第2143話・帰路

Side:熊野水軍の男


 海祭りとやらも終わり、皆で熊野に戻ることになった。船に乗り、船頭が皆の顔を見て少しため息を漏らした。


「で、織田水軍はいかがであった?」


 物見として来たのだ。当然、聞かれることだな。


「はっ、相も変わらず凄まじいとしか言いようがございませぬ」


「左様、船は増えておりましたな」


 皆、もっともなことを言う。言い換えれば当たり障りのないことを言うておるだけだがな。船頭はその様子に少し困った顔をした。


「ここだけの話だ。上には言わぬ。なにか目新しいものはあったか? さすがにそれだけだとお叱りを受けるかもしれぬ」


 誰かひとりくらい真面目に物見をしておるだろう。わしも他の皆もそう思っておった。船頭も同じであろう。


 ただ、誰も口を開かぬ。


「まさか、揃って遊び惚けておったわけではあるまいな? なにかあるだろう?」


 船頭の言葉に皆が目を逸らしたように思える。当然、オレも。


「さすがにまずいぞ」


「ああ、神宮の神職は来ておらなんだとは聞きました。偉そうにするくせに銭の払いが渋いので、来なくてせいせいすると遊女が言うておりました」


「そういうのでいいのか? なら今川方の水軍衆。数年前は不満げに騒いでおったと聞くが、今年は酒を飲んで楽しんでおりました」


 誰も水軍のことは見てねえんだな。船揃えと呼ばれ、織田と久遠の船が揃って海を走るのは見ていても面白いものだが、それより女や酒、飯を選んだらしい。


「船頭、オレたち罰を受けるのか?」


「案ずるな。上もその気はない。ただ、遊び惚けておったとなれば見逃せぬのだ。そこらの話を申し上げておく」


 そもそも船頭も遊女屋に入り浸っていたくらいだからなぁ。


「尾張、いい国だよなぁ」


「ああ……」


 遠ざかる尾張を皆が名残惜しそうに見ていた。


 難しいことは分からねえ。ただ、飢えず争わず、たまに祭りで酒と美味いものを食えるだけで羨ましくてたまらねえ。


「そういや、熊野様のことも噂してたなぁ。もう立派な寺社は間に合っていると」


 誰かの言葉に皆がうなだれた。


 尾張からすると神宮様も熊野様も余所者なんだろうな。オレたちだって神宮様なんか興味ねえ。


 また、来年も物見に来られるかな。




Side:久遠一馬


 領内から上がってくる献策。これが奉行を経由してウチに届く。あまりに荒唐無稽なものは奉行で判断しているものの、判断に迷うものや費用対効果が分からないものなどは助言を求めてくるんだ。


 先日なんかは斎藤正義さんの献策があって驚かされた。木曾川の物流と今後を考えて、水運の整備、河川湊の新設とそれに合わせた街道整備などが献策されたんだ。


 木曾三川は上流から下流まで治水計画があり工事は続いている。すべて終わるのがいつになるか分からない規模の計画だ。それ以外にも街道と水運の整備はやっているものの、東美濃とか飛騨の方面は後回しにしていたからなぁ。


 織田の経済成長が早すぎて木曾川の水運がキツイのは知っていたが、なにより驚いたのは正義さんが献策したことだろう。史実では暗殺された人が旧領の発展のみならず尾張や美濃の先々を見越して献策した。その事実にちょっと驚かされる。


「いい素案だよね」


「ええ、ちゃんと費用対効果も考えているわ」


 メルティに見せると彼女も驚いている。正義さんが提出した素案には、木曾川の上流にあたる史実の黒瀬湊と黒瀬街道となるものの整備があった。他にもいくつか素案があり、検討する価値のあるものがある。


 稙家さんの庶子であるし、わりと難しい立場の人なんだけどね。近衛家と織田家を取り持つとかそういうこと一切関わらず、与えられた役目をこなしている。


 木曾川の水運の改善、限られた予算と人員の中から治水など他に優先順位が高いものからやっていて後回しにしていたけど、こういう献策がある以上は早期に検討したい。


 そんな献策への助言が一段落した頃、信長さんが姿を見せた。普通、偉い人が呼ぶはずなんだけど。信長さん、割と自分からオレたちの働く商務の間に来ることがある。


 放っておくと一日中同じ部屋で仕事をすることになるからね。城内を少し歩いたりするくらいでちょうどいいらしい。今も朝には鍛練を欠かしていないみたいだけどね。性格的にデスクワークよりはフィールドワークのほうが合うんだろうなと思う。


「かず、牛頭馬頭の官位だが、御所落成後でいいか?」


 ああ、その件か。朝廷から打診があった楠木さんへの官位、本人も随分と悩んだと聞いている。そのうえで楠木さんは受けると決めた。


 官位がほしいわけではないと季代子たちから報告を受けている。ただ、朝廷との軋轢が深まることを憂慮している。受けた理由はそこにあると本人が書状を書いて寄越した。


「ええ、いいと思います」


 足利と北畠が南北朝時代の始末を終えようとしている。このタイミングで楠木さんが官位を受ける。これはその流れに合わせたものであり、過去の清算でもあるんだ。


 この機を逃すと因縁になりかねないからなぁ。将門公のようにしたくないというのは関係者が一致する見解のひとつだろう。


「南北の争いの始末か。長き時がかかったな。オレたちも気を付けねば後々に困るということか」


 千代女さんが信長さんに煎茶を淹れると、信長さんは一息ついてそんなことを口にした。


 恨みつらみ、因縁。まあ、元の世界でもあったしね。殺し合いをしないだけで。許しましょうと言うのは簡単だ。ただ、当事者になると積み重なったものが大きくなればなるほど解決が難しく、解決の必要性がなくなる。


 ただ、正直なところ史実にはない流れなんだよなぁ。南北の融和と後始末。


 北畠は織田に降ることで最終的には家を残せなかった。足利将軍家も義昭以降、家としての形は残せないまま消えていった。その両家が織田を挟んで南北の因縁を終わらせる。


 オレたちが狙っていたことではない。ただ、新しい形と道筋を皆さんに示した結果、義輝さんや晴具さん、具教さんがこういう形を選んだんだ。


 なんか感慨深いものがある。


 史実の織田信長は、成人後は割と保守的な真面目な人だったという説が有力だ。朝廷、足利を盛り立てて復興しようとしていた節もある。ただ、それでも足利体制では上手くいかなかった。


 比較するわけではないが、オレたちは間に合ったというべきか。


「なるべく因縁を残さない。難しいですよね」


 楠木さんの選択は正しいだろう。織田家では官位離れが続いているが、誰も否定しているわけではない。


 東国に蔓延しつつある朝廷不信、楠木さんの官位で少しでも緩和するかな? 難しいだろうが、そう願ってしまう。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る