第2213話・花火のあとで

Side:伊勢神宮の神職


 遠ざかる尾張にため息が出そうになる。


 上様が尾張入りしての花火見物。越前の朝倉すら招かれたというのに、我らには最後まで声は掛からぬまま終わった。


 未だに弾正と内匠頭の怒りは収まらずということであろうな。いかほどまてばいいのだ? 安房の里見や堺のように許されぬのか?


 仁科家が許されたと聞いて、我らもそろそろと思うて来てみたのだが……。もっとも、仁科三社は未だに許されておらぬ。織田の寺社に厳しきところは年々悪うなるな。


 伊勢無量寿院のように我らも許されず責を負わねばならぬのか? だが、上の者らは責を負う気はあまりない。騒動の当初こそ、命を懸けると言うておられた方もおられるが、銭が得られることで困らぬと動かぬようになってしまわれた。


 上は、斯波と織田が今以上に神宮に手を出すまいと見定めたのであろう。


 無論、中には早う和睦をしろと騒いでおる者もおるが……。特に尾張の病院から薬が貰えぬようになったことで、症状が悪化しておる者もおるからな。


 祈祷はしておるが、あまり効いておらぬ様子だ。さらに、それもまた神宮内ではいさかいの元になっておる。祈祷が効かぬのは当人が悪いのか、神宮が悪いのかなど、誰かの責にしたい者が多い。


 花火も終わり、呼ばれぬまま滞在するのは恥を晒すようなもの。我らは早々に帰路に就いておる。


 北畠の大御所様ですら、我らに会うてくだされぬ。ご機嫌伺いに参りたいと使者を出したがあってないような理由にて断られたのだ。


「熱田では町衆が名を上げたなぁ」


「ああ、ここでは最早、神宮の名すら聞かれぬ」


 今年は、花火が数日遅れたことで見られぬ者が大勢おったところに、町衆が花火までの二日の宿代を取らず世話をしておったのだ。さすがは仏の弾正忠様のお膝元だと大層評判だ。


 それが熱田神社の名を上げることになり、今後も多くの者が参拝に来るであろう。


 京の都では院と帝が内々ではあるが、神宮に不快を示しお怒りだとか。此度のことで公方様も我らの味方を致さぬことが分かった。


 この先、いかになるのやら。




Side:武田信虎


 甲斐に滞在しておったのはわずか数日であった。役目を理由に早々に尾張に戻っておる。遺恨なしとしたものの、あそこにおると憎しみが込み上げてくる。


 わしは未熟者なのであろう。二度と戻ることはあるまい。埋葬と墓も尾張にするように内々に言うてある。


 これでやっと甲斐と縁を切れる。


「無人斎殿、この件でございますが……」


 清洲城の外務の間、ここで役目に励む日々。今日も奉行衆との会合があり、その前に皆で話すことを詰めておるところだ。


「奉行衆の出方次第であろう。こちらから言わぬほうがいい」


「はっ、ではそのように」


 尾張と奉行衆は上手くいっておるが、加減は今も難しい。こちらから言えば角が立つことも多々あるのだ。天下の政を担うのは我らではない。奉行衆だ。言いにくいこともかの者らに言うてもらわねば困る。


 甘い顔をしておると畿内の始末まで我らの力を借りようとする。


「遅れてごめんなさいね」


 外務の者らとしばし話をしておると、ナザニン殿とルフィーナ殿が姿を見せた。


「……とまあ、かようなところでいかがじゃ?」


「ええ、その通りで。今日の会合は無人斎殿にお任せするわ」


 厳しめにしてある会合の内容を見たナザニン殿は笑みを見せた。内匠頭殿は相も変わらず甘いというか慈悲深いが、この者はむしろ厳しい。わし好みと言えるがな。


 内匠頭殿の慈悲に付け込むような者には特に厳しい。


「困ったものよ。面倒事までこちらに持ち込むのだからな」


「それが人というものだと思うわ。食うか食われるか。でもね、私は甘んじて食われてやる気はない」


 この気概よ。見事なものじゃ。武士とは違うが、久遠もまた人を従え生きる者に相違ないと分かる。


「申し訳ないけど、お願いね。私は公家衆との歌会に出ないといけなくて」


「任されよ。これがわしの役目じゃからの」


 今更、名を惜しむ気もなければ、功を焦る気もない。なにをしたとて、わしは国を追放された身。


 されど、それ故にやらねばならぬことがまだまだある。東国の意地だけは決して捨てておらぬからな。




Side:やよい


 南伊勢の田丸御所に滞在することになった私たちだけど、宰相様と共に私たちは熱田の花火見物に行っていた。


 数日の滞在ですぐに伊勢に戻ると、私たちは北畠家の助言などいろいろと仕事がある。


「はーい、今日の治療は終わりだよ。五日後にまた来てね~」


 もっとも私は宰相様の頼みで、月に数日だけ領民向けの診療をすることになった。貧しい者たちを無償でということまで出来ていないけど、それでも私が診察するだけで感謝される。


「お方様、少しよろしゅうございましょうか」


 集まった患者たちを診察していると、警護をしている北畠家の者が困った顔でやって来た。何事かと思えば……。


「気付かないふりをしてあげて。私も聞かなかったことにするから」


 患者は武士、商人、寺社の者などいろいろといるけど。神宮に属する者が商人に扮してきているみたい。


「されど……」


「御所様には私から申し上げるから。騒ぎを起こしてもいいことないでしょ?」


「左様でございますな。某の見間違いでございました」


「うん、引き続きお願いね!」


「ははっ!」


 甘い顔は出来ない。でもね、苦しむ者を追い返すのもしたくない。幸いなことに身分が高くない神人とのことで、今後問題になる恐れは低いと思うし。


 北畠家も大変なのよね。神宮からは、今も尾張との関係改善の仲介をしてほしいという嘆願が縁ある者たちには内々にされている。


 ただ、神宮が望む和解は、形式的な謝罪で許して、かつてのように厚遇してほしいというものであり、とてもじゃないが受けることが出来ないものだもの。


 家老衆が宰相様にすら報告出来ないと困っていた。


「次の人、入れて」


 身分を隠して来ることを拒否せず受け入れることが、こちらの最大の譲歩になる。自分たちの権威も面目も捨てて来るということは、私たちが思う以上に難しいことなのよね。


「一昨日から腹が痛く……」


「うんうん、診察するよ~」


 命は誰にだってひとつ。私は目の前の患者さんを助けたい。それだけなの。






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