第1951話・歴史の狭間で
Side:久遠一馬
新しい大評定のやり方。評判はまずまずだ。ただし好意的な意見がある一方で、変化に付いていけない者がちらほらと出始めている。
手は打ってあるんだけどね。評定衆などと協力して急激な変化を抑えるようにしているし、変わることを強要したり、変わらない者を爪はじきにしたりするのをやらないように指導しているはずなんだけど。
同調圧力が強いんだよね。さらに家柄、血筋に相応しい働きをしないと評価されないし、陰で馬鹿にされることもある。
そこに過去の因縁や不仲などがあれば、それ見たことかと攻撃する材料にされるしね。
ただ、まあ、これは仕方ない部分もある。組織が拡大するとどうしても綺麗事だけでは済まなくなる。織田家内部では、すでに競争原理が働いているしね。組織、人の社会である以上、細々とした問題はどうしても避けきれない。
社会が成熟しても、いじめや嫌がらせなんかはなくならなかった。あとはそういうのを減らすように、これからも努力をするしかない。
「これもいいね」
大評定から数日、古参である直臣の献策が回ってきた。文官衆、武官衆共に賦役の現場を経験させてはどうかというものだ。
昨年末には食べ物のありがたみを知らない若い者が増えたことから、食事制限を課す軍事訓練に文官を参加させるという提言が佐久間さんからあって計画しているけど。この献策も長い目で見ると効果が高そうだ。
「戦に出ることが減ったことを憂いておる者がおりますからなぁ」
文武両道である太田さんはこの献策に賛成というか、理解出来るようだ。それぞれの役職ごとに特化していく利点もあるんだけどね。こういう経験をいろいろと積ませようという献策は、なるべく丁寧に検討実施することにしている。
役職を超える交流、これ武官と水軍でやっていていい影響が出ているんだよね。あっちは戦術、戦略面の研究という必要な目的もあるのでちょっと違うんだけどさ。
「殿、風土記に関してでございますが……」
さて、そんな太田さんが少し困った顔をしてひとつの報告をしてくれた。
風土記。いわゆるこの時代の様々な情報をまとめたものになり、すでに尾張と美濃は天文年間版が完成している。ただ、他の領国で少し問題が起きていた。
聞き取り調査などをすると、自分の家や寺社に都合がいいことばかり話して駄目なんだそうだ。家柄の詐称から、家や寺社の乗っ取りによって支配したところを隠して偽の情報を寄越すとか。
功績は過大に吹聴して負の面は隠す。まあ、こうなると思ったんだけど。
ちなみに当然ながら、織田家においても過去にはあまり知られたくない謀などもある。さすがに扱いに困って、どうしようかと信秀さんにお伺いを立てたことがあるんだよね。好きに書いていいと言ってくれたけど。
あの時は流石に驚いたね。責めはすべて信秀さんが墓の中まで持っていくそうだ。
正しい情報を残す必要性を理解していることもあるけど、それでも普通ならあり得ないんだけどね。あとこの決断には義統さんの助言もあった。オレや信秀さんをあまり神格化とか美化させないようにと今から動いている。
名門などと呼ばれるようになると、過去を美化して動きにくくなるからなぁ。権威で世を治めるならそれでもいいんだろうけど。オレが目指す世の中が違うとなると、神格化や美化なんかしないほうがいいからね。
ただでさえ、仏だのなんのと勝手に美化されているのに。
「本当のところもある程度分かったんでしょ?」
「はっ、相対する者らや地元の村にまで聞き取りをしておりますので……。されど、当人らは己らの申したことを書けと言うておるようでして」
風土記、公家衆が加わって本格的に進んでいるなぁ。さすがは歴史の価値を知る人たちか。ただ、責任とか問題になることは困るってことだね。
「そのまま書いていいよ。本人の言い分も聞き取りした話も。もちろん、又助殿から見た正確な情報もね。文句があるならウチに言いに来るように言って」
これ公開すると名門や寺社への信頼度がまた下がるな。それでも真実は残さないといけない。
評価されるべき人の功績が、なにもしていない当主の功績にされたりといろいろと酷いところも珍しくない。
さらに寺社なんて地域の有力者の看板を変えただけの場所が山ほどあるし。地域の有力者が変わると寺社を支配する人すら変わってしまうんだ。
ありもしない功績ばかり吹聴して、嘘偽りで固める名門や寺社の様子も全部残しておかないとね。地方ほど土着の勢力の影響力は確実に落としておかないといけない。下手するとオレが生れた時代まで残りかねないし。
功績も闇もすべて残してこそ風土記の価値がある。
まあ、オレ自身は人に言えない力を使っているからね。決して彼らを責められないんだけど。
いつか報いを受けるんだろうか?
それならそれで構わないけど。そもそもオレは宗教なんて信じてないし、綺麗でありたいとも思っていない。
仮の話だが、神なんてものが存在する場合はどうやって付き合うべきか。それもシルバーンで調査して対策すればいい。
それがオレのやり方だ。
Side:太田牛一
ふと、御家に仕官した頃を思い出した。あれから年月が過ぎて、殿もお変わりになられたな。
配慮を欠かさぬところは今も同じなれど、先々のことを思い、強く出るところも増えた。
争いの芽はいずこにもある。古き書を紐解き、風土記などを編纂しておるとそれを痛感する。殿はさような僅かな争いの芽ですら潰すおつもりだ。
正しき者には相応の功が後の世まで残り、嘘偽りの者にはそれ相応の評価が後の世に残る。寺社ですら成し得ておらぬ理想のひとつであろう。
「殿に恨みの矛先を向ける者が出ぬようにせねばなるまいな」
矢面に立つべきは殿ではない。わしだ。それを確と定めておくか。
「又助殿、風土記いかがする?」
「すべて残すべきであろう。責はわしが負う。恨まれるのが嫌ならば手を引いてくれて構いませぬ」
手伝ってくれておる公家衆は、あとで面倒にならぬようにと我が殿の確としたお言葉を欲しておるようなのだがな。己の責で動く覚悟のない者など要らぬ。
「そこまで言うておらぬ。されど……」
「かの者らには俸禄を与え生きる道も示してある。その上で過ぎたる過ちを隠すなど言語道断。特に過ちを認め悔い改められぬ坊主などわしが許さん」
寺社そのものはその地に生きる者に必要であろう。故に、それを私欲で動かす者と分けて考えていかねばならぬ。
誰かがやらねばならぬならば、わしがやる。
それだけのことよ。
◆◆
織田家が制作した『風土記』に関して興味深い資料が近年発見されている。
編纂は久遠家家臣太田牛一によるものだが、永禄四年の頃には今川が保護していた公家衆が手を貸しており、その頃の手紙が子孫により発見された。
手紙にて、当時の武士や寺社が風土記の内容に口を出しており、都合がいい嘘を盛り込むようにと言っていたことが記されている。
土地を治める寺社や武士の影響が強い時代に牛一たちは悩んだものの、最終的には牛一が自身の責任で真相を残すべく編纂したという内容が書かれている。
公家衆は牛一の覚悟を称賛していたともあり、当時の苦労が偲ばれる。
なお、この件は別の資料として滝川資清の『資清日記』にも該当する記載がある。こちらは、久遠一馬が真相も武士や寺社の言い分もすべて残せばいいと語ったという内容である。
発見された手紙はこの内容を裏付けるものとなっており、牛一は一馬の命を受けつつも主が恨まれぬようにと自らの責任で動いていたことが窺える。
数多の苦労があった風土記だが、それ故に武功などとは違う、その土地で当時は評価されなかった功績を残した、多くの武士や僧侶の名前が現代まで残ることになった。
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