第2212話・花火の夜
Side:久遠一馬
夕方になると、花火を待ちわびる人々の熱気が最高潮に高まる。笛や太鼓の音が聞こえたり、歌うような声が聞こえたりとね。
問題を起こす人は年々減っている。
喧嘩くらいなら珍しくないけどね。刀を抜いたりするのは減ったなぁ。身分にものを言わせて勝手をする人もあまり見かけないそうだ。なにかあると領民のみんなで対処して警備兵が呼ばれる。
治安維持をきちんとして見える形で警備兵がいることで、他国から来た者たちも勝手をすることは珍しくなりつつある。
かつて土岐頼芸の家臣が酒に酔ってぶつかった子供に無礼だと刀を抜いたが、あんな騒ぎはもう起きないかもしれない。あの話が有名になったこともあるし、少なくとも町で子供がぶつかって相手が怒ったら、間に入って仲裁する人が今の尾張にはいる。
さて、今年の花火。今日は義輝さんを迎えての花火見物だ。
場所は熱田神社にある宿泊施設の庭だ。バーベキュー、鍋、鉄板焼きなどをその場で調理して、皆さんに提供する。
この形式もウチの久遠流もてなしのような扱いだけど、実は義輝さんが好きなんだ。
現在の帝や上皇陛下のもてなしでも前例があるので、無礼とか言われることはない。
それにしても、今回もいろんな人がいるなぁ。朝倉家に、三好家の清洲留守居役、少し前に三好家と同じく病気療養名目で屋敷を構えた北条家留守居役もいる。
あと前古河公方である足利晴氏さんも、義輝さんが連れて来たので宴に参加している。晴氏さんに関しては当然ながら相応の扱いをしているが、なんというか正直目立っていない。
いい意味で存在感を出す気がないみたいなんだ。義輝さんとの政治的な軋轢などを警戒しているらしい。なんというか、警戒されない形で居場所を確保している様子は見事かもしれない。
六角義弼君、彼もまあ普通だ。
義統さんが今の様子なら大きな問題はないと笑っていたからね。本心がどうかは知らないが、ちゃんと周りの状況を見て引くことが出来たことは割と評価されている。
ちなみに義弼君は晴具さんと具教さんとも挨拶をしたらしいが、どちらの時も緊張していたらしい。どうやら力ある人には相応に対処出来るみたいだ。
それもあってか外交に関しては、そこまで評判が悪くないね。格下とか近習への態度があまり良くなかったが、それも改善傾向にあるし。
「……美味いな。鶏を焼いただけであろうに?」
ふとそんな義弼君の声がした。焼き鳥がお気に召したらしい。焼きたての焼き鳥だからね。食べたことがなかったみたいだ。
お代わりを頼んで何本も食べている姿は微笑ましいものがある。
「料理は温かいうちに食べたほうが美味しいものがあるのですよ。なるべく美味しくお出しするようにするのが当家の流儀になります」
尾張だと要望がなければ、作ったあとに毒見とかしていないしなぁ。無論、毒の警戒は厳重にしているけど。今日は織田家の料理人とウチの料理人しか調理していないし。
ちなみに焼き鳥を焼いているのは、孤児出身でオレの猶子だ。最初、義輝さんの顔を見てびっくりしていたけど。菊丸さんと似ているから驚いたみたい。まあ、本人だしね。ウチの子たち菊丸さんと何度も会っているから普通に気づく。
そろそろ花火が上がる頃だ。この瞬間はオレもわくわくする。
みんな、楽しんでくれるかなぁ。
Side:熱田の旅籠屋
外は今も賑やかだが、旅籠の中は不気味なほど静かだ。皆、花火見物に行ったからなぁ。
オレも家人らと共に小さな庭で空を見上げる。
まるで龍のようだと誰かが言われたとか。火が空に昇ると、夜空が狭く感じるほど見事な花火が咲く。
胸の奥にまで届くほどの音に、一度見れば誰もが心を掴まれるだろう。
「あなた……」
ここ数日共に忙しく働いていた妻が澄み酒を用意してくれていた。
「皆で飲むか」
奉公人も含めて、それなりに人を抱えているが、今日は祭りだ。盃に注いで夜空に咲いた花火が映った澄み酒をくいっと飲む。
こりゃ、一切薄めてないな。
混ぜ物をしている奴は熱田にはいないが、多少薄めるくらいはよくあるんだが。そうすると値が安くなるからな。オレたちのような身分でも飲めるんだ。
混ぜ物をしてない酒なんて、よく買えたなぁ。
「織田様から頂いたお酒なんですよ」
おいおい、そういうのは先に言えよ。もっと味わって飲むのによ。まあ、酒は酒か。
幾度か旅籠に検分にお見えになられた久遠様の顔が浮かぶ。無礼ながら身分のあるお方には見えない。人の良さげな顔をしていて威張ることもないからな。
熱田者の心意気、久遠様に伝わったかな。伝わっていればいいな。
オレが久遠様のようになれるなど思ってもいねえ。ただ……、同じ世を生きて僅かでもお力になれたならそれで本望だ。
「今年の花火もいいなぁ」
また来年に向けて明日から励もう。子や孫の世にも熱田者がこの花火を見られるようにな。
Side:飛騨の親子
子らが喜んで騒いでいる。近くにいるのは同じ旅籠に泊まっている奴らだ。どこの子も喜んで騒いでいるが、大人は泣いている奴や祈る奴が多い。
おらの爺様も泣きながら祈っている。
「おっとう! あめ!あめ!」
ああ、さっき買うた金色飴か。皆で食おう。
「わ! わっ!! わっ!!」
丸い飴を口に放り込むと、子らが驚き声を上げた。
「甘いっていうんだ」
「あまい? あまい! あまい!」
初めて食べた甘い菓子に戸惑い、『甘い』という言葉すら知らねえ我が子に笑っちまう。
「感謝するんだぞ。多くの方のおかげで花火が見られる」
「うん!」
「はなび!!」
斯波様、織田様、久遠様、熱田の町衆、旅籠屋の主殿、名を上げていくときりがないほど多くの方々のおかげで花火が見られた。
そのありがたさに涙が込み上げてくる。
甘いなぁ。口の中が驚くほど甘く、闇夜の空でさえ明るくなるほどの花火が見られた。
こんなに幸せでいいんだろうか。
おらたちはそんな身分じゃないのに……。
涙で歪みながらも、見逃すまいと皆で花火を見る。
生涯一度の贅沢なんだと言い聞かせて。
◆◆
永禄五年、熱田祭りの奉納花火が雨により延期されたことが記録に残っている。
久遠一馬が津島で打ち上げて以降、初めての延期であったとされる。
すでに花火の噂は日ノ本中に知られていて、特に織田領となった各地からは生涯に一度の贅沢と花火見物に訪れる人が多かったという記録がある。
当時はまだ貧しい地域も多く、旅費もギリギリで花火見物に来ていた者が多かった。そんな者たちは花火延期を待てる余裕などなく、泣く泣く花火を見ないで帰ろうとしたところを、熱田商人組合の計らいで花火打ち上げの日まで滞在費を無料とした。
『織田統一記』の記録によれば、織田家でも同様の措置を検討していたが、いち早く熱田商人たちが動いたことで、彼らの嘆願をそのまま受け入れる形で織田家も動いたとある。
久遠一馬が花火を打ち上げて十年を過ぎ、一馬ならばきっと見物出来ない者たちを助けるはずだと動いた町衆の決断と行動の早さは、織田家の対応を上回っていた。
この時の熱田者が見物人たちを助けた逸話は織田領内どころか諸国にまで広まり、『織田様には及びもせぬが せめてなりたや熱田者』という言葉が、当時織田領だった飛騨・信濃・駿河。遠江などで流行ることになる。
現在も尾張者の慈悲深さは日本一と称される逸話のひとつである。
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