第三十四話
「市瀬くん、その女性から今すぐ離れてください!」
普段クールな鹿屋さんの表情が、切羽詰まったものになっている。
それだけで、今がやばい状態だと――
「その方はホテルのスタッフではありません!」
「え⁉︎」
「その人は偽物です!」
そんなとんでも展開あるの⁉︎
反射的に女性から距離を取れば、鹿屋さんが逆に俺を守るように前に出た。
息を整えた鹿屋さんが告げる。
「エントランスの方で噂になっていました。ホテルの従業員にあんな人がいたかって……。尋ねたら、その女性を撮った画像を見せてくれました」
「ほ、ほう?」
「それで、遠坂さんからは市瀬くんが自動販売機にいる市瀬さんを迎えに行ってほしいと連絡があって……。もしかしたら、と思いまして」
つまり、その不審な女性とやらが、今俺の目の前にいるホテル従業員らしき女性で……。
偶然と偶然が合わさったみたいな状況なのかな?
やばい状況なのは確かだ。
鹿屋さんの背後から女性の方を見れば、女性は慌てるどころか……にやりと笑みを浮かべていた。
「ふふふ……貴方がこの男の子の男性護衛官のようですね。やっと来たのですね」
どうやら鹿屋さんが俺の男性護衛官と思われているようだ。
「こんなところに、こんな魅力的な男の子を1人にするなんて……貴方、見る目がないんですね」
「……」
目を細め、まるで鹿屋さんを煽るような口調と発言。
「私だったら、こんな素敵な男の子。肌身離さないですけど。それこそ……監禁でもしてしまいたいほどに。ふふふふ……」
女性が笑みを浮かべた。
なんだかその笑みが……怖い。
鹿屋さんをチラッと見れば、女性の目を逸らすことなく真っ直ぐ見つめており、
「監禁なんて物騒な真似はさせません」
「貴方よりはこの男の子を大切にできていると思うけど? 君もそう思うでしょ?」
さすがに監禁は嫌なのだが……。
女性の俺を見る瞳が、腕を握った時のように力強かったが……俺は首を横に振る。
「あら残念です。そうハッキリ意思があるなら、君も君で無防備にウロウロしないでください。女性に襲われても文句は言えません。もしくは、お持ち帰りして女を知らしめるという手もありますが……」
そう言って、女性は俺の全身を舐め回すように見た後……ぺろっと。舌なめずり……。
「そんなことは、させません。貴方に市瀬くんを渡すつもりはないです」
「彼を1人にしておいてかしら」
いや、それは俺が自分で1人になったからで……。
「確かに、市瀬くんを1人にしたことは不注意でしたが……市瀬くんが魅力的な男性であることは私も知っています。たった今、会ったばかりの貴方よりも遥か先に」
「……あら。挑発しているのかしら?」
「いえ、別に。それよりも、早く逃げた方がいいのではないですか? 私が1人でここに来るわけがないですよね。早かれ遅かれ貴方は、不法侵入の罪で逮捕されると思います」
鹿屋さんは女性の態度を気にせず、堂々と告げる。
「……チッ。食えない女ね」
女性はギリッ、と鹿屋さんを一度睨め付けて……ここは引かないとやばいと思ったのか、駆け足でその場を去った。
「お、おお……」
女性の姿が見えなくなり、一息つくと同時に声が漏れる。
正直、暴利沙汰に発展するかもとヒヤヒヤしたが……鹿屋さんがうまく丸めてくれた。
振り返った鹿屋さんは……眉を下げており、
「すいません、市瀬くん。私が油断したばかりに……」
「いやいや! 油断したのは俺だから!」
「ですが……」
鹿屋さんがさらに申し訳なさそうに……!
だが、あの女性も言っていた通り、俺が無防備でウロウロしていたからで……。
「ほんと、俺が悪かったからっ。ごめんね! その、今更こう言うのはなんだが……やっぱり男性護衛官や補佐官ってありがたい存在だなって……」
襲われてなければ大丈夫じゃなくて、襲われる可能性があるって怖いな。
腕を掴まれただけでちょっと怖かったし……。
そして、女性とは普通に話せると思ったのに、さっきの女性と鹿屋さんの会話には一言も発せなかった。
全部俺が無自覚だったから。
「だから鹿屋さんが謝らないで!」
俺がそこまで言えば、鹿屋さんは小さく頷いた。
「……わかりました。市瀬くんがそこまで言ってくれるのなら。それで、あの女性に何かされたりしませんでしたか? 体調は大丈夫でしょうか?」
「あ、うん。大丈夫大丈夫!」
腕を掴まれた時は、びっくりしたけど……怖かったのは一瞬だけだし、体調だって悪くない。
「それならいいのですが……」
「心配してくれてありがとう、鹿屋さん。でも俺、そこまで貧弱じゃないからさっ。それにしても、他に人が来ないね」
鹿屋さんが1人で来たわけじゃないみたいなことを言っていたんだけどなぁ。
廊下やその奥を見渡すも、人がくる気配がない。
「あれは嘘です」
「嘘⁉︎ 鹿屋さんも大胆なことをするねぇ」
「本当はすぐさま取り押さえて警察に突き出すのが1番いいと思いましたが」
「おお、そっちもできるんだ……」
「できるだけ、騒ぎにならずに穏便に済ませる方法を選びました。そうしないと……」
「ん?」
「市瀬くんの林間学校が台無しになってしまいますから」
鹿屋さんは続ける。
「市瀬くんに直接的な被害がなくても、そういう危険な出来事があったと学校側に報告すれば……。いえ、本来はしないといけません。そう報告すれば、市瀬くんは最悪、林間学校を途中中断して自宅に戻ることになります」
「そうなの⁉︎」
「はい。男子の安全が第一ですから」
安全を考えてくれるのは嬉しいけど、俺はそれくらいじゃ……。
「しかし、市瀬くんは……林間学校を中断される方が困りますよね?」
「ああ、うん」
めちゃくちゃ困る!
ずっと楽しみにしてきた林間学校。
中学では行けてないのでより楽しみだった。
この世界に来て初めての林間学校が今なのだ。
中断なんてされたら……俺、家で泣きまくるか、
鹿屋さんの方を不安ありげに見れば、少しだけの笑みで返してくれた。
「ですからこのことは……市瀬くんさえ良ければ、市瀬くんと私と遠坂さんの3人だけの秘密というにしませんか?」
「いいの!」
「はい。この提案は元々、遠坂さんがしてくれました。市瀬くんが林間学校の続行を希望するのであれば、それに答えて欲しいとのことです」
る、留衣! いや、留衣さんありがとうございます!
「それでどうしますか? 林間学校は……」
「もちろん、中断なんてしないよ! と言っても、鹿屋さんや留衣には迷惑掛けたと思うし、2人が良いっていうならだけど……」
「私も留衣さんも、市瀬くんが楽しく林間学校を過ごすことが最大の目標です。もちろん、このまま護衛を務めさせていただきます」
「じゃあ良いってことで……?」
「はい。明日からも林間学校を楽しみましょう」
うぉぉぉぉぉぉ! やったっ!!!!
さすがにホテル内で大声を上げるのは迷惑だと思うので、心の中で雄叫びを上げとく。
「ありがとう鹿屋さん! 留衣にもあとでお礼を……。あれ、留衣は今どこいるんだ?」
鹿屋さんに指示を出したということは、もうのぼせた状態から回復してるってことで……。
「遠坂さんはおそらく、先回りをしているのかと」
「先回り……? あっ、なるほど」
多分さっきのホテルの従業員になりすました女性のことところにだろう。
「私が市瀬くんの方に行って、遠坂さんが先回りして待ち伏せすると指示がありましたから」
「へ、へぇー。すごいなぁ」
「もちろん、市瀬くんを襲おうとした女性を許したつもりも逃すつもりもないですから」
「お、おう……」
この迅速な対応……。
改めて男性護衛官や補佐官は頼りになるし、怒らせたらやばいだろうなと思った。
◇◇
鹿屋さんと一旦、俺の部屋に戻った。
他の女子は2人で1部屋だが、男子だけは大きなキングベット1つに広々とした部屋である。
「市瀬くん。これからはどうされますか? 遠坂さんからは他のクラスメイトを誘ってトランプゲームをすると伺っていますが……」
「あ、ああー…」
俺もそのつもりだったが……。
さすがにさっき起きた出来事をすぐに忘れてっていう気分でもないので……。
「ちょっと部屋で休もうかな。あはは……」
「そうですよね。さっきの出来事もありますから……」
しゅん、と。また鹿屋さんが眉を下げた。
これはまた謝るパターンで――
「お詫びと言ってはなんですが……私が癒してあげましょうか?」
「え……」
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