第2250話・子供たちの久遠諸島訪問・その二
Side:お市ちゃんの乳母・冬
今日は、各々で好きなことをしていい日です。
島の中を見たいと外に出た者が多くいる一方で、屋敷で書物が読みたいと過ごす者もおります。
学ぶだけではない。今日という日を楽しみ、悔いないように過ごせというのが、内匠頭殿が常日頃から子たちに教えていることでございます。
それ故、皆がそれぞれに好きなことをしている様子に、内匠頭殿は嬉しそうでございます。
今の内匠頭殿の様子を見ると、守護様と大殿もお喜びになられるでしょう。
久遠島に来ている者で知っているのは私だけでございましょうが、実は守護様や大殿は内匠頭殿の心労を案じておられますから。
目の届く範囲をすべて守り、飢えぬようにしようとされている内匠頭殿の心労はいかばかりか。常に他者に気遣い、己が都合を後回しにすることさえある。その積み重ねが負担ではないかと案じているのでございます。
学校の者たちと共に外に出た姫様を見送ると、エル殿と共に一息つきます。
「冬殿も好きにしていいのよ」
「ありがとうございます。十分、今この時を楽しませていただいております」
久遠家にいる時は久遠の流儀に従い、内匠頭殿や奥方衆の命に従う。これは大殿より命じられていることになります。姫様の乳母という立場はありますが、共に生きるひとりの人として時を過ごす。これもまた必要なことでございましょう。
「ここに来て、海と空と島を見るだけで、私にも争いのない世が見えるようで……。いかな暮らしなのか、子や孫たちは、かのような国でいかに生きるのか。そう考えるだけで楽しくなります」
私は姫様の乳母として、日ノ本の者で一番多くこの地に参っております。時折、羨ましいと言われることもあります。
正直、非常に運がいいことだと私も思いますから。
「じゃ、一緒に菓子でも作りましょうか?」
「はい、是非お願い致します」
エル殿の誘いがなにより嬉しい。私はここで普段と変わらぬように過ごすだけでいいのですから。
今日という日を、いつもと変わらず久遠島で過ごせるだけで幸せでございます。
Side:牧場留吉
「うわぁ……すごい」
島の工業村のガラス工房で、おみねが驚きの声を上げた。硝子細工の職人の作業を見せていただいているんだ。
尾張の職人よりも硝子細工の技量は上だろう。私は幼い頃から工業村に出入りを許されているから分かる。
「おいおい、まだ若いのになんて絵を描くんだ……」
職人の許しを頂いて、おみねが作業の様子をさらさらと筆で描くと、周囲の職人たちが驚いている。
繊細ながら豪快な絵を描くと評判になりつつあり、尾張でもおみねの絵を欲しがる人は多いからね。
実は、おみねは今後を案じた殿の命により、少し前から牧場姓を名乗っている。
両親もいて仲もいいことから猶子としたわけではないが、尾張で牧場姓を名乗ると久遠家の猶子として扱われるのでおみねにとってもいい話だ。
それもあって尾張では、私やおみねが無理難題を言われることはない。
「オレの絵も描いてくれよ! 硝子細工やるからさ!」
「はい! いいですよ~」
いつの間にか職人たちと親しくなったおみねは、さらさらと仕事をしている姿を描いてはあげている。牧場姓はここでは遠慮されるのではなく身内として扱ってくれるので、おみねも楽しそうだ。
なんとも奇妙な気分になる。故郷でないのに私たちを故郷のように受け入れてくれる。この国が。
それにしても……、相手が誰であれ物怖じしないおみねは凄い。おみねの絵を気に入った尼僧様も、相当な身分のお方のはずだ。守護様と同等か、それ以上かもしれない。立ち居振る舞いと話し方から公家の出ではと思っている。
殿の下にいると、かようなお方にお会いすることはあるので私も少しは慣れているが、おみねほど上手くお相手が出来ない。
「私にも描かせてください」
「おっ、いいのか? 頼むよ」
少し羨ましくなり、私も筆を手に絵を描くことにする。喜んでもらえるか案じるところもあるが、私には絵を描くしか出来ないから。
「うわぁ。留吉も上手いなぁ」
「ほんとだ、近頃の子はみんな絵を描けるのか?」
「まさか、領主様の猶子だし、この子たちが別格なんだろ」
「おし、土産にとっておきの品をやるぞ!」
少しは喜んでもらえているらしい。私にはそれがなによりだ。
Side:久遠一馬
今日は一日自由にしてある。みんな、それぞれ好きなところに行って、そこにいる島民と話をして交流なり見せてもらうなりしてほしいんだ。
オレは屋敷に残っている子供たちとのんびりと過ごしている。実の子供と比較的幼い子たちは残って、屋敷を探検している子たちが結構いるんだよね。
「楽しそうに笑うの。内匠頭殿」
子供たちの相手をしていると、書物を読んでいたお公家様に声を掛けられた。
「ええ、子供たちと一緒の時は楽しいですよ」
なんというか、この人たち話しやすいんだよね。敬意を払うのは忘れないし、こちらも敬意を払われている。ただ、なんというかオレに合わせて過剰な扱いとか一切しないんだ。
対人コミュニケーション能力が高いなと思う。
「駿河で世話になっておる時は、そなたを恐ろしゅう思うこともあった。そなたは人に出来ぬことを成してしまうからの。されど、吾はそなたの苦労を察することが出来なんだ。未熟であったわ」
「私も恐ろしく思うことはいろいろとありますよ。朝廷も公家衆もそのひとつです」
学問と風土記とかは、この人たちの協力が結構大きいんだよね。凄いのは学問と残すことの価値、オレの理念を理解して協力していることだろう。
京の都の公家も同じことが出来ると思うが、向こうは既得権やらしがらみがあって動けない人が多いんだと思う。
「朝廷は多くの者を見捨てた。そなたに近き者では楠木もそうであろう。いずれ、朝廷が見捨てられることもあるかもしれぬな。京の都を離れると、それもまた天命ではと思うこともある。日ノ本では決して言えぬことじゃがの」
この人は……オレに京の都を見捨ててもいいのではと言いたいのか?
「吾にはなにも言えぬが、無理はせぬようにの。そなたには守るべき者がこれほどおるのじゃ」
「ありがとうございます」
無理をしているように見えるのかなぁ。ただ、こういう場合は当人が無理をしていると思わなくても無理をしている場合がある。
オレにはエルたちもいてその可能性は高くはないが、気を付けよう。エルたちだって万能じゃない。エルたちこそ無理をしないようにオレが心配りしないといけないんだ。
まあ、大丈夫だと思うけどね。
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