第2106話・何を信じるか
Side:宇治の商人
神宮から今までと変わらず品物を収めるようにと命があった。されど……。
「織田様も案外甘いな。寄進を変えぬとは」
「関わりたくないだけでは? 神宮の神官らが尾張から追放されたのは事実だ」
馴染みの商人らといかにするかと話しておるが、神宮のためにと喜んで参じる者はわずかしかおらぬ。今の宇治山田の商人ではそれが当然であろう。
代々神宮の下で商いをしていた有力な者は、抜け荷の罪で織田様と北畠様を怒らせて消え失せたからな。あの時は神宮が商人を見捨てたのだ。今の商人たちで、北畠様や織田様に逆らって神宮に味方する者は少ない。
「織田様、いや、久遠様か。あのお方は商いに厳しいが、商人を見捨てることもない」
「神宮が、我ら商人など下賤の者としか見ておらぬことが分かったからな」
織田様の下命に逆らい抜け荷をして、罰として多くの借金を背負った者もおるが。そんな者でさえ、まっとうに働くならば生きていけるようにされておる。
久遠様が許さねば、神宮相手に商いを控えるという者すらおるのだ。尾張ではあのお方こそまことの神仏の使いと信じられておる。我らはそこまで妄信する気はないが、いずれが我らを守ってくださるかと言われると答えは皆同じだ。
すぐに見捨てる神宮の味方などしたくもない。ただ、食い物などなくては困る品は皆で話し合い売ることにしたが、久遠様の品は手に入らぬと売らぬことにした。
北畠様か織田様からお叱りを受けたら売ればいい。今のところ大湊も同じく久遠様の荷を売っておらぬ故、構わぬだろう。あそこは元会合衆の湊屋を通じて話が出来ておるはず。
「それにしても尾張から参拝者が減ったな」
「仕方なかろう。織田様が遇していたからこそ、尾張から伊勢参りに来る者が多かったのだ」
伊勢参りの者らを泊める宿なども再建したのだが、人が来なくて困っておるのだ。他にも神宮に来ぬ以上、宇治と山田にも人が来なくて我らも困りつつある。
商人組合に嘆願を上げた故、そのうち助けがあるかと思うが。
おかしなものだ。代々身近としてあった神宮と神宮の神を信じる者は今も多い。だが、神職らを信じるのかと言われると言葉を濁すであろう。
罰が当たったのだ。そういう者も多い。この先いかになるか知らぬがな。
Side:近衛稙家
驕れる者は久しからず。とは、平家物語であったかの。神宮と熊野の醜態にかような一文を思い出した。
「上手く考えたものよ」
内匠頭や大智らしい一手じゃの。寄進は引き続きする故、もう関わるなとは。誰もが使える一手ではないが、尾張ならばよき手となる。
朝廷としては困るが、そもそも乱世の責を負っておらぬからの朝廷は。古き世のまま崇め奉れと申す者の言い分も分かるが、ならば乱世の責を負えと言われると答えに窮する。
大樹ならば、足利が将軍を退くと言うてしまうかもしれぬが。主上や公卿公家がすべてを捨てるなど出来ることではない。
「甘く見たのでございましょうな。神宮は弾正、内匠頭ともども厚遇しておりましたので」
近頃、話す機会が増えた山科卿の言葉がすべてであろうな。
京の都は今のところ神宮と熊野のことで騒ぐ者はおらぬ。尾張は事態を知らせて参ったが仲介を求めてはおらぬ。神宮と熊野からも今のところ訴えがあったわけではないからの。大樹が戻らぬことに落胆する者などはおるが、室町第の修繕が始まったことで幾分安堵しておる。
大樹が京の都に戻りて武衛らが揃って上洛し、京の都で政を願う者が多いのは変わらぬが、願っても叶わぬことに拘っても無駄じゃからの。
「捨て置いて構わぬであろう。倅にもそう言うた。院の御幸を前に騒ぎなど御免じゃ」
内匠頭ならば潰すことまでするまい。潰すより大恥を晒すことになるかもしれぬが、神宮も力を付けるとなにをするか分からぬ故にな。
二条公は、万が一の際には尾張とのつなぎ役を任せると言うて以来、己の役目の重さを自認したらしく、ようなった。少なくとも朝廷存亡の機であると理解しておる。
山科卿や丹波卿など、世の流れを理解する者も増えておる。
ただ、内匠頭を認める者の中にも、広橋公のように朝廷に対する動きに不満を持つ者が出始めておる。知恵と技、銭を差し出して崇め奉らねば不満なのじゃ。
朝廷を思う心情は立派なれど、信を受けぬ朝廷の悪しき先例などを仕方ないと済ませてしまうからの。故に内匠頭に突き放される。神宮と同じくな。
広橋公など内匠頭が導かぬことを不満じゃとか。さすがに呆れてしまうわ。少し気を付けねば、広橋公がおかしなことをしかねぬ。
一致結束して生きる尾張が羨ましいわ。近衛の家などに生まれねば、吾も内匠頭と共に明日を信じて生きられたのであろうか?
所詮、吾には叶わぬ夢じゃがの。
Side:久遠一馬
師走も半ばとなり、仁科三社、神宮と熊野のことも過去のこととなりつつある。
いろいろ細かい変化はあるが、オレたちが神宮と熊野と関わらなくても困る者はほぼいない。それを改めてみんなが実感したくらいか。
そんな中、北の地から季代子たちが戻ってきた。
「そうか。受けるか」
楠木さん、官位を受けることにしたらしい。
「皆のことを考えたのだと言っていたわ」
季代子の説明にある皆とは朝廷も含めてだろう。そういう人だ。
「まあ、御所落成と婚礼もあるしね。その時でいいんじゃないかって話になってるんだ」
こちらでも楠木さんの官位について検討をしていた。朝廷の一方的な押し付けにより受けるよりは、足利と北畠の婚礼の祝いも絡めていいんじゃないかという話になっている。
朝廷に恨みはないが、神宮と熊野の一件で尾張における朝廷の印象、また微妙になったからなぁ。なんというか触れたら厄介だという印象がより強まった。
神宮への寄進も足利政権を経由する方向で検討が始まったくらいだ。
「そう、いいと思うわ。にしても今度は神宮とはね」
シルバーン経由であらかじめ知っていたはずだが、公式には尾張に戻ってから初めて聞いたことになる仁科三社の一件。季代子からすると、またかとしか思えないような反応だ。
「いい先例になったでしょ。奥羽でも勝手をしたら絶縁して独立させるって手が使えるわ」
知子は神宮への対処が甘いと考えているような感じだ。時間と費用、共に有限なものだ。いつまでも寺社ばかりに掛けていられないからな。
「まだごねているところあるわよ~。商人なんかも寺社の後ろ盾で騒いでいるところもあるし。奥羽は信濃ほど統治が行き届いてないから」
優子からは奥羽における商いの状況を聞くが、まだ寺社ごねているのか。まあ、自前で流通と商いを構築するなら勝手にやっていいし頑張ってほしい。
「あ~う」
「まーま、だっこ!」
「よしよし、いい子いい子」
残る由衣子は我関せずと子供たちとロボ一家と戯れている。
あんまり積極的にあれこれと活動するタイプじゃないからなぁ。それに医療活動を出来るほどの治安も信頼もない。
ちなみに診察しろと由衣子を呼びつける者が奥羽にもいるが、余所者は全部断っている。寺社や武士やらいろいろといるらしいけどね。
さて、今日は季代子たちの帰還を祝って宴だ。
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