永禄四年(1558年)
第1941話・新年を迎えて……
前話:第1940話・大晦日の朝。リンクになります。
https://kakuyomu.jp/works/16817330649963056625/episodes/16817330658522125507
Side:足利義輝
新たな年は観音寺城にて母上と共に迎えた。
堅苦しい挨拶や儀式などは病を理由に控えると命じてある。三が日はこのまま母上と静かに過ごすつもりだ。
朝廷ばかりではないのだ。たとえ一時であってもオレの立場が盤石となりつつある今、かつての形式を用いた諸事を再開してはという進言が時折ある。
常道でいえば、当然なのであろう。進言する者も、己と家の立場と権威を示したい者から、形を重んじる者まで様々だ。
されど、オレはなくても困らぬことに時を費やすつもりはない。
神仏に祈ったところで、朝廷の
そもそも神仏は千差万別。天竺ですらすでに仏の教えが途絶えている世なのだ。坊主の言い分がすべて正しいわけではない。
「静かですね」
尾張から戻って以降、母上は落ち着かれた。北畠と斯波、織田との関わりが盤石だと知ったからであろう。オレの婚礼も母上が自ら動かれたことで憂いがなくなった。
「同じような静けさであっても、かつての日々とはまるで違う。かように思える日が来るとは思いませんでした」
母上は時折、かつての日々を思い出しておられるようだ。今思えば、母上が重んじておったのは父上の意思だったのかもしれぬ。オレも気付かなかったがな。
「かつての日々でございますか」
「なにかを変えるということは難しきことなのですよ」
左様であろうな。ただ、母上は変わられた。いや、自ら変えたというべきか。
今、母上の寝所には一枚の書画が掛け軸にあつらえ飾られておる。尾張文化祭で母上が気に入られた書画だ。描いた娘が、母上に褒められたことが嬉しかったとのことで、文化祭が終わったのちに貰ってほしいと贈ってくれたものになる。
当人としては尼僧殿に贈ったと思っており、まさか将軍の母に贈ったとは思っていまいがな。
名はおみね。那古野に店を構える商家の奉公人の娘だとか。オレも幾度か話したことがあるが、皆を気遣い学問にも熱心な娘だ。
先ごろには、返礼に反物でも送ろうかと嬉しそうに選んでおった母上に思わず驚いたものだ。素性を明かさず尼僧として返礼をしたいとのこと。
心情は察するがな。ひとりの人として生きることは、オレや母上にとっては決して得られぬはずだったものだからな。
新たな年はこのまま穏やかにゆけばいいが……、難しかろうな。
Side:斯波義統
政務に励む者のおらぬ清洲城は静かじゃの。町の喧騒もこの日ばかりは聞こえてこぬ。
「ハハハハハ」
「ふふふ」
されど、わしの周りでは倅や一族の者の賑やかな笑い声が絶えぬ。弾正が尾張を統べて以降、年々落ち着き、今では懸念もなく皆で笑えるようになった。
もっとも今年は特別じゃ。
実は倅の正室である稲に子が出来たと判明しており、ケティによると無事に育てば八月頃には生まれると皆に知らせたからな。
子が出来ぬのならば、そろそろ側室を考えねばならなんだからな。安堵したわ。
今までにも倅に側室をという声は僅かにあったが、当人があまりその気はない。一馬は言うに及ばず尾張介も幾人か側室がおるのじゃがの。
まあ、下手な側室を置いて争いの火種になると困るのも事実故、好きにさせておるが。
「楽しみでございますなぁ」
「無事生まれるよう祈禱を頼みましょう」
酒も進み、あれこれと楽しげに話す者らを見ておるだけで心が弾むようじゃの。
中には稲を案じる者らもおるが、それはケティに任せておる。身重の者に対する扱いも日々の暮らしや食う物も、久遠の医学と日ノ本では違うからの。一馬らの様子を見ておると、そちらのほうがいいとしか思えぬ。
祈禱をするというなら否とまでは言わぬが。
ふと、左様な皆の顔を見て考えてしまうことがある。
我らは、まことに日ノ本を統べねばならぬのかという疑問じゃ。弾正や一馬らはそのつもりであるし、わしも否とは言わぬがの。
恨まれ血を流してまでする必要があるのか。改めて考えると分からぬのじゃ。
日ノ本は帝が治める国であると、古き形から言えば名目としては正しかろう。されど、あらゆる疑問を否と言わぬのが久遠の学問。
もう近江を境に西と東で分けてしまったほうがよいのではと、考えてしまうことがある。
ちょうど朝廷が譲位から我らをのけ者にしたことだしの。
まあ、元日から考えることではないか。今は楽しげな皆の顔を楽しむとしよう。
かような日々がこれからも続くことを願いつつな。
Side:広橋国光
穏やかに新年を迎えることが出来たことは、喜ぶべきことであろうな。
されど、吾の心は未だ晴れぬ。
尾張から献上された銭や品々を当然のものとして贅を尽くし、不満をこぼす公卿や公家。左様な者たちからお心が離れつつある院と主上を思うと喜ぶ気になれぬ。
何故、皆、理解せぬ? 天も時も人も尾張の味方ぞ。待っておればなんとかなると思う者らが理解出来ぬ。
恐ろしき男よな。内匠頭は。唐の兵法に、戦わずして勝つが最良というものがあったな。あの者はまさに戦わずして勝ち続けておる。
されど、内匠頭にすべての責があるわけではない。
「尾張の日々を忘れよ……か」
昨年、内匠頭に言われた言葉が、今も胸の奥に深く突き刺さるように残っておる。
今になってみると内匠頭の言い分には理解するところも多い。望もうと望まずとも世は移ろい変わりゆく。これは内匠頭がおらずとも変わらぬこと。
朝廷と吾らは不変であるとうそぶき、僅かばかりの面目を守ることで満足しておった代々の公卿公家の因果が降りかかっただけかもしれぬ。
すでに朝廷や帝を中心に世が動くわけではないのだ。先帝の頃には、葬儀すら挙げられず即位すらままならなんだことがその証。
「内匠頭よ。今の世を見ることを拒み続ければ、朝廷は誰にも見向きもされぬまま
それが、そなたの望みか?
いや、違うの。身を切る覚悟がないならばと言うたはず。生き残りたければ、吾らが血を流し恨まれて変われということか。
寺社や武士にあらゆる力を奪われ、吾らには僅かばかりの荘園しか残されておらぬというのに。
主上と院だけならば、吾らでなんとかなるやもしれぬ。されど、朝廷は畿内の寺社や武士と深き繋がりがあり動くに動けぬ。
それらを皆、切り捨ててしまえというのか?
そなたは吾になにをせよと望んでおるのだ?
分からぬの。
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