第2248話・子供たちの久遠諸島訪問と近江の山狩り・その八
Side:とある寺社の僧
戻った者の様子を見れば一目瞭然か。
「駄目でございました。仲介は断ると……」
力なく聞こえた言葉に、皆が項垂れた。六角家宿老の方々になんとか仲介を頼むと頭を下げたのだが……。
街道で盗みを働く者らと関与したことで、蒲生家と六角家を怒らせてしもうた。
「いつから武士が寺社に口を出すようになったのだ? 守護使不入はいかがした? 寺社での商いが、それまでの俗世との切り離しとするのは当然であろう。相手を見て賊かなど一々確かめるなどあり得ぬ」
蒲生と六角の沙汰に不満を口にする者もおる。されど……。
「勘違いするな。守護使不入も寺領も今まで通りじゃ。されど、尾張が始めた品物に対する商いでの配慮が消える。あれは六角の配慮で許されておったに過ぎぬ。与えるも締め出すも六角の勝手」
分かっておるとは思うが、改めて事実を突きつけると口を開く者はおらぬようになった。
口を出し始めたのは六角ではない織田だ。勝手極まりないまま一揆を起こした三河本證寺を機に織田は寺社に口を出しておる。
面白うないが、最早、逆らえる者はおらぬ。伊勢の神宮ですら織田に見限られたことで人が寄り付かぬと噂じゃからの。
「聞いたところによると保内商人が我らの関与を織田や六角に明かしたとか。我らへの奴らの仕返しであろう」
「くっ……」
逆らえぬ。此度は織田も兵を出しておるのだ。されど、己らとて好き勝手しておった保内商人が我らを売り渡したのは許せぬと皆の怒りが高まる。
「意地を見せることも許されぬのか?」
織田は致し方あるまい。それは皆も渋々ながら認める。勝手なのは織田も同じだが、皆が飢えぬようにしているその事実こそ重い。
それと比べて、己らの懐具合ばかり大事とする保内商人が許せぬのだ。
「我らの命を捨て、寺を潰す覚悟があるなら意地を示すことも出来よう」
その覚悟があるのかと皆に問うが、答える者はおらぬ。六角と蒲生とすると我らも保内商人も信じぬのであろう。蒲生からは要らぬと公の場で言われてしもうた。
これでは面目もなにもあったものではない。
「他の寺社と村はいかがするのだ?」
「逆らう者がいると思うか? 一切の権を失うことになろうが、生きてはいける。少なくとも六角が目指すのは尾張の治世だからな。本山に頼るという手もあるが、尾張が出てくると本山も頼りにならぬ」
面目も命も食い物もすべて奪うなら戦うが、降った者を粗末にせぬことだけは確かだ。そこに限っては他の武士と違う。
恐らく、織田も怒っておるのであろうな。
Side:織田信勝
近くに来たので書物を借りようと立ち寄ったが、人気のない学校は寂しさを感じるほど静まり返っていた。
久遠島に同行出来なんだ子や職人などがわずかに学んでおるのみで、あとは警備兵がいるだけ。
「賑わいがないのは寂しいな」
思わず口に出してしまうが、答える者はおらぬ。警護の者は馬車のところで待たせており近習も今はいない。
ひとりになった故に気付くこともある。
大事とするのは人なのだと。内匠頭殿は終始それを重んじていた。血筋や名のある者は丁重に扱うが、言い換えるとそれだけだ。親身になり考えておるのは人のこと。
古き書物を紐解き学ぶことで先人の苦労と失態を知ることが出来る。私も多くを学んだ。それ故に思うのだ。
今の尾張がいかに恵まれておるかということを。
朝廷も寺社も武士も、皆勝手ばかりする。己が家と一族のためと称して争い世を乱す。左様な繰り返しが日ノ本の積み重ねなのだ。
私たちはそれを変えることが出来るのであろうか?
「勘十郎様、お待たせして申し訳ございませぬ」
しばし学校を眺めておると書庫の鍵を持つ者が急ぎやって来た。
「いや、よいのだ。先触れもなく来てしまい済まぬな」
鍵を開けて書庫に入る。書物を置いてあることもあり中は少し暗い。鍵を持って参った下男が南蛮行灯で照らしてくれた。
読みたい書物を見つけると、貸出帳に名と借りる書物を書いておく。
「今頃、皆、久遠島で楽しんでおろうな」
外に出ると、日の光の眩しさに思わず目を細める。
「左様でございますなぁ。大人も子供も久遠様のご本領に行けることを喜んでおりましたから……」
内匠頭殿は学校に来られると清洲城とは違う顔をされる。師となることもあるが、決して上から申し付けるように教えることはない。
共に学び共に考える。久遠家の家伝のひとつだと聞くがな。
「皆の留守を頼むぞ」
「はっ、畏まりましてございます」
見送りにと馬車のところまで同行した者に一声掛けて馬車に乗る。
留守くらいは守らねばならぬ。わしを含めて織田領の皆でな。
内匠頭殿の十年余りの日々を無駄にせぬためにも……。
Side:久遠一馬
今日はみんなで果樹園に来ている。ここも久遠諸島に来る人たちに評判の場所だ。見知らぬ果樹が多くあり見ていて楽しいからだろう。
「みんな楽しそうだなぁ」
写実的な絵を見せながらどう成長していくかを教えつつ、お手伝いをしてもらっている。
時代的に子供たちの両親は武士でも田畑を耕していた世代だ。今では武士の専業化が進み、武士が田畑を耕すことは減っているが、武士の子も農業を学ぶし、学校でもそういう授業はある。
さらに学校には勉強を兼ねて島の果物を贈ったことがあるからね。実物の育てる農園を見るのを楽しみにしていた子は多い。
「ほう、寒い地だと育たぬのか。難儀なものよの」
「蝦夷も苦労が多かろうな」
ああ、楽しんでいるのは教師陣も同じだ。神職や僧侶や公家衆も土にまみれて働きつつ、説明を聞いて一緒に考えてくれている。
先日公家衆とは夜の宴の時に話をしたが、尾張やウチの島にいると気楽だそうだ。働くと生きるのに困らないくらいに収入が手に入り、新しいことが多いので変わったことをしても誰かに嫌みを言われたり非難されたりすることもないからと。
公家もまた、家伝などそれぞれの家で継承するべきことや基礎的な学問は当然学ぶが、それ以外で自由に学問を学び考えるような環境じゃないみたいだね。
他家の家伝や家職は学べないし、寺社も知識を独占するからだと思うけど。
尾張だと、仕事以外は好きに学んでいいというのが嬉しいらしい。
彼ら尾張在住の公家衆の影響は意外に大きい。尾張や織田領の武士や寺社に対してだ。寺社であっても本山の表沙汰にしたくない内情とか、末端は知らない人多いしね。
身分と権威があるのはいいが、下の身分になると自由に学べないとか、寺社の堕落した内情とかが広まると学校に感謝してくれる人が増えた。
そんな学校のみんなと一緒に働いていると、お清ちゃんたちが食べ頃の果物を切って持ってきてくれた。
「皆様、是非召し上がってください」
「畑で学び、食べて学ぶ。これも学問のひとつでございます」
ああ、お清ちゃんも千代女さんも、エルたちと遜色ない感じになったなぁ。ここ数日は暑いこともあってシェヘラザードたちが用意してくれた洋服を着ている。
最初どうなるかと思ったんだよね。ふたりも。慣れるとオレとエルたちも扱いを気にしなくていいくらいになった。
ふたりの影響もまた大きい。ふたりの活躍を見て、学校に通う女性が一気に増えた。花嫁修業のみならず、あらゆることを学ぶ女性、意外に多いんだよね。
史実の江戸時代と違って、国人クラスだと嫁いだ後も領地の切り盛りとか働くから、いい意味で女性らしくとか政治に口を出すなという時代じゃないからだろう。
文官として働く女性、尾張のみならず織田領全域で普通にいるからなぁ。
エルたちが新しい女性の生き方を尾張に示したように、お清ちゃんと千代女さんもまた、武士の娘の新しい生き方を示した。
本当に凄いことなんだよなぁ。これは。
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