第2105話・憂いを持つ者
本日、第八巻。発売日になります。
地域により数日の遅れあり。
随所に加筆もあり、web版を読んでも楽しめる形に仕上げました。
どうか、よろしくお願いいたします。
※八巻発売特典を近況ノートに掲載しました。近況ノートか、サポーター特典リンク集から行けますので良かったらどうぞ。
Side:伊勢神宮の下級神官
一年近く織田学校で学び、突如神宮に戻されると、落胆としか言えぬ現状を思い知らされた。
織田学校では神宮のことを話すこともあった。
変わりゆく世では、寺社もまたその在り方が変わりつつある。穢れを禁じておるのに争い人を殺める寺社の在り方に、尾張では疑念が増えておったのも当然であろう。
ただ、それでも寺社と共に生きようとしてくれておったというのに……。
「我らは……」
共に尾張から戻った者は、神宮の変らぬ様子に言葉を飲み込むようにつぶやいた。ここでは我らのような立場の者が迂闊に己の考えを口にすることなど出来ぬ。生まれた身分により立場と役職が決まっており、それがすべてだ。
我らに親身となってくれた天竺殿や学校の師の方々に申し訳ない。その一言すら言えぬ。
上は内匠頭様の奥方の面目を潰したことを悔いて騒いでおるが、大元となる神宮の在り方について悔いる者はあまりおらぬ。中には仁科三社のうち二社を絶縁して潰してしまえと立場の弱い者を恨む者や、使者を務めた者を恨む者さえおる。
変わらぬ神宮。これを変えたい者はやはりおらぬのだ。無論、それは悪いことではない。
ただ、人々に求められなくなれば神宮はいかになるのであろうか? 古からの慣例として遇しても信を得られなくなればいかになるのであろうか?
案じてもなにも言えぬ。
ただ、祈るしか出来ぬ。これが本分と言えばそうなのであろうが。
Side:冬
諸国から人が集まる近江は病も集まる。流行り風邪、元の世界のインフルエンザが一部で流行をしていて、その対策に追われている。
ただ、ここは近江であり寺社の協力が一部しか得られず、感染予防も徹底出来ない。無論、頼めば協力してくれるところもある。ただ、対価や技術を要求されたりすることもあって、こちらから声を掛けることはしてないの。
報酬は払ってもいいんだけどね。信頼関係がなく、功績を横取りしそうなところもあって、改革に際して寺社を放置している六角家の方針と合わせることにした。
私たちが六角家の邪魔をすることだけは出来ないから。
「お方様、また参っておりますが……」
「観音寺城に行くように伝えて。私は手が離せないの」
そんな寺社に変化の兆しが見えている。協力したいと申し出るところが出始めているの。間違いなく仁科三社の影響でしょうね。
意地を張った先にあるのが神宮や熊野だと思うと、折れるところは当然出てくる。
寺社も意地を張って強欲なところばかりではない。ただ、協力するきっかけ、変わるきっかけがないだけのところもある。声が掛かるのを待っていたところなどは、自ら動き出したところもある。
「殿は困った顔をされておりましょうな」
私の警護役でもある家臣の言葉に周囲の皆が苦笑いを浮かべた。
組織が大きくなると軋轢や対立なんて当然に起こる。それはこの時代のみんなも承知のこと。ただ、司令も私たちもここまで大規模になった組織の運営は厳密には経験がない。
情報として得ている経験を上手く使っているものの、最善を尽くしても時には裏目に出ることがある。神宮の扱いなんて、その典型なんだと思う。
誰一人、神宮を軽んじたくない。出来れば繁栄してほしい。それは一致しているはず。
ただ、誰がお金を出すのか。末社を含めた神宮の維持には莫大な費用がかかる。さらに彼らの権威と地位を中の者が満足するほど守るには、武士を含めた周囲が常に神宮に合わせる必要がある。
それで受けるメリットは神宮による神仏を背景にした支持くらい。統治形態が変わりつつある尾張では、それがメリットに思えなくなりつつあることが今回の一件を難しくしている。
いかに人を信じさせるか。極論を言うと、それで寺社の中の人は武士に劣り始めているのだから。
まあ、私たちはあまり関係ない。目の前の仕事をするだけなんだけどね。
Side:久遠一馬
旧暦で十二月。師走に入った。
近衛さんたちから贈り物と文が届いた。近衛さんの文には神宮と熊野を名指ししていないものの、こちらの苦労を察する内容が書かれていた。寺社に悩まされることは今までもあったと、こちらを理解するという感じだ。
そんなこの日、一益さんが頼んでいた書類を持ってきてくれた。
「殿、大湊への船の詳細でございます」
騒動の始まりから随分経つが、気になっているのは神宮への人と物資の流れだ。
「やはりこうなったね」
元の世界ほど決まった船便を出しているわけではない。従って需要がないと船は減る。主に人を乗せていた船の需要が激減しており、蟹江大湊間を走る船の数が減ったんだ。
船でのお伊勢参り、それなりに需要があったんだけどね。あの件以降、領内の伊勢御師は需要が減って困っていると報告にもあった通りか。
荷物の輸送量はそれほど変わりないが、大湊や宇治山田から伊勢神宮に渡る物資は少し減っている。主にウチの専売品について、一部の商人が神宮に売るべきか迷い、手に入らないと嘘をついて止めているんだ。
基本、贅沢品なのでなくても困らない品ばかりだが。
今回、伊勢神宮に対して今まで決めたことに変更はないと織田家として指示を出してあるものの、織田とウチから突き放された神宮との商いを自発的に控える者は当然出ている。
古くからの付き合いがあるところなどは変わらないものの、あまり神宮と親しくして後々問題になるのではと警戒するのは仕方ないことだ。
オレとしても配慮を変わらずして売れと言うほどでもないし、それぞれの関係性や価値観で判断してほしい。
「民は正直でございますな」
全体としては資清さんの言葉の通りだね。日頃から信じられているならば、為政者の動きと関係なく信者が集まるはずなんだ。
「どうするんだろうね。いろいろ考えていたのに……」
神宮は畿内の寺社と違い、そこまであくどいことをしておらず、もともと収入が多くなかったからな。とはいえ、俸禄で収入を安定させた後もあまり蓄財に励む様子もなかった。
悪気はないのだろうが、収入が入ると身分相応の暮らしをすることから始めてしまったからね。最上級の絹織物などの衣類や日用品から始まり、高価な食材やお酒を惜しみなく買っていたからなぁ。いいお得意さんではあった。
いい意味でも悪い意味でも尾張を中心とする世の流れからは少しズレていた。
今も信濃で謝罪行脚をしている慶光院清順さんなんかは、式年遷宮の再開を考えてそちらに俸禄を貯めてはと進言していたらしいけどね。
自分たちの体裁がまず先だ。神宮の者として恥じぬ暮らしをするとそちらを選んだ。どうも式年遷宮もオレたちがお金を出すと思っていた節がある。
それもまた間違いではない。中世であり権威主義体制のこの時代では。
ただ、尾張を中心に、税の使い道や寺社の在り方をみんなで考え始めたことには合わなくなりつつあった。
ちなみに評価を上げているのは、先ほども上げた慶光院清順さんだ。ウルザたちが突っぱねたあとも地道に謝罪行脚をしており、理解する者も出ている。
困ったことに伊勢神宮の評価に結び付いていないけど。もともと慶光院というお寺さんの尼僧という立場もあり、慶光院と彼女の評価を上げているだけだ。織田家だとエルたちの活躍もあり、女性が相応に評価されるからね。
伊勢神宮の関係者、上位神職が今も尾張で謝罪行脚をしているけど、大宮司たちは晴具さんに一喝されてすぐに帰っちゃったんだ。
あれも見方によっては評価を落とした。大宮司が自ら謝罪行脚をしていればという人がいる。
まあ、どっかで和解するに足るだけの動きをしてほしいんだけどなぁ。足利と北畠の婚礼とか、許せるイベントも近いんだし。
とはいえ、そういう助言をすると、余計なことだと恨まれる。結果として様子を見るしかないんだ。
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