幼馴染と吸血鬼

罰印ペケ

第1話 幼馴染と吸血鬼


 午前3時、無機質なアラーム音で目を覚ました。


 朝というより深夜と呼べる時間、それが起床時間。


 手短に支度を済ませ、リビングに置いてある500円玉を手に取り家を出る。


 いつも通りの待ち合わせ時間にいつも通りの場所に行くと、スマホをいじりながら壁にもたれている少女がいた。


 もう6月だというのに白色のアームカバーに手袋、ストッキングで身を包んでる。


 声をかけようと口を開くと、挨拶より先に欠伸が出た。


「ふぁ〜。おはよう」


「ん。おはよ」


 少女…海姫 遥香(うみき はるか)はスマホから視線をこちらに移し、挨拶を返した。


「眠そうね」


「ん、まぁ昨日見たい番組があって寝たのが22時なんだ」


「そ。ねぇ…いつも言ってるけど、ウチに合わせる必要なんてないからね」


「まぁまぁ。一人で行くのも寂しいでしょ?」


「…一人は慣れてるから平気」


 装束にも似た白い肌が少しばかり紅潮する。


「あれ?もしかして照れてる?」


 蹴られた。


「痛ッた!」


「…ばか」


「手加減してよ」


「してるに決まってるじゃない。本気で蹴ったら今頃アンタは道路まですっ飛んでるわよ」


 遥香の体質を考えると冗談でも何でもないと思った。


「最近暑くなってきたよなぁ」


「夏は嫌い」


 右手を左肘に回し、忌々しそうに呟く。


 遥香の表情に影がさしたので、話題を変えようとふと目についたことを口にする。


「あれ、手袋とアームカバー変えた?」


「まだ日も出てないのによく気づいたわね」


「いや暗くても分かるくらい質感良さそうだから」


「シルクよ。パパが群馬への出張のお土産に買ってきてくれたの」


「シルクって絹?群馬って絹有名なの?」


「知らないの?」


「初めて知った」


「馬鹿ね」


「でも今ひとつ賢くなった」


「そーね。馬鹿の一つ覚えにならなければ良いんだけど」


「ひっでぇ」


「ふふん」


 他愛のない会話が閑静な住宅街を通り抜けていく。


 順調に通学路を進んでいく。


 季節はずれの鼻垂れを感じたので一度鼻を啜ると、遥香は怒ったように声を荒げた。


「ちょっと!」


「ん?」


「アンタ"なんてもの"出してんのよ!!」


 遥香の瞳が紅く染まり、瞳孔が縦に細長くなっていく。


 まるで爬虫類を連想するような瞳に変貌していた。


「え?…げっ、最悪。これ鼻血かよ」


「最悪はこっちの台詞よ!もうっ、ちょっと上向いて」


 言われた通りに上を向いて、指の腹で鼻の穴を埋める。


 視界の端では遥香はポケットからハンカチを取り出していた。


「手…どけて」


 また言われた通りにする。


 手の代わり感じるのは肌触りの良い感触だった。


 「あと…はいコレ。これで鼻栓でも作って」


 ポケットティッシュを渡される。


「準備いいなあ」


「ハンカチの一つも持ってないアンタが異常なのよ」


「いや、俺がハンカチ取り出す前にそっちが出してたじゃん」


「変な見栄なんか張んないで。どうせ持ってないくせに」


「ぐ…」


「何年アンタの幼馴染やってると思ってんの。そんくらい分かるわよ」


「ほーい」


 興奮した勢いか、遥香はハァハァと肩で呼吸をしていた。


 口呼吸の隙間からは少し鋭く伸びた犬歯が覗かせる。


 渡されたポケットティッシュから一枚取り出して丸める。


 それを見た遥香は抑えてたハンカチを話して畳む。


 入れ替わる様に丸めたティッシュを詰めながら、ふと湧いた疑問を口にする。


「もしかしてそれもシルク?」


「そーよ。今日初めて持ってきたのに早速アンタの血で汚れたわね」


「ご、ごめん。洗って返すよ」


 シルクのハンカチに手を伸ばすと、遥香は逃げるように手を引いた。


「いーわよっ別に。どーせシルクの洗い方も知らないくせに」


「え?洗い方なんてあるの?」


「ほらみた」


 遥香は畳んだハンカチをどこからか取り出したチャック付きポリ袋に仕舞い込む。


「まってまって。流石にそれは準備良すぎじゃない?」


「さすがにこれはわざわざ準備したものじゃないわよ。いつもこれにコスメ入れてるから」


「あれ?うち化粧禁止じゃなかったっけ?」


「女子ならバレない程度にみんなやってるわよ。バレる方が悪いから」


「まじかぁ」


「…ていうかさ」


 遥香は少しだけ黒色に戻りかけた瞳でこちらを睨め付ける。


「ん?」


「気づいてなかったの?」


「おう。…痛ッた!」


 鈍い痛みが再び尻を襲う。


 今日だけで2回も蹴られた。


「本ッ当ばかね」


「痛てぇ〜。…流石に教師が気づかないような化粧は分からないってば。てか蹴ることなくない?」


「…呆れた」


 遥香はわざとらしく大きくため息を一つ吐いた。

 

 開いた口見れば、さっきまで鋭利に伸びていた犬歯はすっかり引っ込んでいた。


 機嫌が悪くなったのか、遥香は早歩きで先行していく。


「ちょ、なんか変なこと言ったか?」


 怒らせた理由が皆目見当がつかないので、慌てて尋ねる。


 遥香は10メートル程歩くとピタリと止まり、機嫌悪そうにこちらを振り返る。


 続いて、行き先…よりも少し上を指差した。


 振り返った遥香の背後に意識を向けると、白み始めた夜明けの空が目に映った。


「うわっ、もう日の出か」


「誰かさんが下品なモノ垂れ流したせいで、もう時間ないの」


 どうやら機嫌が悪くなったのは夜明けが近かったからみたいだ。


「急ぐわよ」


 歩調をペースアップして通学路を進んでゆく。


 結局、学校に辿り着いたのは4時半。


 当然のように校門は閉まっているので、脇にある警備窓口に顔を出す。


 明け方でうつらうつらと睡魔と格闘している警備員がこちらに気づくと、ハッと目を覚ました。


「どうぞー」


 カチャ


 警備窓口前の柵の施錠が開く音がする。


「「ありがとうございます」」


 入学して間もない頃は日の出と共に登校する学生を訝しみ、開門の時間まで待たされることも少なくなかった。


 そんな一悶着していたやり取りも、今となってはなんて事はない。


「最近はすんなり通してくれるね」


「そーね。すっかり折りたたみの日傘も使うこと無くなったわ」


 校舎に入るや否や、遥香は手袋付きアームカバーを脱いだ。


 それを大事そうに畳み鞄にしまう。


「そういえば朝礼まで4時間くらいあるけど、アンタいつも何してんの?」


「ん?宿題やるか寝るかのどっちかだなぁ。ほとんど寝てるけど」


 正確に言えば、宿題をやろうとしても睡魔に負けてしまうことが多い。


 先ほどのように冷たくあしらわれるのが関の山なので言い訳するのはやめておいた。


 てっきり「勉強したら?馬鹿なんだから」と煽ってくると思ったのに、何やら思い詰めた表情を浮かべている。


「…ねぇ、何度も言ってるけど本当にウチみたいな"化け物"に合わせなくていいから。アンタは…、その…ウチと違って、あたたかい光の中にいられるんだからさ」


「どうしていきなりそんな話になるんだよ」


「いきなりじゃないし、ずっと前から言ってるわよ」


「俺だってずっと前から言ってんじゃん、平気だって」


「アンタはそう言うかもしれないけど!…本心では何を思ってるか…わからないじゃない。こんな生活…誰だって嫌に決まってる」


「そうは言っても、身体のこともあるし仕方が…」


「ウチは好きでこんな身体に産まれたんじゃない!!!」


「っ!」


 突然、遥香が声を荒げたので驚いてしまい、遥香はバツが悪い表情を浮かべた。


「…世介が少しでも辛いと思ったなら、それはウチの望みなんかじゃない。…むしろ迷惑」


「おいおい、本当に何で急にそんな話になるんだよ。そんなこと今に始まったことじゃないだろ」


「別に…。ずっと前から言おう言おうって思ってた。たまたま今日だった、ただそれだけ」


 顔も合わせず、震えた声で続ける。


「アンタにも無理させたわね。もう…ウチに関わんないでいいから」


「ちょ、遥香っ」


 コツ、コツ、コツ


 ローファーが廊下を鳴らす音がどんどん遠くなっていく。


 遥香の姿が見えなくなるとどっと疲れが押し寄せてくる。


「…無理してんのはどっちだよ」


 陽の光を浴びられない。


 血の匂いを嗅げば、たちまち瞳が変貌し犬歯が鋭く伸びる。


 そうやって伸びた犬歯で人の血を飲む事でしか生きられない。


 常人よりもはるかに力が強く、繊細なまでに器用で。


 繊細なくらい器用なくせに人間関係は不器用で。


 だから本当は寂しいくせに独りになろうとする。


「いまさら幼馴染を放っておけるわけないだろ…」


 初めてできた友人、海姫 遥香。










 彼女は幼馴染で、吸血鬼だった。









『幼馴染と吸血鬼』



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ーーー


 今朝の一悶着以外は何の変哲もなく穏やかに過ぎていた日の午後。


 教室の窓からは初夏の香りが漂う。


 クラスも学年も分からない男子たちが体育で盛り上がる声が聞こえていた。


 教師の目を盗み見て、スマホのメッセージを確認する。


(既読スルーねぇ…)


 心配して送ったメッセージに既読がついても一向に返事はなかった。


 相手は元々返事が小まめなタイプではないが、今朝の様子を考えると何かあったかと勘繰ってしまう。


 気難しい性格ではあったが、今朝のような一方的な拒絶は初めて遥香に出会った日以来な気がする。


 あの日は公園のすぐそばの路地裏で、遥香は水筒で"何か"を夢中で飲んでいた。


 何をしているのか尋ねると、驚いたのか肩を跳ね上げ水筒が地面に落ちた。


 水筒からは赤い液体が広がる。


 恐る恐る振り返った彼女は、赤い瞳と鋭い牙を携えていた。


 その恐ろしい姿に、悪役と勘違いした俺はヒーローの真似事のように彼女に戦いに挑んだ。


 結果はボコボコにされたのだが。


 何度も挑むうちに彼女の姿は普通の少女のように戻り、勘違いして喧嘩を仕掛けたのだと思い謝った。


 初めこそは理不尽に喧嘩を売ってきた少年を許しはしなかったが、何度も謝る事で「もうわかったから」と向こうが折れる形で仲直りをした。


 仲良くなってから何年か経った後で、その時のことは見間違いではなく、彼女が"吸血鬼"だということを教わった。


 さらに年が経った後、本来"吸血鬼"は人に知られてはいけない重大な秘密なのだということを理解させられた。


 裏を返せばそれだけ信用された人間という自負があった分、今朝の出来事は少々面を食らった。


 互いのクラスは異なるから、今彼女がどんな様子か知ることもできない。


(まぁ…真面目ちゃんだし、ちゃんと授業は受けてるか)


 意識を黒板に向けるがどうにも集中できない。


 相変わらず授業は退屈に感じ、つい妄想にふけてしまう。


 今この瞬間、銃を持った不審者侵入してきたり、校庭に大怪獣が現れたり。


 そこで突然目覚めたパワーで返り討ちにする。


 自分が幼い頃に憧れたヒーローになって世界を救う。


 頭の中で自分が主人公の物語が紡いでいると、退屈で永遠にも感じる授業の時間は幾分かマシになった。


(子供の頃はマジでなろうと思ってたもんなぁ…ヒーロー)


 年月が経ちヒーローに憧れていた想いは埋没していき、なんとなく人助けする習慣だけが残っていた。


 ヒーローになりたくてもそんな力は自分にはないし、そもそも悪役なんていない。


 世の中悪い奴ってのは実はそんなに多くはなくて、自分が嫌な奴がいるだけ。


 打ちのめさなければならない悪者はなんて、ほとんどフィクションの中にしかいない。


 


 結局、妄想に耽ている間にほとんど内容も分からず授業が終わる。


 ノートだってろくにとってはいなかった。


 しまったと思いつつ、前の席の友人にノートを写させてもらうよう懇願する。


「なぁ…ノート貸してくんね?」


「寝てたんか?」


「いや、ボーッとしてた」


「貸し1な」


「さんきゅ」


 どこまで要求されるか分かったものではない貸しを一つ作り、ノートを受け取る。


 妄想から帰って来ればまた幼馴染のことで、つい頭を悩ませた。


 ただ単に機嫌が悪かっただけなのか。


(もしかして生理か?)


 今まで考えたこともなかったが、吸血鬼である以前に女子であるのだから月に一度そういったことがあっても不思議ではない。


 だがそもそも吸血鬼に生理なんてものがあるのだろうか。


「なぁ…サキュバスって生理あると思う?」


 遥香がバレる可能性を少しでも下げようと吸血鬼に似た人外を例に挙げたが、口にしてからとんでもない発言だと気づいた。


クラスの友人はあんぐりと口を開けて、冷めた目でこちらを見る。 


「いきなり性癖暴露すんなよ、キショいな」


「なっ!ちがうから!」


「なになに何の話?」


「え?式守の性癖がサキュ「ああああああああああああああああああ」


 男子たちの野次馬と女子たちの冷ややかな目で、居心地の悪いままその日の学校生活を終えた。


ーーーーーーーーー

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ーーー


 元々、帰宅時は一緒ではないので特に会うこともなく家路に着いた。


 家に帰っても一向に返事が来ず、ダラダラ過ごしているうちに辺りもすっかり暗くなっていた。


「やっぱり今日中に片をつけよう」


 明日どんな顔して待ち合わせ場所に行けばいいか分からないので、会って直接和解しようと決意する。


 時刻は20時。


 流石にまだ寝てないと思い、海姫家に向かうため支度をする。


「母さん!ちょっと遥香んち行ってくる!」


 台所で夕食の支度がそろそろ終らせようとしているだろう母に廊下越しに少し大きな声をかける。


「こんな時間に何しにいくのよ!」


 同じ大きさかそれ以上に張った声で返ってきた。


「借りてた漫画返すだけ!すぐ帰るよ!!」


「すぐ帰るってあんたこんな夜中に行っても向かうに迷惑でしょう!明日返しなさい!!」


「…行ってきまーす!!!」


 正論で叱られたので、無理矢理家を出ることにした。


「こら!世介!!!」


 恐ろしいことになると分かっているが、ぴしゃりと玄関を閉める


 本当に遅くなっても仕方がないので、急いで海姫家へ向かう。


 自宅から海姫家へまでは、それほど離れていないので10分弱で着く。


 慣れた足取りで夜道を歩いていく。


 4分ほど歩くと、目的地まで半分は過ぎたという目印の町酒屋が見える。


 間もなく着くと思い、すでに店じまいした酒屋の前を通り過ぎようとした時だった。


 ガシャン


 酒屋の路地裏から瓶が割れる大きな音が鳴る。


 路地裏が見える位置はすでに過ぎていたので、少し後ろ歩きをして路地裏に目を凝らす。


 好奇心から覗いた路地裏では、地面に割れ散らばったビール瓶の破片と女性と思わしき人影が見えた。


 片足を引き摺るように歩き、右へ左へと壁にぶつかるようにフラフラ歩いていた。


 酔っ払いか、不審者か。


 どちらせよまともな様子ではなかった。


 闇夜に慣れた目を凝らす。


 女性は路地裏の突き当たりに着くと、脇腹を抑えてた手を左に振る。


 もう一度、手を脇腹に当て右手にフラフラと歩いていった。


 余計なことだとは思ったが、好奇心に抗えず跡を追うように路地裏へ入る。


 路地裏には何か金属を彷彿させる臭いが充満していた。


 突き当たりに着き、右手を覗くと既に人影は見えなくなっていた。


 次に手を振りはらった方向の右手を覗いた時、背後から声をかけられた。


「君」


 驚いて肩を跳ね上げる。


 恐る恐る振り返るとスーツを身に纏うスキンヘッドの中年男と長髪の若い男性が立っていた。


「はい?」


「ここら辺で怪我をした女性を見かけなかったか?」


「はぁ…怪我した女性ですか」


 あの尋常じゃない様子はどうやら怪我をしていたようだった。


「いや…見かけてないなら良いんだ」


 男たちの顔を見ると"とある予感"がして、急激に心拍数が上がった。


「あのっ!」


 緊張した勢いのまま声を上げる。


「怪我をしてるかどうか分からないんですけど、女性がさっきそこの突き当たりを"左"に行きましたよ」


「血痕も"左"にありますね」


「そうか。ありがとう。…いくぞ」


 男たちは突き当たりを左に曲がっていった。


ドクン、ドクン、ドクン


 鼓動が聞こえるくらい心臓がうるさい。


(もしかして…)


 確証はない。


 確証はないが、おそらく彼らは吸血鬼なのだろう。


 以前の幼馴染との会話を思い出していた。


「吸血鬼の見分け方?血を嗅がせれば分かるわよ。目と歯が変わるから」


「それは俺も知ってるけど、他にないの?」


「うーん…まぁ近くで匂いを嗅げば何となく分かるわ。吸血鬼の血は人間の血と比べてそんなに美味しそうじゃないもの」


「できれば人間の俺でも分かる方法で…」


「我儘ね。まぁあとは日に浴びないから肌が白いのと…あとはまぁ、アンタにはわかんないかもね」


「なんだよ」


「血の匂い嗅いだら変貌しないように見せるためにカラーコンタクトをつけてる人が多いってパパが言ってた。まぁアンタにカラコンつけてるか判別できると思ってないけど」


「一言余計なんだよなぁ…。…遥香はつけないの?」


「…」


「遥香?」


「うるさい」


「ええぇ…」


「…からよ」


「え?」


「怖いからよ!悪い!?」


「ぷっ、アッハハははは、…痛ッてぇ!」


 子供みたいな理由に笑っていたら蹴られたことを思い出し、苦笑する。


 2人とも肌が白く、そして黒目が大きく見えた。


 もしかするとあの女性は二人組の吸血鬼に襲われていたのではないか。


 そんな予感がよぎった瞬間、心臓の鼓動が加速したのだ。


 男たちが見えなくなったのを確認し、右へ続く道を進む。


 幸い一本道で迷うことなく、少し開けた場所にたどり着く。


 月明かりが強く照らされていたので、すぐに倒れている女性を見つけることができた。


「だ、大丈夫ですか?」

 

 慌てて駆け寄る。


 側に駆け寄ると、自分の想像以上に女性は重体だということが分かった。


 右腕はなく、服が血に染まってわかりづらいが右脇腹辺りも欠けていた。


 それでも弱々しく、かろうじて呼吸はしていた。


 (生きてるのか…これ?いやもしかして…)


 月明かりに照らされた女性の顔を見ると金髪で外国人のようだが、この人もまた病的なまでに肌が白かった。


(この人も吸血鬼か?)


 こんな怪我、人間ならばとっくに意識を失って呼吸なんて出来るはずがないし、傷口からはグチャグチャと聞き覚えのある音が鳴っていた。


 それは遥香が怪我した時に、身体を再生しようとする音と同じ音だった。


 昔、遥香から聞いたことがある。


 吸血鬼は基本、高い再生能力があるから怪我をしてもすぐ治る。


 身体が欠損するほどの大怪我は、再生に時間がかかるが血を飲めばその時間を大幅に短縮できると。


「あのっ…血っ、飲めますか?!」


 助けないと。


 そう思い、死にかけの女性に腕を差し出す。


 こちらの言葉は伝わってないように見えたが、鼻をひくつかせると弱々しく口を開け始める。


(やっぱり吸血って痛いのかな?)


 そんな呑気なことを考えねば、目の前の状況を冷静に受け入れられなかった。


「君」


 さっきと同じ声同じ台詞、しかしまるで違う声色で声をかけられる。


「何をしてるんだ?」


「…余計な問答だ。嘘の逃げ先を吐いて、吸血させようとした。アイツの眷属だ…殺しましょう」


 長髪の若い男性が続ける。


(ヤバイヤバイヤバイッ!)


 焦燥に駆られる。


 スキンヘッドの男が袖から銀色の杭を取り出した。


 人類の最高記録なんてゆうに超えている速度でこちらへ走ってくる。


 あまりの速さと迫力に腰が砕け、その場を動けずにただその時を待ってしまった。


 走った勢いのまま銀色の杭を鳩尾へ串刺しにされる。


「っっっっっ!!!」


 鳩尾がたまらなく熱くなる。


「…?!おい!こいつ人間だぞ!!!」


 胃から不快感が逆流し、口の中に鉄の味が充満した。


「なぜ人間が吸血鬼を味方をする?いや、なぜ知っている?」


 動揺したスキンヘッドの男性は、銀色の杭から手を離し後退る。


 腹部に熱した鉄鍋を押し込まれているようだ。


 たまらなく苦しく、呼吸さえままならない。


(嗚呼死ぬんだ、俺)


 手足の先から感覚が失われてく。


 ヒーローのように誰かを助けたかった。


 けれど劇的に誰かを助けることなんて出来なくて、そんなことはつくづくフィクションの中にしかないのだと思い知らされる。


 日常に転がり込んできた非日常に惹かれて余計なことに首を突っ込んでしまった。


 後悔しかない。


 残された生命で出来ること。


 ボーッとする頭で必死に考える。


 口の中で感じた最悪な味でひとつ思いつく。


(もうどうなってもいいだろ…)


 自分が死ぬとわかって取った行動は、側にいる死にかけの吸血鬼への口付けだった。


 最期の行動がセクハラだとはなんとも笑える人生だ。


 心の中で笑いながら意識が遠のいた。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


 三途の川を渡るのか、天国への階段を登るのか。


 自分が死んだ後の光景は思ったものとは全然違うものだった。


 広い食堂に、広いテーブル席。


 蝋燭で灯された仄暗い空間。


 目の前には何も盛り付けられていない皿とワイングラス。


 両手にはナイフとフォークを握っていた。


 気味が悪く離そうとしたが、握った拳が開けなかった。


 どこからかともなく誰かが現れ、目の前のワイングラスに赤ワインが注がれていく。


 注ぎ終わった途端、顎を掴まれ強制的に口を開けさせられる。


 そしてワインを無理矢理飲まされる。


 喉が焼けるように熱くなる。


 苦しい。


 抵抗しようとしても身体が思うように動かせない。


 ワインが飲みきった時、目の前の皿にはいつのまにかステーキが飾られていた。


 涎を垂らし、牙を剥き出しにナイフとフォークを構える化け物を眺める。


 いや違う









 化け物は自分だった









「うわぁ!!!」


 悪魔から飛び起きる。


「…夢?」


 さっきまで見ていた幻は、夢だと思うにはあまりに鮮明だった。


 いや夢だとして、どこからが夢なのか。


 記憶を必死に遡り、自分が今まで何をしていたかはっきりと思い出す。


(そうだ俺はっ…)


 慌てて腹を押さえると、至って普通の感覚が返ってくる。


 代わりに押さえた手からは何か湿った感覚が返ってきた。


 ゆっくりと手のひらを返すと、赤色に染まっていた。


 肝が冷え慌てて腹部を見ると、Tシャツはぐっしょりと赤黒く湿っていた。


 自分が思い出した記憶は夢じゃないと気づき、恐る恐るTシャツを捲る。


「っ!これ…」


 だが驚いたことに穴が空いたと思った鳩尾は、綺麗に塞がっていた。


「谢谢,帮大忙了」


 なにが現実でなにが夢なのか混乱していると、ふと誰かから話しかけられた。


 声がかかった方を向くと、今際の際に口づけをした女性が立っていた。


 中国語で話したのか、理解ができず呆気に取られる。


「你不会听不懂我在说什么吧」


 何かに気づいたような彼女は、喉に手を当て咳払いをした。


「んん。ああ…ここは日本か。道理で伝わらないわけね」


 中国語にせよ日本語にせよ、金髪紅瞳の女性から発するにはどうも違和感があった。


「ありがとう、助かった。そう言ったのよ」


「いえ…俺は別に…」


 大したことはしていないと思ったが、果たして無断でキスをすることは大したことではないのだろうか?


 自分のしでかしたことの後悔が徐々に大きくなる。


「貴方怖くなかったの?」


 後悔で頭を悩ませていると、あいまいな質問が飛んできた。


「何がです?」


 聞き返すと女性は眉をひそめた。


「…。つまらない男」


 軽蔑するように吐き捨てた。


「男から進んで血を飲まされたのなんて初めての経験よ。貴方、吸血鬼を知ってるの?」


「幼馴染が吸血鬼で…」


「道理で」


 女性は納得したように頷いた。


「あの…」


「何?」


 今度はこちらから疑問を投げる。


「あの男の人たちは?」


 いくつか聞きたいことはあるが、まずは記憶を確かめることにした。


 質問を聞いた女性は、答えることなく視線と顔を横へ流す。


 目線の先を追うと驚くような光景があった。


「っ!」


「あら…いい表情するじゃない」


 四肢頭部がバラバラに散らばった屈強な男たちの死体が転がっていた。


 あまりにショッキングな光景に息が詰まる。


「貴方が私に血を飲ませなければああはならなかったわよ?」


 ゆっくりと女性は近づいてきて、耳打ちをしてきた。


「共犯ね」


 吸血鬼の女性はクスクスと、妖艶な笑みを浮かべる。


 ただただ非現実的な光景を月明かりが照らし夜風が撫でていた。

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