第2142話・変わった人

Side:斎藤正義


 近衛の父上から書状が届いた。わしを案じつつも決して驕るなと戒めるものだ。神宮と熊野と揉めたことでこれ以上の騒ぎは困るというのが本音か?


 驕るなどあり得ぬがな。斯波と織田は盤石で、斎藤の義父殿は驚くほど穏やかとなられたものの、美濃代官としてつつがなく役目を果たしておる。


 かつて名乗った大納言の官位も、今は自ら使うことはない。周囲からそう呼ばれて異を唱えることはないが、そもそも織田家中では官位をあまり好まれぬからな。


 今では役職名や家の名で呼ばれることが多い。わしは持是院家を継いだこともあり、近頃は持是院と呼ばれることが増えた。


 大納言と呼ぶのは、目の前におる義父殿など僅かな者だけだ。


「大納言よ、木曾川の水運は相も変わらず不足か?」


「はっ、賦役にて川と通じる街道など整えておりまするが、今のままでは……」


 わしは義父殿の下で兼山湊の代官をしておるが、織田の領国となって以降、川船と木曾川にて尾張へと流す材木は増える一方だ。


 あそこがわしの所領のままであったならば、懸念など考えずに済むのだが。東美濃、飛騨、信濃と織田の領国が広がり、それらを見渡して考えると兼山湊では物足りぬのだ。


 義父殿にはもっと木曾川の上流に湊と街道を整えるべきだと進言し、いくつか湊に相応しき地を献策しておる。


「清洲の評定で、そなたの献策が取り上げられた。内匠頭殿も木曽川の水運を憂慮しておってな。近々、兼山と上流を見分する者が遣わされる。案内はそなたに任せる」


「いずこも賦役でやることは多く、当分ないと思うておりましたが……」


 これは予期せぬことだ。領国の各地から賦役を求める献策が山ほどあると聞き及ぶ故、これほど早く動くことになろうとは。


「先々を考えると必要ということであろう」


 とすると早急に支度をせねばならぬな。


 もう戦で武功を上げることは難しく、織田では所領が安堵されておるわけでもない。家禄はあるが、おかしなことをすればすべて召し上げられて日ノ本から追放されることすらある。


 ただし、日々の働きで禄や褒美も出るのだ。この機を逃せぬ。己の役目と居場所は己で守らねばならぬ。


 わしにはもう、他に帰る家などないのだ。


 近衛の父は上手くやっておられるようだが、すでに家督は弟である関白殿が継いでおる。わしは関白殿と会うたことすらない。


 父上の庶子であるわしの居場所が近衛家にあるはずもなく、顔も見たことのない弟が気にかけてくれるとは思えぬ。


 この先、わしは近衛を忘れて斎藤の一族として生きねばならぬ。


 それに、近衛とていつまでも安泰か分からぬからな。神宮すら要らぬと突き放される有様だ。父上はよいが、関白殿はあまりいい話を聞かぬ。


 まあ、いい。役目だ。役目。




Side:久遠一馬


 海祭りも無事に終わった。


 水軍は改革が早いなぁ。駿河や遠江の水軍衆もすっかり大人しくなった。内部で権力や出世の争いはあるものの、今のところ目に余るようなことをしている者はいない。


 まっとうな方法で争うなら構わないと理解してくれたらしい。基本、実力重視だからね。水軍は。家柄の考慮もあるが、せいぜい久遠船の船長止まりになる。


 ああ、海祭り関連の報告書が上がっているな。一番上にあるものを読むと思わず笑ってしまった。


「熊野水軍の士気は低いようでございますな」


 資清さんも少し表情が緩んだ。報告の内容は海祭りでの熊野水軍の動向だ。


 内容は、ほぼ蟹江で遊んでいただけの報告になる。熊野水軍に人気の遊女屋や屋台の情報しか書かれていない。


 まあ、忍び衆の報告でも、熊野三社や熊野水軍は昨年の仁科騒動以降、特に動きがないとあるし。シルバーンからの報告でも同じだ。


 もともと深い付き合いがあったわけじゃないし、尾張の行事に呼んでいたわけでもない。そのため仁科騒動での被害がほぼないからね。今のところ静かなものだ。


 ちなみに、これはシルバーンからの報告なので織田家でも知らないことだけど、熊野三山、実は内密で織田への臣従も検討していた。


 所領を神田など以外は召し上げとなるか税を払う立場となるものの、事実上所領の代わりとなる良銭での寄進による財政の安定化と、織田領の安い物価を考えると利が大きいと判断していたのが理由になる。


 神宮も仁科騒動までは参拝者が増えていて、旧領に関係ない寄進が多く集まっていたからね。賑わう様子が羨ましかったみたい。尾張の治世が一時の勢いでないと判断したのもあるらしいけど。


 ただ、今回の騒動で臣従のデメリットも知った。それ故、今騒ぐ必要をあまり感じておらず、神宮の成り行きを注視しているようなんだ。


 そもそも熊野三山は尾張と比べなければ、現状でも困らないわけだし。自分たちの権威地位を考えると斯波家や織田家も厚遇するだろうと甘い見通しでバラ色の未来を期待したことが、潰えただけで。


「水軍はこちらと戦をする気がないか。結構なことだね」


 熊野水軍に関しては、もう対峙すら厳しいことを上から下まで理解していて織田への臣従を望んでいたんだけどね。


 熊野三山が臣従を検討したのも、圧倒的な海軍力が背景にある。紀伊あたりだと渡海の商人とかもいるしね。ウチの実力を早くから理解していたのもあるんだろう。


 遅かれ早かれ織田に飲み込まれることを察している人も中にはいるようだ。


 邪険にしたくないんだけどね。頭を下げて所領の面倒を見てお金を与えるって形が、織田家だとほんと評判が良くない。


 自分の領地だけ考えていれば良かった時代から、領国全体を考える必要に迫られて皆さんの視野が広がったからね。


 領地、領国を越えた献策が増えた一方で、よくよく考えると山ほどある寺社。あんなに要るのか? もう偉い寺社は十分だという意見も増えてしまった。


 ほんと一部の偉い人が血筋と権威で政治をしていた時代と変わりつつある。


「どんどん遊びに来てほしいよ。悪いことじゃない」


「ふふふ、そうですね。こういうところから理解を深めてほしいです」


 ついつい語った本音に、一緒にいるエルたちや資清さんたちが笑ってしまった。


 よく分からない恐怖よりは、尾張を知ってくれたほうがいい。いずれにしろ西から来る船から得られる税で飢えることのない土地だし。


 物価差、流通している品物の量などで不満はあるものの、それだって隣国であるだけ配慮をしている。畿内に比べるとマシなんだよね。


 紀伊は難しい土地だからね。このまま穏便に経済中心で取り込めたらいいんだけど。




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