第10話 市ノ瀬の証言

「最後は、市ノ瀬だな。」

 三時間目の数学が終わると、オレたちは三度上級生の教室が並ぶフロアへと上った。授業中、何度かメモの遣り取りをして、今まで聞いた供述からの推論を天ヶ瀬とは交わしたが、未だ事件の真相を照らす光明は見出せない。


 誰もが一度は疑う山下の犯行という考えも、現実的には可能ではあるが、部費はどこに消えたのかという謎が残る。ちなみに、他の者でも犯行は不可能ではないと、オレは考えている。誰もが少なからず、一度部費に近付いているからだ。


 まず、部室に一番乗りした黒川だが、彼は飲み物を買いに出る時と、戻ってきた時に荷物に近付いている。他の者の目を盗み、こっそりと盗むことも出来ただろう。


 次に、郷野だ。彼女が部室に現れてた時には、すでに荷物の中には部費が入った黄緑色の巾着が置いてあった。これもやはりこっそりと盗むことが出来る。


 そして、市ノ瀬もポーチを取りに部室に一度戻って来ている。この時、他の者と同じように盗むことが出来た。


 オレはこれらの考えをメモで天ヶ瀬に伝えた。しかし、彼女の返事はどれも否定的だった。何故なら、それではあまりに偶発的過ぎるということらしい。今回の事件は、明らかに計画的なものだと彼女は考えていた。そうでなければ、あまりに三人の証言が無矛盾過ぎる、と。


 天ヶ瀬の言うことはもっともで、確かに三人の証言に疑義を挟む余地がない。では、四人目の市ノ瀬の証言はどうなのか。彼女の発言によって、今までの考えは覆り、真相の前に垂れ込めるこの濃い霧を晴らすことが出来るのか。わずかな期待を抱きながら、市ノ瀬が籍を置く教室の戸を開ける。


「待っていたわ。」

 教室の中はがらんとし、一切の雑音は響いていない。一瞬、部屋を間違えたかと思ったが、窓際の一番後方の席に市ノ瀬はいた。

「他のクラスメイトはどうしたんですか?」

 市ノ瀬以外の生徒がいない教室に入り、辺りを見回す。誰かが隠れている様子もなく、本当に彼女以外誰もいない。


「四時間目は、移動教室なの。」赤々と濡れた唇で薄い笑みを作り、市ノ瀬は言った。「なるべく早くしましょう。」

「そうですね。では、部費がなくなるまでの経緯を教えてもらえますか?」

 天ヶ瀬の問いに、市ノ瀬は小さく頷いてから、語りだした。


    ※


 昨日はとてもむしむししていたわ。汗をかいた私は、タオルで汗を拭きながら部室に向かった。


「おはよう。」と黒川くんに挨拶をしながら、荷物を置いて、二人で一緒にしばらく会話をしていた。内容は取り止めもないことばかり。学食の新メニューとか、夏休みの宿題のこととか、まあそんな感じ。


 それから、雅美が部室に来ると、「じつは、」と文化祭で発行する部誌の入稿を早めたいと言い出した。いきなりの話だから、ちょっと吃驚しちゃった。たぶん、黒川くんも驚いたんだろうね。彼は問題点を指摘したわ。そしたら、口論になっちゃってね、私どうしようかと思った。とりあえず、二人の意見を尊重しつつ、結論は保留にしておいた。


 しばらくして、山下くんも来たけれども、まあ結果は変わらず。簡単に結論を出せる話じゃあないからね。


「俺、ちょっと飲み物買ってくるわ。」

 部室の空気を重く感じたのか、黒川くんが席を立った。それによって、張り詰めていた空気は緩んで、私も席を外したくなっちゃって、立ち上がったの。雅美も一緒に行くって言うから、私たちは二人で廊下に出たわ。


 廊下では、さっきまでしてた部誌の話を再びした。私が、様子を見たらどうかと提案すると、彼女はいたく気に入ってくれた。たまには、私も人の役に立てることがあるんだと思えたわ。

 その後、私はお化粧直しの道具を持ってくるのを忘れたことに気が付いて、部室に戻った。部屋では山下くんが一人で暇そうにグランドを眺めてた。別段、怪しい素振りはなかった気がする。


 ポーチを持ってトイレに戻り、私はお化粧を直した。暑いと化粧が落ちやすいから、夏って嫌なんだよね。

 待たせていた雅美と一緒に部室に戻ると、黒川くんが床に這い蹲っていて、何事かと思ったわ。まさか、男二人で変なプレイでもしているんじゃあないかって、ちょっと疑ったし。でもまあ、ハンカチとかティッシュを持っていたから、何か汚れ物を拭いていたのかなと思いながら、ポーチを仕舞ったの。で、その時、私は部費がなくなっていることに気が付いた。


 混乱した私は、声を上げてしまった。

 怒鳴ったりもしちゃったかもしれない。

 この辺りのことは、もうよく覚えてないの。それほど吃驚して、頭が真っ白で……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る