第9話 黒川の証言

 昨日の放課後、俺はホームルームが終わるとすぐに部室に向かった。部室にはまだ誰もいなく、俺が一番乗りだった。


 荷物を置き、暫く部屋で読みかけの本を読んでいると急激に空が曇り、激しい雨粒が殴りつけるような勢いで降ってきた。窓の外では部活の準備をしていた運動部員たちの悲鳴や奇声が聞こえ、グラントはあっという間にドロドロになっていた。でも、雨はほどなくして止み、元の青空が顔を覗かせると空気は湿度を急激に上げ、辺りは蒸し返る。本を読んでいるだけなのに、額には珠のような汗が浮かぶほどの暑さだった。


 二番目に部室にやって来たのは市ノ瀬だった。彼女は「暑い、暑い、」と言いながら黄緑色したハンドタオルで汗を拭いながら、部室に入ってきた。ここだけの話し、ワイシャツも汗で濡れていて、ブラジャーの薄桃色もくっきりと見えていた。あれは一番乗りした役得だった。


 二人で取り留めのない会話をしていると、郷野が三番目に現れた。彼女は部室に着くなり、部誌に寄稿する原稿の〆切についての話をはじめた。彼女の言い分はよく分かるし、可能であるならばそちらのほうが理想的だ。ただ、現実的な問題として、原稿が集まるか心配だった俺はその点の疑問を呈した。しかし、それが気に喰わなかったのか、郷野は怒り心頭、目を釣り上げる。ちょっとした口論にもなったが、市ノ瀬がその場は納めてくれて助かった。


 最後に山下が顔を出し、部誌についての話し合いを再びしたが、結局結論はでなかった。行き詰った状態で考えても仕方がないので、俺は飲み物を買いに部室から出る。一階の学食横の自販機の前に行くとクラスメイトの田中がいた。二三言葉を交わし、飲み物を買うと機械の不調か誰かが取り忘れたのか、珈琲が二本あった。流石に二本も飲めないので、部室に戻ると一つは一人留守番をしていた山下にくれた。


 缶珈琲を飲みながら財布を仕舞っていると、うっかりと掌から缶を滑らせて、鞄の中に珈琲をぶちまけてしまった。慌てて鞄から荷物を取り出し、ハンカチやティッシュで拭き取るが、匂いはこびり付いて簡単に拭えそうにない。

 意気消沈していると、女子二人が帰ってくる。彼女たちは床に座り込んでいる俺を不思議そうに見ていた。しかし、その状況はすぐに破られる。市ノ瀬が「ない、ない、ない、」と大きな声を上げたのだ。


 彼女は部費がなくなったと言う。俺たちは信じられない思いで、それぞれのボディーチェックや荷物の点検を行ったが、なくなった部費も部費を入れていた巾着も見付からなかった。念の為、部室以外も調べてみたが、結果は同じ。一体部費はどこに行ってしまったのか、分からないまま俺たちは下校することになった。


    ※


「一つ、聞いても良いですか?」黒川の話が終わると、天ヶ瀬は尋ねた。「黒川さんは、誰が盗んだと考えていますか?」


「普通に考えれば、山下が盗んだと考えるのが妥当じゃあないかな。」

 語りの時もそうだったが、この黒川という男は存外自身の内面を見せない。その為、何を考えているか容易に図り知ることが出来ない。恐らく、このような点が、郷野曰く嫌な性格ということなのだろう。


「でも、誰も持っていなかったという、普通ではない状況ですよね。それでも、妥当だと言いますか?」

「誰かが盗んだのだから、とどのつまりは普通のことだよ。」薄い笑みを浮かべ、黒川は踵を返す。「面白い結論が出たら、教えてくれよ。」


「あの、」


 天ヶ瀬がさらに問いを重ねようとすると、休み時間が終わる鐘の音が響いた。

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