第2030話・熱田祭り・その四

Side:近衛稙家


 もうじき日が暮れる。熱田の町では酒に酔うておる者も多いが、皆が空を見上げ、その時を待ちわびておる。


「殿下、支度が整いましてございます」


「そうか。ならば行くとするか」


 この国のすべてを己が目で見定めようと熱田の町に出ておると、案内の者に促され熱田神社へと戻ることとする。


 よき国じゃ。民が穏やかに暮らし争いもない。吾はこの地に争いをもたらす古き世の怨霊なのかもしれぬとさえ思うてしまう。


 京の都では尾張を故事になぞらえて見る者もおるが、むしろあれが良うないのではあるまいか? 平氏や源氏が争うたことと同じとする故、道を誤っておるのではあるまいか?


 とつとつと考えておると、宴の用意をされた場に案内される。


 居並ぶ者らの様子は可もなく不可もなく。儀礼として迎えておるのであって、それ以上ではあるまい。もっとも内匠頭が吾を受け入れてくれなければ、もっと場の様子は悪うなっておったと思うが。


「熱田の町はいかがでございまするか」


 席に着くと武衛が声を掛けてくれた。この者はまだ吾をそこまで疎んではおらぬようじゃの。


「あまりに楽しゅうてな。時が過ぎるのを忘れておったわ。京の都も近頃は荒らされることもなく落ち着いたが、尾張には敵わぬの」


「殿下に左様に言うていただくとは。皆も喜びましょう」


「ゆるりと眺めておるだけで心地よい。これは京の都にはないものじゃ」


 思うがまま熱田を語ると、同席しておる者らの様子が幾分安堵したものに変わる。恐れや懸念が先立つ。それが今の朝廷と尾張の実情じゃの。


 熱田神社の境内に設けられた宴の席、宴の様子は京の都とはまったく違う。魚や肉の焼き物などは目の前で焼かれ、望んだ品が食べ頃のまま運ばれてくる。


 膳として食べきれぬほどの料理はなく、細かい作法もない。料理をもっとも美味うましまま食すべく考えられた宴じゃ。


 吾はもう若くないからの。酒も料理も若い者らのように多くは求めておらぬ。料理に手を付けぬことで、あれこれと詮索されることもここではない。


「そのにわとりの焼き物を頼もうかの」


 数ある焼き物の中から鶏を選ぶと、周囲には驚く者もおる。時を告げる鳥として古来より公の食すことを禁じたものだからであろうな。されど、それらはすべて表向きのことじゃ。


 叡山や五山の坊主ですら戒律など守っておらぬ今の世で、古くからある掟を事細かに守っておられるのは主上くらいじゃ。吾らとて薬だなんだと言い訳をして食しておるのが実情となる。


「美味いの。これはよい味じゃ」


 肉も堅くなく味も良い。獣臭さもない故、美味い。鶏はなんと言うても育てるのが楽だと聞いた。飢えるよりはいい。京の都でも増やして皆で食えればよいのじゃがの。


 さりとて、坊主どもがまた騒ぐか。なんとも難しきものよ。




Side:森可成


 奥羽の地は難しい。特に新参の奥羽衆は、お方様がたを恐れておる故に従う者が大半だ。生きるためには仕方ない。それだけになる。


 それ以上のこころざしがないのだ。


「遥か東の果てで花火を上げることを、京の都の者らは羨んでおると聞く。かように面白きことになるとはの」


 もっとも浪岡殿のように現状を理解して楽しんでおられる御仁もいる。奥羽者の意地というべきか。西の者に先んじて上げる花火を殊の外喜んでおられる。


「花火を見たければ、京の都の者たちで打ち上げるといいわ。主な材料は知られているんですもの。高徳な知恵で作ればいいだけよ」


「それは難しゅうございましょう。畿内にある堺という町にて織田の船を真似て造ったものの、なにもせぬまま沈んだのはこの地でも知られておること」


 ほう、三戸殿はその件も知っておられたか。久遠の知恵。真似て上手くいくものもあると聞き及ぶ。花火でも線香花火は真似ておるところがあるからな。


 さりとて、打ち上げ花火は真似出来た者はおらぬ。


「真似ることが出来ても軽々に花火は上げられまい。久遠を真似たと言われると都人らの面目が傷つくやもしれぬ」


 高水寺殿も他の者よりは世の流れと現状が見えておるか。お方様は目の付け所がよい御仁だと褒めておられたが。


「西の者は我らに冷たい。昔からのことだ。この地を治めるために従い生きてきたが、運んで来る荷は不当とも思える高値を求められ、挨拶の使者を送れば陰で鄙者と笑われ、訛りで言葉が分からぬと蔑む」


 あちらこちらから出てくるのは畿内への不満だ。もとより不満や対立はあったのであろう。それが表面化しつつあるのは、我らが曲がりなりにも受け入れられた証か。


 寺社の本山がこの地の寺社を見捨てたこともあるがな。あれは大局をもって見ると致し方ないと言えるが、この地の者にとっては畿内が奥羽を見捨てたとしか見えぬ。


 権威で土地を治めることを禁じられ、西からの船は久遠家が制している。ここまでなって京の都に義理を通す者は、この地にはおらぬのかもしれぬな。


「そろそろね」


 空がすっかり暗くなった頃、お方様の下命で花火が上がることになる。


 奥羽衆は誰からともなく祈るように手を合わせる者が増えた。花火により願いを天に届ける。尾張にはそうする者がおると伝わったのであろう。


 坊主に対する信も薄れ、いかにして神仏に祈るか。そのひとつが花火への祈りだ。


 かの者らはなにを望み、なにを祈るのであろうな。




Side:久遠一馬


 一発ずつ打ち上がる花火に対する人々の歓声が聞こえてくる。


 近衛さんをもてなすための花火見物の席も思ったより雰囲気は悪くない。近衛さんがこちらに合わせていることが皆さんにも分かるのだろう。


 そもそも今日は白塗りもしていないしね。近衛さん、尾張在住の公家や晴具さんを参考にして滞在しているみたい。


 鶏肉とか猪肉、猪豚とか、本来公家が食べないものも進んで食べているしね。こちらとしては公家でも食べられるものも用意してあるけど、尾張料理を食べたいと進んで普段食べない食材を食べているようだ。


 実際、そこらの肉料理よりも断然食べやすいように料理しているからね。美味しいんだけど。


 食事は重要だ。特に今回のような宴だと。事情はあるのだろうけど、あれこれ理由を付けて食べないと、もてなす側の気分が良くなることはない。


 さらに元極﨟があれこれと騒いでごり押しした記憶は今もある。みんなそれが頭にあるだけに、自分の風習を曲げて細かいこと気にしないまま一緒に楽しまれると親近感が生まれる。


 この場には晴具さんもいる。晴具さんは慣れているのでいつもと変わらないが、同じく油断ならないと警戒しているような気がする。


 ただ、有史以来続く秩序と地域間の問題。これをこの時代だけで解決するのはほぼ無理なんだ。


 そういう意味では、近衛さんは次の世代に繋げることが出来るだけの働きはきっちりこなしている。ほんと、公卿の中の公卿なんだろうね。


 花火は斯波と織田の誇りとなりつつある。十年余り過ぎても誰も真似出来なかったこともあってね。


 花火を上げるたびに、人々は一致結束することが出来るようになるんだ。


 いろいろ難しいこともあるけど、今この瞬間を一緒に楽しめる。その幸せだけは忘れないようにしてほしい。




◆◆

 永禄四年、熱田祭りと奉納花火を近衛稙家が見物している。


 尾張来訪の目的は、造営中の近江御所と将軍足利義輝の婚礼に関わる話し合いのためであった。ただ、表向きな理由としては花火見物に来たことにしており、稙家自身も花火を殊の外楽しんでいたという記録が残っている。


 京の都では稙家の単独行動に非難もあったとされるが、稙家自身は関係悪化が顕著だった朝廷と尾張を繋ごうと苦慮していた。


 尾張滞在中は尾張の流儀に従っていたこともあり、織田家でもそんな稙家の意図を見抜き、歩み寄る姿勢を見せる者もいたことが資料に散見している。


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