第1947話・いかのぼり大会にて

Side:久遠一馬


「うわぁ」


 子供たちの驚きとも喜びとも思える声が上がる。


 空が狭いと感じるほど、多くのいかのぼりが上がっていた。これほど色も形も様々ないかのぼりが揃うと、確かに見ごたえがある。


 このいかのぼり大会も世の中に与える影響が大きくなりつつある。なによりいかのぼりを用意すると誰でも参加出来ることが理由だろう。その結果、芸術関係、書画に対する需要と評価が変わった。


 芸術という分野が、一部の力ある者たちだけのものから庶民も親しめるようになったのは大きなことだ。


 これは武芸大会の文化部門の功績でもあるけど、庶民が芸術に触れる機会が増えたことは単なる娯楽以上の価値がある。


 絵は絵の具が未だ高価だけど、その分、墨のみを使った書や水墨画の需要は今も伸び続けているんだ。


 人々の交流は時には身分を超えることもあり、道徳心の育成や社会の安定に寄与していると言っても過言ではないだろう。


 まあ、例によって尾張と近隣と他国の違いが恐ろしいほどになりつつあるけど。


「今年は甲斐、駿河、遠江からも参加している人がいますよ」


 一段と参加者が増えたなと見ていると、エルが事情を教えてくれた。去年の年明けには、駿河と遠江では大規模な謀叛人の捕縛もあったのになぁ。


 それらの領国で大店を構える商人が参加しているようだ。まあ、ウチと商い停止中のところらしいけど、こういう機会に祭りから参加するというのはいいことだと思う。


「意地を張るのも難しいのよ。信濃からも結構来ているわ。あそこにいるのは諏訪神社の神職ね。あそこも必死よ」


 ウルザに指摘されて少し驚いた。今日、尾張にいるということは年越し前から清洲に来ていたんだろうし。


 諏訪神社は歴史があるんだけど、主に諏訪家が信濃平定の際にごたごたした結果、織田家だとあまり存在感がないんだよね。信秀さんが要らないって言ったところだし、信濃など各地に末社はあるけど。発言権はないに等しい。


「そういや、カメリアの祝いも届いていたっけ?」


 年末、あちこちからカメリアの出産祝いが届いたんだけど。何故か諏訪神社からのもあったんだよね。時期的に祝いの品を届けてくれただけなので後で報告を聞いただけなんだけど。


 そういう事情があったのか。


「高遠領のこともあったしね。何度かごたごたしたから、ウチと因縁になるって恐れているのよね。諏訪神社は医療活動でもきちんと従っているわ。末社は勝手をしたところもあるけど」


 ヒルザの話に少し考えさせられる。


 正直、そこまでいい印象もないけど、冷遇するつもりもない。まあ、進んで関わろうとしていないことで、客観的には因縁に見えるのかもしれない。


 そもそも寺社を厚遇しての統治はしていないんだけど。そこを理解してないのがなんともね。


 信濃、今のところ安定しているんだよね。村上とか高梨がこちらと争う気がないことで、北信濃もあまり問題がない。


 経済的に言うと物価差などで結構配慮しているからね。砥石城攻めの際に村上義清が随分と折れたことと、対越後の安全保障を考えると高くない。


 そもそもあの地域は、村上が治めようと織田が治めようと安定させるためには経済的な負担が必要なのが実情だし。


 まあ、新領地もだいぶ落ち着いているし、率先してこちらに溶け込もうとしている人がいる。それは新しい変化だ。この流れを上手く繋げていきたいね。




Side:とある屋台


「甘酒三つ!」


「ありがとうございます!」


 甘酒と切り蕎麦を売る物売りをしていると、次から次へと客が絶え間なくやってくる。


 正月は稼ぎ時だ。昨日までは初詣に行く者を目当てに、清洲のお寺様で物売りをしていたんだ。


 新年も二日目になると、寺社に参拝に行く者が増えたからな。本来は家で歳神様を迎えるものだと聞いたが、久遠様が新しい年を迎えたことを感謝して寺社に参拝に行くのに倣ったのだとか。


 人が動けば商いが出来る。ここ数年は初詣目当てに市まで出ているからな。


「この蕎麦、美味いな!」


「ありがとうございます。八屋に通って、なんとかそこまで味を近付けたんですよ」


 自慢は八屋を真似た蕎麦だ。無論、罰を受けるようなことはしてない。八屋の主に許しをもらい、通い詰めてわしが食うて真似たものだ。


 結局、同じ味には出来なかった。ただ、近頃は尾張醤油も増えていて、店によって味が違う。出汁と醤油にこだわったことで八屋に勝るとも劣らない品が出来たと自負している。


 おかげで、あちこちの市や祭りに呼ばれるようになった。


 八屋は日ノ本一とも言われるが、やはり久遠様のところの店だからな。なかなか出向いてこいと言えないんだろう。


 その点、わしは織田様の領内ならどこでも行ける。


「蕎麦を五杯」


「ありがとうございます……、薬師様!?」


 休む間もなく働いていると、まさかのお方が来られた。


「まだ食べるの? 凄いわよねぇ」


「大丈夫、みんなで分けて食べるから」


 数人の奥方様と子らに囲まれた薬師様に、頼まれた蕎麦をお出しする。ただ、実は初めてじゃないんだ。年に数回、いずこかの祭りか市で薬師様は食べに来られる。


「そんな心配してないわよ」


 食い物を売る奴らの間じゃ、知られていることだな。久遠家の薬師様と湊屋様に認められたら一人前だと。お二方はよく祭りに出ておる食い物を召し上がられるんだ。


「うん、醤油と出汁の割合が変わった。これはこれでいい」


 わしが苦労して作り出したものも一口で見抜かれてしまう。さすがだ。


「さあ、みんなも食べてみて。これはとても美味しい」


「はい!」


 久遠様の実のお子と孤児院の子たちだなぁ。あっちでは孤児院の子たちが出している店もあるはずだが。


「おいし!」


 皆、わしの蕎麦を満面の笑みで食うてくれる。


「この値でこれだけの品を出す店は滅多にない。これからも励んで」


「ごちそうさまでした!」


 薬師様よりお褒めの言葉をいただくと、ごちそうさまという言葉を共におる子たちからいただいた。それは少し前から聞かれる言葉だ。


 食えることを喜び、食材や料理を作った者に感謝する久遠家の習わしだと聞いた。


「ありがとうございます」


 わしは深々と頭を下げた。感謝せねばならぬのはこちらのほうだ。かように穏やかな日々を送れるのは、久遠様や薬師様のおかげだからな。


 今年も懸命に働かねばならぬな。




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