第2141話・海祭りの場にて

Side:久遠一馬


 海祭りは例年通りの大賑わいだ。


 ただ、例年招いている伊勢神宮の関係者が今回はいなかった。個人的には怒りよりも寂しさがあるかもしれない。人はこうして別々の道を歩むんだろうなと思うと、結果論ではあるが、オレたちの政治の失敗でもあることは胸に刻んでおきたい。


 何事も完璧なんてあり得ないし、具体的にどの選択が間違ったとか言えることでもないんだけど。


 結局、寺社に莫大な資金を与えて頭を下げない限り、いつかこうなるんだと言われたらそれも事実だとは思うが。


 海祭り自体は、神事も操船競争も上手くいっている。あと武芸大会から切り離して以降、やっていなかった水練の競技を今年は比較的暖かいので実施することになった。


 まあ、まだ海水浴をするには相応しくない季節なんだけどね。水軍関係者から献策があったものが、そのまま決まったんだ。


 具体的には蟹江での競泳と遠泳だ。昔は川だったので対岸まで荷物を運ぶことを競っていたが、さすがにこの時期の海で荷物運ぶのは危なそうだからね。


「なかなかやりますなぁ」


 周囲に救助用の船がいくつか待機する中、遠泳が始まるが、あっという間に出場者たちは見えなくなった。血が騒ぐというわけではないんだろうが、近くで一緒に見ている佐治さんが自分も混ざりたそうにしている気がする。


 気のせいだよね?


 しかし泳法がウチで教えたクロールや平泳ぎになっているね。水中での立ち泳ぎとかも皆さん習得しているけど、遠泳となるとやはり近代泳法のほうが向いているらしい。


 オレは関与していないけど、ジュリアたちが信長さんの悪友の皆さんに教えて以降、織田家中で広まっていて海軍と水軍関係者だと皆さん習得していると聞いている。


 ちなみに八割ほどはふんどしだけど、二割ほどは海パンを履いている。属に言うサーフタイプになり、オレが海で履いているやつだ。正直、あまり遠泳には向かないと思うんだけど。


 実はこの時代では褌が普及しておらず、オレたちが来た頃は褌を持っていない人が多かった。今ではそれなりに普及したのと、今回の水練大会では褌か水着の着用を義務付けたので全員なにかしら履いているけどね。


「いけー!」


 操船競争とこれ、武芸大会と同じくじを開催しているんだけど、それもあって熱の入った応援している人がいる。観客席から近くで見えないけど、盛り上がりはいいなぁ。


 尾張、祭りはいろいろやっているし、紙芝居や人形劇とか娯楽はおおいはずなんだけどね。需要という意味では娯楽はもっとあるのかも。




Side:熊野水軍の男


 ずるずると麺をすするのが止まらねえ。


「親父、麺だけもうひとつ!」


「まだ銭はあるんだろうな? 先に銭を置け」


「あるって、ほらよ」


 払いを案じる店の親父に幾ばくかの銭を出すと、大きな椀に新しい麺を入れてくれた。尾張名物、切り蕎麦だ。そばを麺にしただけなのに、なんでこんなに美味えんだ?


 まあ、この汁が美味いんだよなぁ。尾張醤油が入っているのはオレにも分かる。ただ、蕎麦も雑炊にするより粉にして食ったほうが美味えのか?


「よく食うねぇ」


「尾張に来た時しか食えねえからな。今日のために銭を貯めてきたんだ」


 ほんとは水軍を見て参れと命じられて来たんだが、見たってよく分からねえしな。黒船が増えていて、織田方の水軍衆が勢ぞろいしておったというだけで構わねえだろ。


 あとは同じく尾張に来ている奴らと話を合わせるだけでいい。


「ああ、美味ぇ……」


 汁を絡めた蕎麦が美味え。蕎麦の風味と汁の味がよく合う。するするとすすり、汁は最後の一滴まで飲むと店の親父に銭を払って次に行く。


 なにを食うかなぁ。ただ、さすがに腹が膨れてきた。少し酒でも飲みてえな。尾張の安酒といえば麦酒だ。値を聞いて安い店で飲む。酒の味はなんでもいいんだ。飲めればな。


 くいっと飲むと、酒精が喉を通るのが分かる。


 いいなぁ。尾張者は。それなりに働いて美味いものが食えて酒が飲める。それだけでいいんだ。


 後のことは興味すらねえ。いくら励んだところで身分ある奴らが全部いい思いするだけだからなぁ。


 さて、次は麺以外のなんか食いてぇな!出来れば肉がいいな。魚は戻っても食える。肉は尾張のほうが美味えんだ。




side:とある忍び衆


 熊野水軍の者を見張っておるが、あの男、さっきから食うことと酒を飲むことしかしておらぬ。なんだ? 見張られておることに気付いておるのか?


 手練れには見えぬのだが……。


「いかがだ?」


「さっきから飯を食うか酒を飲むしかしておらん。そっちは?」


「遊女屋に入ったきり出てこぬ」


 ふむ、熊野と揉めた故に皆で見張っておるのだが。わざわざ探りに来たというのに、大半の者が船も海祭りも見ずに遊び歩くだけとは……。


「気取られたか?」


「分からぬ。こちらは船を降りてそのまま遊女屋に入ったからな。店の者の話では酒を飲んで遊んでおるそうだ」


 中には祭りを見物しておる者もおるが、大半の者が海とは関わりのないところで食うか遊んでおるとは。今後を案じて、船や水軍を探りに来ると思うたのだが。


「いかがする?」


「見張るしかあるまい。他に間者がおるかもしれぬが、今から探すわけにもいかぬ。それに我らが目を離したあとに動かれると困る」


 水軍衆からの報告では熊野水軍はこちらと争う気はないとのことだ。大湊あたりには水軍衆の者が遊びに来ることすら珍しゅうないと聞き及ぶ。


 されど、かの者らは物見の役目で来たのであろう? 水軍と海軍が集まるこの機にこちらの力量を確かめねば困るはずだ。まあ、熊野の物見は、ここ数年は形だけで遊ぶ者が多いのも事実だが。


「熊野と尾張が争うと思うておらぬのであろうか?」


「うーむ、士気が高くないとは聞き及んでおるが……」


 まさか、物見に来た者の士気がこれほど低いのか? 


 よう分からぬが、かような時は見聞きしたものをそのまま報告するのが役目故、構わぬのだが……。


 端の者があれほど勝手をする熊野が少し哀れになるな。国を守ろうという意思はないのであろうか?




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