだというのに。子供たちが変わるスピードに負けそうです。


「みんなを連れて来てよかったなぁ」


 司令もそんな子供たちを見て満足そうですね。


 今回の帰省は守護様の一言から始まりました。確かに大人を連れてくるより遥かに意味がある帰省になりました。


 過去と現在、そして未来があのお方は見えている。人の可能性をまたひとつ教えられたのかもしれません。


 新たな交流は、織田と久遠の関係を末永く続くものとする礎となる気がします。


 私たちも負けていられませんね。もっと頑張らなくては。




Side:アルテイア


 船が遠ざかるのをみんなで見送る。楽しい祭りが終わった後のような静けさが島に戻ったわね。


 司令たちが尾張に行くと、領主様たちはなぜ日ノ本に行ってしまうのかと悲しむ子が毎回いる。


 私たちはその都度、誤魔化すことなく教えている。これから先もみんなで生きるために、私たちには日ノ本が必要だということを。


 明のような大陸の国々と対峙して生きていくには、私たちだけでは人も力も足りないということを教えている。


 無論、オーバーテクノロジーを使えば、私たちだけで生きることも不可能ではない。ただ、いつまでもオーバーテクノロジーばかり使っていては、人々と共に生きるということにならないと私は思う。


 医師として教師として人と向き合っていると、共に生きていきたいと心から思うわ。


「今度はみんなで尾張に行きましょうね。多くを学べるわ」


 昨夜、司令たちと相談して決めたのよ。今度は島の子供たちを尾張に連れていくと。


「おわりに?」


「領主さまに会いに?」


「尾張の学校のみんなにも会える?」


「ええ、会えるわ」


 寂しげだった子供たちが一斉に喜び大騒ぎになる。うふふ、こういう素直なところも子供たちのいいところよね。


 織田と久遠は互いに切磋琢磨して行ければいい。先のことは分からないこともあるけど、それだけは続けたい。


 夢と希望、司令が子供たちに持ってほしいと願うことよ。


 今回の帰省で子供たちは外の世界を身近に感じ、尾張への旅行で知ることになるでしょう。どうなるのか楽しみね。




◆◆

 永禄五年、七月。織田学校の生徒たちが、久遠一馬の帰省に同行する形で久遠諸島を訪れたことが『久遠家記』や『織田学校史』に記されている。


 前年に続いての帰省で、当初、久遠一馬は同行者を誰にするか斯波義統と織田信秀に相談したという記録が『織田統一記』にある。


 ただ、この時、一馬の帰省に日ノ本の者が同行することが当然となりつつあった現状に義統が憂慮を示している。


 日ノ本の者もいずれ感謝を忘れる故、連れていくのを当たり前と致さぬほうがいいと一馬に言ったと『織田統一記』と『久遠家記』に記されている。


 すでに日ノ本を左右する立場でありながら決して自らの地位と立場に驕ることなく、先々まで見越していたこの時の言葉こそ、義統の先見の明を表している。


 学校の子供たちの同行に関しても、一馬が子供好きであったことなどを知る義統の考えだったとあり、現代まで続く修学旅行の生みの親とも言われている。


 滞在中、織田学校の生徒たちは現地の久遠学校の生徒たちと交流したり、久遠諸島の文化や産業を体験したりするなどして楽しんでいる。


 一馬の意向から、子供たちは学ぶことばかりでなく遊び楽しむことも多く取り入れられており、現代の修学旅行の基本となった。


 この訪問以降、織田学校と久遠学校では相互交流を深めていくことになり、現代に続く伝統となっている。


 さらに織田学校本校の修学旅行では、旅行先が多様化した現在でも選択制ながら久遠諸島への修学旅行を続けている。


 人気の観光地ながら久遠諸島は全島が私有諸島であり、島の環境を守るために久遠家が入島制限をしていることで、一般の旅行客は久遠家による審査後数年待ちという状況も珍しくないが、織田学校の修学旅行だけは特例として毎年受け入れが続いている。


 永禄五年の久遠諸島訪問は久遠家家臣と学校関係者のみであるが、その中で学校関係者の日記と逸話が残っている。


 日記は今川家が保護していた公家のひとりが書き残したものであり、久遠国のことは他言しないという誓紙を交わした故、日記にも書けないと記してあるものの、久遠国は後の世のために守らねばならない。京の都に歯向かうことになっても。という覚悟を示すような言葉を残している。


 この公家の日記には久遠国と書かれているが、これは天文年間の頃から資料によっては書かれている言葉で、主に久遠家の影響が及ばない寺社や公家の日記などに多く残っている。


 当時の客観的な見方として、知識層は日ノ本の外にある久遠家の支配領域を独立国として扱っていたことは確かである。


 また津島神社の神職であった者は、寺社が存在しない久遠諸島を見て、寺社がなくても皆で助け合いながら暮らせる久遠の人々の素晴らしさを学んだという逸話が津島神社に残っている。


 こちらも詳細は語れないと言ったと伝わるものの、久遠の人々の安寧を祈りたいと語ったとあり、津島神社では現代に至るまで久遠国の安寧を祈る祈祷を続けている。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る