第2029話・熱田祭り・その三
Side:飯富虎昌
わしの表情を見たからか、若が案内してくださったのは久遠の物売りだった。手足を綺麗に洗い、質の良い着物を着ておる子らが大勢いる。
こやつらが久遠の孤児か。
身分を問わず先に待っておる者の後ろに並ぶ。待つ者には武士もおれば坊主もおる。それなりの地位の者もおるようだ。
そのまましばらく並ぶと、久遠料理を作る者が見えたが、その者に思わず我が目を疑った。
「おお、太郎か。それと飯富兵部であったか。よう来たな」
孤児らと共に働く織田の若殿の姿に、よく似た別人かとすら思うたが、当人であったか。
「若殿が働いておるというのに申し訳ございませぬ」
「そなたが気にすることではない。オレは好きで働いておるのだ。こうして初心に返ることが楽しみでな」
頭を下げた若に織田の若殿は楽しげな様子で仔細を教えてくだされた。織田の大うつけ。昔そう呼ばれておったとか。確かに今も着流しを着崩しており、とても織田の嫡男とは思えぬ有様だ。
されど……。
「若殿にとって初心とは、内匠頭殿と会うたことでございますか?」
「初心と言えどいくつかあろう。武士としての初心もあれば、人としての初心もある。今の織田の初心はかずらと会うた頃になる。随分と所領も広がり、立場も変わった。故にあの頃をオレは常に胸に刻んでおかねばならぬのだ」
何気なく問うた若は気付いておろうか。織田の若殿がわしにでも分かるようにと言葉を選ばれておることを。目上の者が、織田に従うことに異を唱えた者に教え説こうとしておるのだ。
坊主であっても、己の教えに異を唱える者は許さぬというのに。織田の利を考えてか? いや、違うな。今のわしがいかに考えようと織田になんの利もない。
「まあ、今日は祭りだ。小難しいことはよい。楽しめ。そなたらの願いや祈りも花火と共に天に届くかもしれぬ」
その言葉を最後に、我らは品物を買うとその場を離れた。
近くにある椅子と食卓とやらで、若と近習とわしで久遠料理を頂く。
「これは……?」
丸い。丸い玉のような料理なのだ。織田の若殿が作られていたので買うてみたが、その見事な丸い料理に思わず声が出ていた。
「ああ、たこ焼きというらしい。久遠料理のひとつで織田の若殿が得意とされる料理だ」
周囲には身分を問わず久遠料理を食しておる者たちがおる。皆、嬉しそうだ。
箸でたこ焼きとやらを摘まみそのまま口に放り込むように入れると、その熱さに少し冷ますべきだったと悔いるが、今更なことか。
外がしっかりと焼かれておることで中も同じかと思うたが、中は程よく火が入っており柔らかく美味い。……、まてよ。これはたこか。なるほど、たこが入った料理なのだな。
民を食わせるばかりか富ませる国か。これはいくら首を挙げてもなせることではないな。
「若。某、今一度、御奉公致しとうございます」
かような場で言うべきことではないとは思うが、誰よりも若に真っ先に伝えるべきではと思うた。若が一番苦しい時に逃げてしまった臆病者の務めとしてな。
「そうか。父上も喜ばれよう。祖父上もご理解下さるはずだ」
名を上げようとも汚名を返上しようとも思わぬ。されど、いずれ地獄に落ちる身ならば、今更祈ったところでいかようにもなるまい。
誰のために勤めるべきなのか、それすらわしにはもう分からぬ。ただ、今一度、人として生きてみたい。そう思うてしまった。
まあ、よい。恥をかいたところで今更だ。失うモノはもうないのだ。わしにはな。
Side:季代子
花火会の見物人は、去年より増えたようね。
今年は八戸の花火に一部の寺社を招いている。主に去年の強訴騒動で織田方として戦った寺社よ。
八戸と近隣の寺社は力の差を理解してか、ほぼこちらに従っていて今回の花火会において宿泊所としての役割を果たしているところもある。
領外の者も増えたわね。こちらを探りに来た間者と思わしき者らもいる。
ただ、尾張と奥羽の違いを見せつけられたこともある。
「貧しさもあり、我らが余所者ということもございましょうな」
三左衛門殿の表情も少し渋い。ここには屋台や芸事で祭りを盛り上げてくれる領民などいない。近隣の寺社ではこの機会にと市を開催していて、品物を売っている商人などはいるけど。
集まった者たちの大半は炊き出しを食べると、騒ぎつつ花火を待つだけ。
村祭りなどがないわけではないし、祭りには御馳走を食べることがある。とはいえ大半の人は余裕があるとは言えず、文化と言えるようなものを自発的にやってくれる者はいなかった。
寺社と争ったことも原因でしょうね。祭りとは神聖なものでもあるから。そもそも武士が祭りを行うこと自体が普通はないことだから。
まあ、すべてはこれからということ。村という枠組みを少しずつ超えて奥羽を一体化させ、寺社に支配されない文化と暮らしを作り上げる。無論、地域と共に寺社があるのはいい。ただし地域の上に立ち、頭を下げさせるような寺社はあまり望ましくない。
頭を下げるのは神仏であって坊主ではない。これは今から徹底させないと駄目でしょうね。司令の下の世界でも、宗教指導者が地位を得るのを廃することは出来ていなかったくらいだもの。
「また席次が決まってるの?」
もうすぐ日も暮れる頃、料理の支度を終えた由衣子がやってきた。庭の見物場所を見たのだろう。少し不満げだ。
「仕方ないでしょ。こっちは尾張と同じとはいかないわ」
知子もあまり喜んではいないわね。ただ、彼女が言うように織田家奥羽領は新参者の寄せ集めでしかない。立場と形式を壊すことはあまりメリットがない。
人を従えることや頭を下げさせることにメリットを感じない、私たちの価値観を奥羽の者たちが理解するのは無理があるわ。
「まあ、いいじゃないの。花火は見られるんだから」
割り切っているのは優子ね。考えても仕方ないことは割り切る。ある意味、技能型らしいと言えるわ。
「さて、いきましょうか」
庭には主立った者たちが集まったと報告が入ったことで、私たちも行くことにする。
変わらぬ花火は、いかなる勢力にも屈しないという私たちの意思表示になるはず。去年の花火以降はこちらの指示を聞くようになった者が増えた。今年もきっと。
ほんと、花火様様ね。権威や血筋を自称するのが好きなこの地の者に上下関係を教えるには、これが一番だもの。
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