第1950話・大評定の中で……
Side:とある織田家家臣A
かようなことを我らに示して、いかにせよというのだ? 相も変わらず久遠家の考えることはよう分からぬ。
与えられた役目を確とこなす者を望むのではないのか?
異を唱える気などないが、わしのような端の者が知るべきことではあるまい。かようなことを考える余力も暇もないことを上は存じておらぬのであろうか?
民を従え田畑を耕し、武芸に勤しむ。代々の暮らしすら変えたというのにまだ足りぬのか。人は欲深い。それは久遠とて同じということであろうな。それは理解する。
もう田畑を耕して静かに暮らしたいが、家禄を頂く身で左様なことは言えぬ。働かぬ者は周囲から穀潰しと罵られ、元所領の民ですら近寄らなくなり孤立する。
働かず銭だけもらうなど、畿内の公家や寺社と同じだとさえ言われる。尾張で左様な立場となると生きていけぬ。
実際、それで幾ばくかの武士と坊主が尾張を去った。新しいことはせぬと意地を張った者、織田家のやることに関わる気はないと言い放った者。
大殿や内匠頭殿は左様な者でさえ追い出すことなどせぬが、周りが許さぬのだ。人が離れ武士や坊主が爪はじきにされるからな。
所領を献上した対価として頂いておるはずなのに、いつの間にやら働く者への対価として皆に思われておるのだ。
上手くやっておると感心するしかないがな。
そもそも久遠は、わしのような端の者が知るべきではないことを明らかにしてしまう。此度のこれもそうだ。税をいかに使うかなど下の者が知る必要はない。
愚か者が己の利をもっと寄越せと騒ぐばかりではないか。然るべきものが国を治め、民は黙ってそれに従う。それでよいというのに。
嫌になるな。日々頭を下げる暮らしなど。
Side:とある織田家の家臣B
費用対効果か。いかほど銭を使い、いかに利を得るか。出自が商人らしい考え方なのであろうなぁ。
教えてもらえるのは助かるが、同じことなど考えられぬぞ?
「では質疑があれば答える」
「ひとつよろしいか? 掛かる費用に違いがあるが、費用を減らしたほうがよいのか?」
土務の文官の話が終わったところで、こちらに問いかけがあったが誰も答えぬ。おかしなことを問えば恥となるからな。されど、誰も答えぬのはよくあるまいと、皆が理解しておらぬところをあえて疑問として問いかけた。
「そう安易な考え方をされると困る。定められた中で皆が力を合わせて賦役を早く進めるように差配するなら構わぬが、払う報酬を減らしたり、長く働かせたりするのは禁じておる」
その問いに周囲から少しざわめきが起きた。現場を知らぬ者らだ。わしは数年前まで賦役の差配をしたことがあるので分かるが。
そもそも今の御家は民に対する考え方が違う。従え税を搾り取るのではない。民の暮らしを考えつつ働かせるのだ。その違いを清洲城から出ぬ者らは知らぬからな。
「また賦役近くの寺社が騒ぐことも多々あるが、賦役を進めるために寄進をすることは禁じておる。こちらはだいぶ前に寄進して納めた者がおったことで、騒げば寄進があると欲を出した寺がいくつも出てな。以降、禁じた」
こちらはわしも知らぬな。土地の者が口を出してくることは珍しくない。わしの場合はよく話をして、納得せぬ場合は清洲城に訴えるようにと言うて終えたが。
「ああ、昨年などは投資として銭を出すことで、賦役に関わることを嘆願する者もおるな。これは評定に上げることになっておる。新たに整えた街道や水路から、道や川を引いてその先の土地を整えたいという者も多いからな。投資の額と内容、また、それによりいかほど変わるのかを検討しておる」
銭はあるところから出させる。常ならば、それが武士ばかりか寺社もしておったことなのだがな。いつの間にやら口を出すなら銭も出せという形になったか。
寺社が神仏の名で進言しても、あまり聞き入れられぬからであろうな。賦役は土務総奉行配下の役目ながら、その決定には今も内匠頭殿の意向が働くと耳にしたことがある。
少し前ならば、その道を作ると災いが訪れる。この水路を変えれば仏罰が降ると、己の利にならぬことになると邪魔をする寺社の者が珍しゅうなかったからな。
坊主が語る神仏の名よりも大殿と内匠頭殿の言葉を皆が信じるのだ。武士のみならず民ですらそうだからな。
日々変わることが多く、役目を離れると分からなくなることが多い。こうして皆にそれを教えて理解させていかねばならぬのであろう。
不満げな者は知るまいが、あとで聞いておらぬと怒る者や、仔細を教えよと文官を呼び出す者までおって役目の妨げになっておるからな。
大殿はまことに仏のようになられた。従わぬ者、邪魔をする者など討っても誰も異を唱えぬというのに。
まあ、左様なところも皆に喜ばれておるが。
とはいえ、覚えることが多いな。必要なことのみを記しておくか。覚えられぬほどでもないが、後で忘れたとあってはここで筆をとるより恥となる。
Side:武田信虎
織田の治世、いや、久遠の治世か。相も変わらず抜け目がないわ。
愚か者に教え説くなど、まことの仏かと疑うことをしておるというのに。一方ではそれを聞いておるか確かめて評価の材料とする。
ああ、あ奴は駄目だな。守護様や大殿の顔色を見つつ、家中の立場や様子を知ろうとするばかりだ。悪いとは言わぬが、左様なことは昨日の宴ですればよいものを。
わざわざ教え説く場を設けたというのに、聞いておらぬのはあり得ぬわ。
向こうの奴は、話しやすいようにと助けを出しておるわ。ああいう男が配下としては望まれる。
尾張では愚か者ですら教え説くからな。話を聞く者、話の本筋を掴みその先を行く者は引く手数多じゃからの。
にしても、こうして人を変えておったのであろうな。十年の月日をかけて。
勝ち負け以前に戦すら挑めなくするとは。恐ろしい御仁じゃ。内匠頭殿は。
今川が面倒を見ておる公家衆と織田に仕える坊主どもも同席を許されておるが、こちらは皆が真剣じゃの。一言一句聞き洩らさぬようにと顔つきが違うわ。
公家や寺社を重用する気のない織田家において、己の役目と生きる場を得た者たちは違うということであろうな。
そもそも内匠頭殿は血縁、血筋、忠義による政とは無縁じゃ。この様子では織田家古参であっても先行きは知れておるの。
新参者どころか孤児にまで働き場を与えるのだ。その分、働き場を失う者も出る。端から見ると謀叛が起こらぬわけが分からぬであろうな。
坊主よりも主君よりも信じるべき人か。それを人としての理、生き方でなしておるなど常人ではない。
この者ならば勝てるやもしれぬ。畿内という絶大な力を持つ相手に。
故に尾張は強い。
懸念は、やはり内匠頭殿がおらねば成り立たぬことか。当人は居なくなったあとを考えておるというが、考えれば考えるほど遠のいておるのではあるまいか?
まだ道半ばということであろうがな。
◆◆
永禄四年、新年最初の仕事である大評定の様子が尾張在住の公家の日記に残っている。
全員に資料となる紙の束を配り、黒板を用いて説明するなど、当時の形式を重んじる武士の評定としては異質なものだったことが明らかとなっている。
織田家の定例評定は数年前からこの形を導入しており、大評定という場でさえも形式よりも効率重視に移行しつつあった様子が垣間見える。
この改革に関しては献策者が当時織田家筆頭家老であった佐久間盛重であることが、この前年の評定をまとめた『永禄三年評定録』に残っている。
前年までの大評定とそのあとの混乱などの反省から、この形を進言したと記されている。
尾張だけ近代などと言われることもある同時代だが、それが久遠家のみならず武士たちに根付いたことが分かる出来事になる。
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