第29話 貸しイチだからね



 一昨日いきなり近所の子が来てしまったこと、他にあてもないし暗い中追い出すわけにもいかないので仕方なく泊めたこと、次の日はいろいろあって同じように止めざるを得なかったこと……

 遺産だの命を狙われただの話は省いて、説明した。このあたり説明すると、また時間がかかるしな。


 その間桃井さんは黙って聞いていたが、やがて俺の説明が終わると、はぁ……と深くため息を漏らした。


「本来、一人部屋に二人以上で暮らすのは契約違反だけど……泊めただけだっていうなら、別に問題はないわ」


 指に髪を絡ませ、いじりながら桜井さんは言う。

 その内容に、俺はほっとしていた。そうだよな、泊めるだけなら問題ないよな。泊めるのもアウトってなると、友達を泊めるって俺の目標も果たせないし。


 しかし、桃井さんはどこか不服そうだ。


「……本当に、泊めただけだよね。それ以上のこととか……」


「し、してませんしてません!」


 ジロリ、と睨まれ、俺は慌てる。背が低いのと童顔なのであまり怖くはないが……妙な迫力があった。

 なにもしてない、うんなにも。正直魔が差した場面はあったが、寝ていたはずの久野市さんにクナイ突きつけられてからはそんな気持ちも失せた。


 どうしてこんなにも確認してくるのか……ま、当たり前か。

 アパートの一人部屋に異性を連れ込んで、もしその……不純異性交遊的な、それを行っていたら。大家さん的には許せたものではないだろう。


「……わかった、木葉くんを信じます」


「ありがとうございます!」


 俺の必死さが通じたのか、桃井さんは俺のことを信じてくれた。

 よかった、これもきっと重ねてきた信頼の積み重ねだ! これがもし、会って一日二日の関係なら、問答無用で追い出されていたに違いない!


 桃井さんの優しさに感謝しつつ、本題がそれつつあったので俺は話題を元に戻す。


「それで、服の件なんですが……」


「事情はわかったわ。そういうことなら……さすがに、あの格好でうろつかせるわけにもいかないものね」


 話が早くて助かりますよ本当に。


「えぇ。俺の服を貸す、ってのも考えはしたんですがね」


「こ、木葉くんの服……」


 一応案は浮かび、即座に却下したもの。俺の服を貸すという案を聞いて、桃井さんは妙に顔を赤らめている。

 やっぱり、男の服を着て外出、なんてとんだ羞恥プレイだよな。まして彼氏彼女の関係でもないんだし。


 一度黙ってしまい、しかし仕切り直すようにこほん、と咳き込む桃井さん。ほんのりと赤らんだ頬のまま、口を開く。


「木葉くんが私を頼ってきてくれたなら、それを無下にもできないわね」


「じゃあ……!」


「うん。適当な服見繕って貸してあげる。貸しイチだからね」


 自分の服を他人に貸すことは抵抗があるかもしれない……しかし桃井さんは、快く受け入れてくれた。

 よかった、本当に。断られたらどうしようかと思っていた。最悪、俺が一人で久野市さんの服を買いに行くところだったよ。


 男が女性ものの服を買いに行くことに勇気がいるし、久野市さんがどんな服が好きかもわからない。変な服選んで、困らせてもいけないしな。

 まあ久野市さんなら、


『主様が選んでくれたものならなんでも着ます!』


 と言いそうだが。さすがにそういうわけにもいかない。


 さて、ここで桃井さんに服を借りることができたわけだが。

 貸しイチか、ふむ……困ったな。


「いや、貸しイチってなに言ってんすか」


「あ……そ、そうだよね。ごめん、調子に乗りすぎ……」


「俺、桃井さんに何個貸し作ればいいんすか。返しきれませんよ」


 もちろん、ただで貸してくれなんて言うつもりはないが。貸しイチか。

 桃井さんには、いっぱいお世話になっているからな。貸しイチどころかいくつも貸しがある。


 わりと本気で悩む俺に、桃井さんは目をぱちくりさせている。きょとん顔だ。


「えぇと……貸しが、いくつも?」


「そりゃ。まず、住まわせてもらってる身ですし」


「いや、それは……木葉くんには、アパートの一室を貸してるけど。

 それは、木葉くんが家賃って形で、お金を払ってるから成立してることよ。部屋を貸すことに貸し借りはありません」


「まあ、それはそうなんですけど……それを差し引いても、おすそ分けとか、いろいろしてもらってますし」


 部屋の件はまあ置いといても、桃井さんには世話になりっぱなしだ。

 作りすぎたという理由でご飯を分けてもらったり、部屋が汚れてないか定期的に見に来てくれる。他にも、特売で安かったからと食料や日用品をもらうことも。


 まだそれらすべてに、お返しができていない。なのに、貸しばかりどんどん増えていく。

 もちろん、桃井さんにはそんな気持ちはないだろう。貸し借りの気持ちで、やってくれるような人じゃない。


「それは、その……私がやりたいから、やってるたけで……」


 ほらね、こうして理由をつけては、いろいろしてくれるんだから。

 そりゃ、一人暮らしのしがない男子学生には、ありがたいことこの上ない。だから、ついつい桃井さんの好意に甘えてしまう。


 しかし、甘えてばかりというわけにも。

 とはいえ、俺が作れる料理なんてたかが知れてる。まさか掃除するって理由で桃井さんの部屋に入るわけにもいかないし、金銭面でお返ししようにもなんか受け取ってくれなさそう。


 うーん……


「ただ、そうね……貸しだって考えてくれてるなら、今度まとめて、返してもらおうかな」


「! まとめて? そんな方法が!? 俺、なんでもしますよ!」


 なんと、たまった貸しをまとめて返す方法があるという。それを聞いて、つい桜井さんに詰め寄ってしまった。


「ちょっ、なんでもって……こ、こほん! 別にそんな、たいそうなことじゃないよ。

 たとえばその……さ。今度、その……い、一緒に、でかけ……」


「主様ー!」


 俺に詰め寄られ驚いたのか、動揺する素振りを見せる桃井さんは……たまった貸しをまとめて返す方法を、言おうとする。

 しかし、そのタイミングで底抜けに明るい声が、この場に響いた。

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