つくづく信長公ってあの史実の情勢下の難局を乗り切っていった凄い方ですよね。
歴史でサラッと読むだけなら「ああしました、こうしました」で済む話ですが、外敵はもちろん足利義昭の策謀もあり、相当大変な舵取りを常に求められていたにも拘らず、最終的に本能寺の変になるまでこなしていった訳ですから。
保守的で真面目、逆にそうならざるを得ない状況もあったと思います、個人的には日本史においても稀有な天才であったと思っています。
少なくとも先日観に行った北野武の『首』で描かれたキ◯ガイ独裁者ではない。
だいぶ周回遅れだけど、神宮のやらかしをネタにした紙芝居を上演するファンキーな人とか居なかったんかね? 殊更に相手を悪く書かなくても、何も足さない何も引かないありのままを伝えるだけな内容の奴。
差し止めようにも何一つ噓を書いていないから為す術がなくて臍を噛むしか出来ない。力任せに止めようとしたらそれこそ恥の上塗りになる感じの。
更新ありがとうございます。
編集済
将門公を討ち取った国香系の子孫の方に聞いたのですが、「苦労して開拓した土地を朝廷や親族が取り上げようとしたら、怒りもするよ」という、将門公を擁護する話が伝わってるそうです。 後ろめたく、後味が悪い事件だったと。
坂東武士のこういう思いが、鎌倉幕府の成立へ繋がっていったのかもしれませんよね。
熊野水軍の男達が地元に帰ったら酒の席とかで尾張の良さを口にするだろうから、そこからまた噂が広がって…といった具合に民達が尾張・織田に憧れを抱くんじゃないかな?(^^;
更新、お疲れ様です。
熊野の水軍衆……(苦笑)
ダメだ、こりゃw とばかりは言えませんね(苦笑)
一応は、其れなりの情報は掴んでいる様ですし。
ですが、最後の話。立派な寺社は間に合っている。
だけは上層部に報告出来ませんね(苦笑)
報告された方も困るでしょうからねw
本当の意味での南北朝の融和。
史実では叶いませんでしたからね。
足利将軍家・北畠家。両方とも
分流を残して消滅しましたからね。
牛頭馬頭殿の任官。
久遠クンも願っていますが
東国と朝廷の融和の一助になれば良いですね。
次話の更新、お待ちしております。
2143話 一馬の最初の段 書く奉行 になってます。各奉行の間違いかな? 誤字報告はここでいいのでしょうか?
作者からの返信
ありがとうございます。
修正しました。
喜連川藩、4500石しかなかったので本来藩にはならないのに、足利将軍家の血筋として家康に藩として認められて格式だけは高かった藩ですよね
格式は高かったけど、かなりの貧乏藩だったそうです
>また、来年も物見に来られるかな。
✕物見 〇遊び ではw
足利将軍家は江戸時代に喜連川家として系譜は残ってたような?
誤字?
>これが書く奉行を経由してウチに届く
「各」では?
作者からの返信
ありがとうございます。
修正しました。
熊野水軍w面白いwww