第1944話・変わることと変わらないこと
Side:久遠一馬
新年二日は、清洲城にて斯波家と織田家の新年会となる。これ去年やってみたんだけど、今年も同じ形となった。
去年の新年会の評判が良かったこともあるし、世の移り変わりと情勢の変化から、斯波と織田一族の結束がなにより必要だと考える人が多いんだ。
これには畿内との難しい関係が未だに尾を引いている。特に朝廷に関しては、行啓・御幸から譲位外しを経て、ご機嫌伺いしろと拝謁をほぼ強制された事実を皆さんが重く受け止めている。
朝廷というのは、結局、自分たちのことしか考えていない。少なくとも尾張の主立った皆さんはそう見ている。
遠く離れているからこそ敬意を持っていたのだろう。身近で関わると、敬意よりも警戒心が事あるごとに増えているんだ。早い話が、敵か味方かで言えば敵だろうと見ている人が大勢だ。
さらに武田と今川など、望まぬ名門の臣従もまた、斯波と織田一族にとって懸念のひとつになる。同情する部分もあるし、理解する部分もある。
とはいえ因縁で気を使い、立場を重んじて厚遇してまで両家の臣従を喜ぶほどの人が少数派だという事実は今も変わらない。
あとから臣従して地位を得る。そもそも、これの評判が良くない。無論、血筋や地位で遇するというのはこの時代でもあることだ。ただし、新参者を歓迎しない風潮がなくなったわけではない。
先に上げた朝廷の問題とも通じるけど、朝廷や畿内と争って彼らが裏切らないか。疑っている人が多いしね。
義輝さんとか六角との関係ですら、内情を知らない人だと信じていない人が未だに多いくらいだ。例外は北畠だろう。積み上げた信頼関係と晴具さんが公卿と自ら対峙してくれたことなどがあり信頼がある。
結局、多くの人は、自分たちが生まれ育ってから築き上げた価値観で判断するからね。敵か味方か。余所者は歓迎しない。そこらの価値観はすぐに変わるものじゃない。さすがに口に出す人は多くないけど。
一族や古参など、裏切らないであろう人と交流を深めようという考えが今日のような新年会を後押ししている。
まあ、天下国家の行く末を考え、広域を統治する前提で考えられている人は、現状の方針を支持してくれているけど。少数派だからね。
さて宴だが、こちらは和やかで楽しいものになっている。
清洲城だと格式ばった形は年々簡素化していて、最低限の礼儀作法以外の慣例とかはなくなった部分も多いんだ。
織田弾正忠家はもともと守護代でもなかったので、そこまで形式が決まってなかったけどね。斯波家はやはりいろいろとあった。
ただ、義統さん自身が、もう西に倣うのを辞めていいと公言しちゃうからね。内々の場であっても。その影響がほんと大きい。
「美味しゅうございますな」
「そうだね。料理番は頑張ってくれているよ」
オレの場合、日頃の宴では主立った皆さんにお酒を注いで歩くんだけど。今日はしていない。去年それで失敗しちゃったからね。
資清さんと望月さんと共に静かに料理とお酒を楽しんでいる。
いろいろ問題とか懸念はあるけど、ほんと皆さん変わりゆく現状に合わせて頑張っているのは確かだ。成長という意味では他国とは比べ物にならないほどだろう。
今年は特に、ほどよい大きさの数の子とか絶品だ。プチプチとはじけるような食感もいい。
今日はのんびりと宴を楽しもうかな。
Side:北畠具教
宮川の一件もあったが、無事に新年を迎えることが出来て安堵する。
もっとも父上は霧山に戻らず尾張で新年を迎えるつもりであったようだがな。重臣らがあれこれと頼み込んで戻ってもらったようだ。
わしと父上が南伊勢を捨てるのではないか。左様な懸念を抱く者もおるのだと小耳に挟んだ。
正直、捨てても良いのだ。南伊勢の処遇で尾張に迷惑をかけぬのならばな。
「左様でございますか……」
父上は先ほどから、これ見よがしに尾張での日々を楽しげに語っておられる。重臣らがなんとも言えぬ顔をしておるのを知らぬふりをしてな。
かつてならば父上であっても、家臣どころか国人衆に配慮がいる立場であった。それが今では従わぬのならば要らぬと言えるほどになった。
宮川の一件は失態も大きかったが、ジュリアに任せたことでわしと父上の覚悟を示すことが出来た。今にして思うと危ういと思うが、その成果は思うた以上に大きい。
攻め込まぬと誓紙を交わすので独立せよ。それが言えることがなにより大きいのだ。もっとも独立すると言うた者は誰もおらぬがな。
独立などすれば、商いに関わることを織田と直接交渉せねばならなくなるからな。当然だ。
実は宮川の一件のあと、わしの命に背いたことで絶縁を申し渡した寺社が、織田に商いで今まで通りの配慮を求めて拒絶されたことは、驚きを通り越して騒ぎになりそうだったほどよ。
奥羽の寺社の騒ぎは南伊勢にまで聞こえておるが、なんということはない。我が領内ですら似たようなことで騒ぐ輩がおったのだ。
先の寺社は結局、許されぬまま坊主どもが逃げてしまい潰したがな。端の小さなところ故、誰も庇いだてせず、仲介すら拒まれた結果だ。
「そなたらは倅の命に従うておるか? もし僅かでも不満あらば無理に従う必要などないぞ。独立せよ。内匠頭のように己が力で生きるならば誰憚ることもない。わしも相応に扱うことを誓おう」
尾張と一馬を褒め続けた父上が、楽しげにそう告げると居並ぶ者らの顔色が悪うなる。父上もお人が悪い。一馬の真似など出来るものではないというのに。
朝廷が相手でも兵を挙げると公言して以来、父上の権威は未だかつてないほど高まった。
さらに石橋家の娘が北畠の養女として公方様に輿入れすることもある。今の父上に異を唱えるなど、わしでさえも無理なのだ。
それこそ一馬ならば己が立場で言えるのかもしれぬがな。
そこまで考えておると、父上がふとわしを見た。
「父上、皆も分かっておりまする」
「そうか、ならばよいのじゃ。歳を取ると、いろいろと案じてしまっての」
あとはわしの仕事であろうと言いたげなお顔であったことで、あえて父上をお止めすると満足げな顔で話を止めた。
ひとつだけ気になることがある。父上は気付いておられるのであろうか? ご自身がかつてと変わったことを。
一馬たちのことをよく分からぬと言うておられたというのに、いつの間にやらあちら側になっておるのだ。
重臣らは父上に置いていかれたとすら思うていよう。一馬が父上を変えたのか? それとも父上が自ら変わったのか?
分からぬ。分からぬが、六角に後れを取るわけにはいかぬ。このくらいでよいのかもしれぬな。
なんとも難しきことだ。
◆◆
永禄四年、正月。北畠晴具が上機嫌な様子で尾張での日々を家臣らに語って聞かせた話が、北畠家家伝である『北畠記』に記されている。
晴具が尾張で慕われていたという逸話はいくつも残っているが、晴具自身も尾張での暮らしを気に入り楽しんでいた様子が窺える。
ただ、この頃の晴具は、いつまでも変わらぬ領国と臣下の者たちに不満を募らせ、この時も従わぬ者は独立してもいいと明言したといい、同席していた者たちを震え上がらせたと伝わっている。
元来、保守的な人物であった晴具の変わりように北畠家の者たちは驚いたという逸話が残っている。
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