第2104話・進む者たち

Side:北畠晴具


 利を与えられ増長するとは、そこらの土豪より愚かではあるまいか? 家中の愚か者ですらここまでせぬぞ。


 誰もが神宮は害せぬと高を括っておったのであろうな。


 斯波と織田に突き放された大宮司らは、その足でわしのところにやって来た。死を以て償うというならば、神宮の慣例に合わせて、生きたまま墓にでも入ればいいものを。


 神宮のしきたりには触穢しょくえというものがある。死を穢れとして避けるために、亡き者を墓に埋めるまで生きていたことにする習慣があり速懸と言う。そのくらいするならば、覚悟があると褒めてやるわ。


 ところが、奴らは口だけの覚悟を語り、胸の内では許されるべきだと思うておるのだろう。仮に命を以て償えと言われれば償う覚悟があったとしても、最早信じられるものではない。


 速懸にしてもそうじゃ。もとはなにか理由があったのであろうが、己らの教えを守るために亡き者を墓に入れるまで生きておることとするなど、愚かとしか思えぬ。亡き者を冒涜するようなものではないか。


「何卒、御慈悲を……」


「慈悲なら受けておろう。武衛らを怒らせた者の末路、知らぬわけではあるまい?」


 世の流れも知らず神宮に籠る者。わしの前ですら出てこぬからな。今更、なにをしにきたとしか思えぬわ。


「そもそも何故、祈りで解決せぬ。神仏に仕える者ならば、祈りと言の葉で人を納得させ説き伏せてみせよ。内匠頭はことわりを以て、わしを納得させることが出来るぞ」


 比べるようにその名を出すと、焦り顔色が悪うなる。わしがいずれの味方をするのか、それに懸けておるのがありありと分かるわ。


「祈る日々に戻ってはいかがか? それが本分であろう。これ以上、要らぬ騒ぎを起こすならば、わしにも考えがあるぞ」


 誰が内匠頭に泥をかぶれと言うか。たとえ神宮が滅んでも言わぬわ。


 この地獄のような世を変えられるのはあの男しかおらぬ。主上と同じく傷を付けてはいかんのだ。


 相手が神宮でなくば、この場で絶縁してやったものを。内匠頭が突き放したこともあり、わしが絶縁すれば厄介なことになりかねぬ故、この程度でとどめてやるが。


「大御所様はお疲れだ。下がられよ」


 そこまで言うと近習がかの者らを下げる。


 出家というものは考え直さねばならぬな。わしも足利との婚礼の前に還俗したほうがいいのかもしれぬ。今更、わしが還俗したところで倅と争うわけでもないのだ。


 形式として出家したが、悪しき先例となりかねんわ。




Side:ヒルザ


 禍を転じて福と為すというべきかしらね。バラバラだった信濃衆が互いに結束し始めたわ。


 ただ、仁科家と三社だけは孤立している。私たちを愚弄し内政干渉をした神宮と熊野の動きにより沙汰なしとなったことが知れたこともあって、信濃の中に敵がいるような扱いとなった。


 地元の領民すら寄り付かない。そんな報告がある。


 神宮と熊野はここまで考えていなかったのだと思うわ。強引に残したところで今の織田領では詳細を知らせるので針の筵となるだけなのに。


 自分たちの権威は当然のもので揺るがない。そんな慢心が今回の失敗の原因でしょうね。


「同じ過ちを犯すとはね」


 一方、この動きに慌てた者もいる。信濃国内の寺社よ。領内価格で流通させている塩などの横流しをしていた寺社が慌てて証拠隠滅を始めた。


 仁科三社ですら不要だと切り捨てたことで、自分たちの価値を私たちが認めていないとようやく気付いた。


 馬鹿な人たちよね。関わる商人を殺したところなどは佐々殿が警備兵を使って捕縛に動いている。大人しく非を認めて謝罪にくればいいのに。隠蔽しようとするから。


 一連の事件は、信濃という歴史ある寺社が多い地域でさえも、寺社への疑問を抱かせるには十分だった。


 仁科三社の件も神宮の件も、すべて紙芝居とかわら版で知らせているのよね。配慮して隠してやる義理もないし。


 まあ、私は商いと医療の差配をするだけなんだけど。


「お方様、商人からは三社と商いをしてもよいのかと問われておりまするが……」


「公儀として止めないわよ。あとはなにも言うことはないわ」


 医療は神社内部の者は停止、仁科三社も代官職としては関わるけど、それ以上のことは一切関わらない。寺社お得意の圧力と受け取るか、慈悲と受け取るか。どちらかしらね。


 ちなみに仁科三社はまだ動いていて、旧知の寺社などに謝罪をして誼を繋ぎとめている。長い付き合いがある者たちは一応、話を聞いてはいる。手助けや仲介は誰もしていないけど。


 ただ、三社同士の関係もどこまでうまく連携出来るかは分からず、事態の深刻さを知った末端の者から逃げ出している。


 神社の建物は残してほしいわね。もったいないわ。あとは、あまり興味ないけど。




Side:久遠一馬


 今日は清洲城で、織田家の菩提寺である萬松寺や尾張大寧寺のお坊さんたちと会っている。織田家と親交が深い曹洞宗のお坊さんたちだ。


 仁科三社と神宮、熊野の動きで寺社に対する風当たりが強まっているが、そんな中、領内で比較的評判がいいのは曹洞宗になる。


 教義や教えと現実をどう折り合いつけるか、本山との関係など、今の織田領での寺社運営は難しいところが多いんだけどね。こうして、時々頼まれては交流の場を持つことがある。


 神宮と熊野のやらかしで一段と寺社に対する信頼が低下したので、一度話をしたいと頼まれたんだ。


「命を以て償うとは言うものの、独立は拒むか」


 この場には割と顔を合わせる隆光さんもいる。尾張大寧寺のひとりだからね。もともと大内義隆さんの側近でもあっただけに、神宮の動きと政治的な背景になんとも言えない顔をしている。


 朝廷や寺社、その価値は皆さんも知っているものの、維持する費用は莫大で、当たり前のように武士の上に立つことで不満が出るのは、大内家の問題とも通じるものがある。


 ぶっちゃけ、大内家にいた公卿公家は家伝や文化を教えることや、大陸からの品に添え状を書くなど実利がある形で働いていた。ところが神宮は、負担が大きい割に働かないからメリットがなかった。


 こっちからすると余計にタチが悪いとしか思えない。


「祈りの価値。難しゅうございますな」


 ひとりのお坊さんが言った言葉がすべてかもしれない。誰も祈りまで否定出来ない。ただ、そこに地位を当然として対価を求める。半ば押し売りのように。


 神宮の立場も理解するが、こちらの立場も理解してくれている。故に軽々しく批判もしない。まあ、神宮から出てこない高貴な人たちと違って、現実を知っているからね。こうして一緒に考えたいと言ってくれる。


「まあ、神宮のことは終わったことです。皆様とのことは別ですので、そこは案じずともよいかと」


 寺社、もう駄目なところは潰していいっていうのが、寺社側でも容認し始めているんだよね。織田領内では。面倒見切れないっていう織田家の現状と、堕落して寺社の権威を落としているところは庇うメリットがないんだ。


 奥羽のように本山クラスが口を出すと別だけどさ。


 寺社対その他大勢という構図は避けたいらしい。神宮とか総本山ほど傲慢じゃない。みんな現実と信仰の狭間で悩み頑張っているんだ。


 こういうところは大切にしたい。




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