第2031話・夏の頃のこと

Side:久遠一馬


 今年の熱田祭りも無事に終わった。ただ、尾張はまだまだ祭り見物に訪れた人たちで賑わっている。この後ある津島天王祭での花火が終わるまでは賑わいは続くだろう。


「へぇ、飯富殿か」


「ああ、悪くないよ。少し学んでもらう必要があるけどね」


 そんな中、ジュリアから飯富虎昌に声を掛けてスカウトしたと報告があった。


 評価の難しい人なんだけどね。旧来の統治と戦で評価をされている人は。ただし、学習して新しい形を覚えると評価に相応しい働きをする人が多いのも事実だ。


「分かった。一応、根回ししておくよ」


 飯富虎昌。隠居して出家したんだっけ? 復帰するとしても所属は武田家家臣のままになる。織田家で働く場合でも武田家から出向することになるだろう。統治や体制の改革の過程で、家臣の貸し借りや主家や他家への出向が増えているんだ。


 出向組で評価を上げているのは、松平家の本多忠高さん、史実の忠勝の親父さんや、美濃の明智光秀さんだろう。


 松平家に関しては東三河の代官だったけど、織田信広さんが西三河の代官から遠江代官に変更になったことで、そのまま広忠さんが三河全域の代官となっている。評価も悪くないものの仕事は文治であり、松平家家臣としては武闘派の仕事は多くない。


 織田家では基本的に、領国単位で文官と武官が同じ一族や家臣になるのを避けていることもあり、松平家の武闘派は武官として織田家に出向して尾張や各地で勤めている。


 これも改革過程で抱えている家臣の扱いが問題になり、試していることのひとつだ。文官にしても武官にしても、地位が上がると相応に家臣が必要になる。ただし、専門化が進んだこともあり主家の役目では仕事がない人が一定数いるんだ。


 将来的には現在の主従関係を解体してスリム化する必要があるんだろうけどね。領地を手放しても家臣は一定数抱えたい人が今は多い。


 光秀さん、彼は史実の有名人だろう。長いこと道三さんの下で働いていて、今も斎藤家家臣のままだけど、斎藤家も人が育ってきたことなどあり、現在は道三さんの推挙で織田家文官衆に出向している。


 織田家は相変わらず人手不足だしね。それと彼にもう少し出世の機会を与えたいという道三さんの思いもあるみたい。


 一応、警戒している人物なんだけど。まあ、問題を起こしそうな気配はない。


「こっちの報告は相変わらずか」


 続けて熱田のヘルミーナと津島のテレサが、商人組合の報告書を持ってやってきた。


「あの手この手で品物を手に入れようとしているわ」


「尾張はまだいいけど、伊勢と美濃は苦労をしているわ」


 公平公正な商いなんてない時代だからなぁ。とはいえ、今の尾張に商いで堂々と圧力を掛けるような頓珍漢な勢力がいるはずもなく、手口が巧妙化している。


 まあ、どの勢力も寄り合い所帯なのは同じで管理が行き届いていないんだ。中堅の力ある人が勝手に書状を書いて、荷を融通しろと商人を寄越すことは今もなくなってはいない。


 今年苦労しているのは美濃と伊勢。共に尾張から離れていることで御しやすいと思ったのか、騒いで少しでも荷を手に入れようとした商人が目立つようだ。


 ただ、この手の商人、実は他国の名のある商人にも嫌われていたりする。織田領での他国に対する感情が悪化していることに気付いている人は相応にいて、賢い人は商いの手法を変えて上手くやっているんだよね。


 そんな人たちからすると、いつまで織田を格下だと思っているんだと怒っていたりもする。一部の愚か者のせいで他国との商いが上手くいかなくなりつつあるからだろう。


「あんまり有効な策もないんだよね。少し時がいるかもしれない」


 脅しに屈せず、怪しい商人とは商いをしない。それを徹底する必要がある。領内の商人にもそこまで出来ずに、商いを許しちゃう人が相応にいるからなぁ。警備兵や武官・文官とみんなで連携して商人を守らないといけない。


 一応、対策を検討してもらうかぁ。




Side:武田信虎


 兵部め、還俗して隠居を撤回するか。


「祖父上、いかがでございましょう」


 わしを伺うような太郎の顔を見ると否とは言えぬな。所詮は追放され隠居した身。今巴殿からお声掛けがあったとなると尚更言えぬ。


「倅とそなたがいいなら構わぬのではないか。一々、わしに伺いを立てる必要はない」


 苛立ちもあり不満もある。されど、すべては終わったことだ。


「申し訳ございませぬ」


 太郎も変わったな。世の醜さをあまり知らず、東国一の卑怯者と称されたことを怒っておったと聞き及ぶ頃とわけが違う。とはいえ、今ひとつ理解が及んでおらぬ。故に教えてやらねばなるまいな。


「太郎よ、確かにわしを追放した者らに対する怒りは消えておらぬ。だがな、かの者らだけではないのだ。国人も土豪も寺社も商人も。皆、愚かなことばかり騒ぎ、己で責を取ることもない。わしが疎むとすれば、甲斐という国とあの国に住まう者らすべてじゃ」


 首を挿げ替えたとて、なにも変わらぬ。故にわしは甲斐に戻ることを諦めたのじゃ。


「すべてでございますか……」


「兵部や穴山らが消えたとて、次の力ある者がまた同じことをする。それが甲斐という国だ。所詮、奴らは愚か者の頭目でしかない。許せぬと拘るならば、あの国の者らを根切りにするしかなくなる。されど、それは出来ることではない。己の胸の内で折り合いを付けねばならぬのだ。幸い、わしは外務の役目で忙しい。もうあの国に戻らずともよいのだ。それでいいと思うておる」


 若いというのは羨ましきことよな。太郎を見ておると、遥か昔を思い出すようだ。


「人は皆、正道や綺麗事だけでは生きてゆけぬし、因縁に拘り過ぎても生きてゆけぬ。兵部がなにを思うておるのかわしには分からぬが、今の織田はあやつが勝手をすることは出来ぬ。ならばやらせてみたらよかろう」


 愚か者が勝手を出来ぬ政をしておることは、織田の治世でわしがもっとも気に入っておることかもしれぬ。


 内匠頭殿らは人がいかに愚かか知っておるのだ。あの若さでな。あとは、愚かな主が生まれた時にいかにするか。


 それを成せるならば……、斯波と織田の世は揺るがぬものとなろう。それも、そう遠くないはずじゃ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る